(2)
「よし」
と、大人しく眠るように眼を閉じてリラックスしているアインを見て、シュヴァルは満足げに頷いた。
アインの肩と膝裏に手を差し込んで、そっと抱え上げても、アインは抵抗の一つも見せずに、頭をシュヴァルの胸にもたれさせてなされるがままだった。
そんなアインを見下ろして、シュヴァルは罪悪感を抱いた。
抱いて、込み上げる苦笑を押さえ切れなかった。
妖魔が罪悪感を抱くことが、おかしなことのように思えたのだ。
「……なんだって、こんなお嬢ちゃんに肩入れしてんだろうな、俺は……」
口に出すと尚更不思議なことのように思えた。
これまでも沢山の人間がやって来た。本当に沢山の人間がやって来て、自分の手で引導を渡してやった。
物言わぬ人形となり、砕かれて蒼い光と化して消えて行った。
それらが全部自分の身代わりとして連れて来られたことも察していたし、違うと分かっていても、自分の身代わりとなる人間を攫ってまで傍に置いておかなければならないシルバーラビットの孤独も分かっていた。
たとえ短時間だったとしても、シルバーラビットの孤独が紛れるのなら、吐いて捨てるほどいる人間がどうなろうとも知った事じゃないと、シュヴァルは思っていた。
自分は人間ではない。妖魔なのだ。妖魔とは人間の都合など考えない。
自分の欲求を、人間を使って解消する存在なのだ。
だからこそ、無数の人間の命を刈り取ることになったとしても、シュヴァルが心を痛めることはなかった。感情を動かされることはなかった。
あったとすれば、誰も自分の代わりになりえなかったことに対してと、妥協しなかったシルバーラビットに対しての苛立ちだけ。
自ら孤独に陥って、自分を認めてくれる存在を求めていたくせに、いざ理想の世界を提供すると、途端に『違う』と我に返る人間たちに。
そんな人間たちにあっさり見切りを付けてしまうシルバーラビットに対し、シュヴァルは時々苛立ちを押さえ切れなくなることがあった。
だからシュヴァルは、あの部屋に行っては人形と化した人間たちを破壊した。いつまで置いておいても邪魔だと言うのも正直あったが、単なる八つ当たりだ。
だが、何故かアインだけは違った。つい、ちょっかいを出したくなった。目を離せなかった。
何がそうさせるのか分からなかった。
ただ――
「どっかが似ているのかもしれないんだろうな」
口に出して言ったところで、具体的に何が。とは出て来ない。
出て来ないが、苦痛もなく眠る姿を見て、安堵している自分がいることは自覚していた。
裏切られたアインと、裏切った自分。
事情は違えど、孤独を選んだ者同士。
そう言う意味では、これまでやって来た人間たちも自ら孤独を選んだはずなのに、何が違うのだろうかとシュヴァルは考える。
考えながら玄関の奥へ行く。
漆黒の闇のカーテンでも下がっているかのような、ぽっかりと口を開けた四角い闇――次の間へと。
上も下もない、光の一筋すら射さない真正の闇の中を、シュヴァルは苦もなく歩き続ける。
これまでやって来た人間たちは、皆孤独を訴えてやって来た。
馬鹿馬鹿しいまでに溢れかえった人間たちの世界に居ながら、どうして孤独になるのかシュヴァルには解らない。
ただ、そういう孤独を抱えた人間たちが、他人など信じないと、他者との関係を拒みながらも、同じだけ強く救いを求めているのだと言うことを学習した。
何故なら、連れられて来た人間たちが望む世界には、必ずと言っていいほど他人が現れたからだ。
その人間たちが、連れ去られて来た人間たちの知り合いなのか、全くの架空の人物なのかは分からない。だが、少なくとも必ず一人は人間が現れた。
ある人間は、数多の異性に想いを寄せられる世界に浸っていた。
ある人間は、次から次へと現れる人間たちを痛めつけ、泣いて許しを請わせることを繰り返していた。
またある人間は、とにかく褒め称えられる世界に執着し、ある者は家族と思しき人間たちに囲まれる細やかな暮らしを思い浮かべていた。
孤独に囚われ、人の世界にいることに絶望しながら、その実、他者に囲まれた世界を望む人間たちの思考に、随分とシュヴァルも初めは頭を傾げたものだった。
ただ、それならそれで構わないと思う自分もいた。
その世界で幸せを満喫出来るなら。
それを見てシルバーラビットが満足することが出来るなら。
だが、現実は違った。
シルバーラビットは満足するはずもなく、人間たちも幸せな世界に唐突に見切りを付けた。
夢が覚めたと言った方がいいかもしれない。
人々は屋敷の中を彷徨い始めた。
自分の居場所はここではないと、助けてくれと訴えながら彷徨った。
自分からわざわざ理想の世界を抜け出しておきながら、一体何を言っているのだろうかとシュヴァルは思い、放って置いた。
実際、構っている余裕もなかったのだ。
シルバーラビットが次の人間を連れて来る前に、出て行った人間の痕跡を消しておく必要があったから。
それと同時に、屋敷の中で息絶えた人間を回収する必要があったから。
時間は限られていた。シルバーラビットが出払っている間に全て終わらせていなければならなかった。さもなければ、屋敷の中でシルバーラビットと鉢合わせする可能性があったから。
出会ってしまえばシルバーラビットは消える。
それを回避するために、シュヴァルは常にシルバーラビットが出払っている時間と寝入っている時間を利用して動き回っていた。
結果。
「……この屋敷に俺がいるって言う痕跡が残って、あいつもずっとここにいたんだろうけどな」
よいしょっと、アインを抱き直しながらぼやく。
何も見えない闇の中、シュヴァルは上る。世界と同化してしまっている階段を。
先の見えない階段だった。本当に上っているのかどうかも怪しい階段だった。
終わりの見えない階段は、終わりの見えないシルバーラビットの行為と重なっていた。
「でも、これできっと終わりだ」
穏やかな顔で気を失っているアインを見下ろして微笑む。
これまでも、『霧の屋敷』にハンターはやって来た。
大抵二人一組でやって来た。
そうすることで、屋敷に取り込まれることを回避して来たのだろう。互いが互いを支え合って、連れ去って来た人間たちを連れ戻して行った。
玄関に足を踏み入れてからの初めの部屋はともかく。部屋を進めば大抵、ハンターたちにとっても都合のいい幻想も現れたものだが、アインは違った。
全くと言っていいほど、自分にとって都合のよい幻を見ようとしなかった。
その上で、人形の墓場にまでやって来た。
未だかつて、誰一人としてハンターは足を踏み入れたことのないあの部屋に。
夢も希望も何もない、連れ去られて来た人間ですら迷い込んだことのないあの部屋に。
数ある孤独を埋めるための部屋が用意されておきながら、救いを求めようとしないその気持ちの強さに、シュヴァルは驚きを隠し切れなかった。
まだ子供なのに、一体何がそうさせたのかと同情し、ふと、自分もそうだったことに気が付いた。
自分がシルバーラビットを裏切り孤独にした結果、自分を慕って来たシルバーラビットが命を落とした。
それを受けてシュヴァルは、残りの命を全てシルバーラビットのために使おうと心に決めた。
極論だったと言われれば、確かにそうだとシュヴァルは認めた。
だが、当時のシュヴァルにはそうする以外の方法が何一つ浮かばなかったのだ。
心に決めて、他者との関わりを絶ち切った。
シルバーラビットが孤独だったからだ。その間、自分はどうだったかと考えて、シュヴァルは恥じ入り、孤独を選んだ。
シルバーラビットを裏切った原因となった兎が何度会いに来ても、説得しに来ても、シュヴァルは聞く耳を持たなかった。
自分を責めて責めて責めて。シルバーラビットが命を落とした屋敷から離れずにいたら、シュヴァルは屋敷もろともシルバーラビットに取り込まれた。
そんな自分を思い出したからこそ、頑なに孤独であろうとしているアインを見たとき、放って置けないものがあった。
「……俺も、救われたかった……って、事なんだろうな」
自分と重なるアインを救うことで自分を救おうとしている。
馬鹿馬鹿しいとは思うが、否定はしなかった。
自分とアインは違うのだ。似ているが、違うのだ。
何もアインまでが孤独に生きることにしがみ付く必要はない。
ただし、
「それでも結局は、俺のためにお嬢ちゃんを利用するんだけどな」
だとしても、今回も失敗に終わるかもしれないと言う危惧はある。
騙されているのは初めだけかもしれないと言う可能性も十分にある。
だが、成功するかもしれないと言う期待もある。
「なんたって、あいつが屋敷の中で直接顔を合わせた人間はお嬢ちゃんだけだからな。
俺の気配が付いてた所為だったとしても、上手く行くかもしれない。そうすれば、あいつはもう寂しい思いをしなくても済むし、お嬢ちゃんも自分を追いつめるような、傷つけるような生活をしなくても済むし、本物の俺じゃないから満足してあいつが消えることもないはずだ」
シュヴァルは何も見えない階段の先に笑みを浮かべて、自分に言い聞かせるように口にした。
「お嬢ちゃんは俺の代わりだ。俺の代わりにあいつと楽しく過ごしてくれれば、俺も一緒に楽しく過ごせる。お嬢ちゃんを通して、俺はあいつとやり直せる。
そうすれば、あいつも外に人間攫いに行かずに済むだろうし、訳の分からん連中がこの屋敷を荒らすこともなくなる。外がどうなろうと関係ないが、一応どこもかしこも万々歳だ。
幸いお嬢ちゃんは孤独の申し子。そこまで頑なに孤独で居続けると言うことは、それだけ気に掛けている奴もいないってことだろうし、お嬢ちゃんが帰らなくても誰も困らないだろうから、ハンター仲間が押しかけて来ることもないだろう。だからな、お嬢ちゃん」
もう一度、アインの体を抱き直し、
「――いや、『シュヴァル』」
シュヴァルは背中で漆黒の扉を押し開けて。
「お前が、あいつに解毒剤を飲ませるんだ」
目の前に広がる青い空。遠くに見える深い森。陽光に照らされた鮮やかな緑の草原。そのただ中に丸まっているシルバーラビットを目の前に、シュヴァルが気を失ったままのアインに告げた時だった。
「――自分でやれ」
氷のように冷たい声が吐き出されたと思った次の瞬間、見下ろしたシュヴァルは、真っ赤な双眸と眼が合った。
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