(2)

 

「……どう言うこと?」


 掠れた声がアインから出た。


「やっと見つけたって……シュヴァルって……ずっと捜していたって、シュヴァルのことを?」


 まともに順序立てて喋ることが出来なかった。


「そうだよ。ずっと、捜してた。僕を裏切った、裏切り者を。

 でも、後になって、考え、直した。やっぱり独りは、寂しいから。

 きっと君も、寂しい思いを、して、いると、思ったから。

 僕を、独りにしたことを、後悔して……自ら孤独を望んで、周りに誰も寄せ付けないと、思ったから。

 だから、孤独を、強く望む相手を、僕は迎えに行ったんだ。

 でも、いつも、いつも、違った。

 そうだと思ったのに、違った」


 微笑みが消えた。


「いつも、いつも、孤独を強く望むものに、呼ばれて、行ったのに。

 シュヴァルだと思って、迎えに、行ったのに。

 違った。気が付くと、いつも、消えて行った。

 誰も、いなくなった。いつも、いなくなった。

 だから、捜した。いつも、捜した。強い孤独を。

 今回も、そうだった。

 でも、消えた。

 でも、ようやく見つけた。この匂い。忘れない。いつも、一緒に居た、匂い。

 お帰り。シュヴァル」

(違う!)


 そっと抱き締められ、アインはゾッとした。


「私はシュヴァルじゃない!」


 再び突き飛ばされて、シルバーラビットは表情を変えずに不思議そうに小首を傾げた。


「どうして、そんなこと、言うの?」

「私がシュヴァルじゃないからよ! シュヴァルは別にいる。

 シュヴァル! シュヴァル! これはどういうこと! 聞いているんでしょ! シュヴァル!」


 アインは暗くて明るい天井へ向かって呼び掛けた。

 呼べばいつでも出て来ると言っていた、うさ耳黒ずくめの妖魔の名を呼んだ。


「何を、しているの?」


 シルバーラビットが両手を広げて近づく。


「シュヴァル! 出て来なさい! 説明して! これはどういうこと!」

「何を、言っているの? シュヴァルは、君だよ?」

「違うわ! 私はアイトゥーラ! 妖魔ハンターのアイトゥーラよ!

 離して!」

「離さないよ。だって、君は、シュヴァルだもの。

 シュヴァルの匂いが、するもの」

「違うわ!」


 抱きすくめられて匂いを嗅がれ、本気で抵抗するものの、今度は簡単に逃げることは叶わなかった。


「私からシュヴァルの匂いがするなんてこと、あるわけが――」


 ない――と言い掛けて、アインは気が付いてしまった。ない訳がないと言うことに。

 この屋敷へ足を踏み入れて、アインは何度かシュヴァルに抱き着かれていたし、人形の墓場では一緒に居た。

 たったそれだけで? と思わなくもないが、匂いは移る。気配は残る。

 だとすれば、アインにシュヴァルの匂いが付いていてもおかしくはないし、目の見えないシルバーラビットが勘違いするのも仕方がないと思える――が、


「私は子供よ!」

「そうだね」


 力一杯引き離そうとするアインと、その力に逆らい切れずに遠ざけられるシルバーラビット。

 それでも腕の長さの違いから、完全に引き離されることもなく。背中に回されている腕を外すことが出来ないままに、アインは聞いた。


「僕と同じように成長してると思って、今まで子供は除外して来たせいで、気が付かなかった」


 つまり、


「……これまでのことは、全部シュヴァルを捜した結果だったと言うの?」


 孤独に苛まれた人間を攫うことも、子供には手を出して来なかったことも。

 それを、


「……あいつ自身も知ってたってこと?」


 気が付いてしまった事実に、アインの腕から力が抜けた。


「シュヴァル、また会えて、嬉しい」


 これ幸いと、シルバーラビットがアインを抱き込み、眼を閉じて嬉しそうに頬摺りをして来るが、アインは抵抗しなかった。いや、抵抗している暇がなかった。

 人形の墓場でのシュヴァルの言葉を思い出していたから。

 シュヴァルは言っていた。


――『あいつ』は、孤独に苛まれた人間を助けるために連れて来ていたわけじゃねぇんだよ。


――『あいつ』はな。捜してるんだよ。

 

それが自分自身であると言うことを知りながら、

 

――『あいつ』にとっても、人間たちにとっても、結局この世界は、本当の意味で幸福を齎すこともないし、孤独を埋めてくれるわけでもない。だから結局気が付いちまう。

 

 だからハイネスは幸福に囲まれている自分を生み出し、決して入ることが出来ないことを自覚して、現実に帰ることを決めた。

 自分のことを心配してくれている人間がいることを知ったから。その相手を見捨てるほどに、人間に絶望していないことに気が付いたから。

 だから『孤独の屋敷』から存在を抹消された。シルバーラビットはハイネスを認識出来なくなり、自分の捜していた相手ではないと気が付いてしまう。

 気が付いてしまったからハイネスは見捨てられ、これまで連れ込まれた人間たちは見捨てられ、屋敷の中をさ迷い歩き、力尽き、最後にはあの人形の墓場に連れ込まれて砕かれた。


 自分の身代わりに命を奪われ、人形と化した人間を砕き続けるシュヴァル。

 シュヴァルは誰よりもシルバーラビットの傍にいながら、自分を捜していることを知っていながら、決して自分からシルバーラビットの前に現れることをしなかった。

 それどころか、自分の代わりがいつか現れるのではないかと望んでいる節すらあった。


 シルバーラビットが満足出来る相手を見付けて来るのではないかと、期待している雰囲気すらあった。

 それが上手く行かないことに苛立ちを募らせている場面もあった。

 子供を襲わないと言っていた理由も分かった。

 シルバーラビットがシュヴァルを捜していたのだとしたら納得が行った。

 その上でアインに、『自分の代わりが出来るかも』と言った言葉の意味を理解する。


 実際、シルバーラビットはアインをシュヴァルと勘違いした。

 勘違いしているシルバーラビットと、シルバーラビットの目的を理解したアインの様子を、どんな気持ちでシュヴァルが見ているのかと思うと、アインの中に沸々とした怒りが込み上げて来た。


「……シュヴァルは、いるわ」


 怒りを押し殺した声に、『ここにね』と平坦な声が――喜びを表してすり寄って来る行動と伴っていない声が、返って来る。


「この屋敷の中に、『管理者』として」

「いないよ、そんなの」


 ふわりと笑みを浮かべて即座に断言された。


「いるわ」

「いないよ」

「いるの!」

「いないよ。だって、この屋敷にいるのは、僕だけだから。だから、嬉しいんだ。君が帰って来てくれて」


 そこでプツリと我慢の限界が来た。


「だから、私はシュヴァルじゃない!」


 殆ど癇癪のようなものだった。

 抵抗しなくなったことで完全に油断していたシルバーラビットが、軽々と突き飛ばされて後ずさる。

 対してアインは、声を荒げて現実を突き付けた。


「シュヴァルは別にいるのよ! ちゃんとここに! 『管理者』として、あなたの傍に!

 あんたも!」


 暗い天井を見上げて声を張り上げる。


「いい加減に姿を現したらどうなの! この、うさ耳変態黒ずくめ! 何もかも、あんたが全部元凶だったんじゃない!」


 しかし、シュヴァルが現れる気配は微塵もなく、


「どうして、そんなことを、言うの?」


 シルバーラビットの耳が感情を表すかの如く垂れ下がる。


「それは私が、シュヴァルじゃないからよ!」

「だから、どうして、そんなことを、言うの? 僕はもう、気にして、いないよ。

 だから、そんなこと、言わないで」

「知らないわ!」


 伸ばされた手を払い除ける。


「私はアイトゥーラ! ハンターよ! いい加減理解して!」

「そう……」


 と、シルバーラビットが呟いた。払い除けられた手を擦りながら。

 室内の気温が一気に下がったような気がした。

 背後でハイネスが息を呑む。

 アインのこめかみを冷や汗が流れ落ちる。

 体は寒気を覚えていると言うのに、嫌な汗が止まらない。

 アインは自分の失態を即座に理解した。


 シルバーラビットの不興を買い、腹いせにハイネスと離れ離れにされるかもしれないと危惧を抱き、振り返る。

 いきなり振り返られたハイネスが、ビクリと肩を竦ませる。

 アインは舌打ちをした。

 ハイネスと離れ離れにされるぐらいなら、シュヴァルを装ってハイネスを助け出しておけば良かったと後悔する。

 後悔すると同時に、アインは走り出していた。

 ハイネスと離れるわけにはいかないと、その手を掴もうとしたのだ。

 だが、


「!」


 アインの手が掴まれる方が早かった。掴んだのはウサギの手……ではなく、純白の陶器のような冷たい手。

 確認するまでもなかった。それでもアインは振り返っていた。

 うつむいたまま自分の手を掴むシルバーラビットの姿を。

 遅かったかと内心で歯噛みをする。

 こうなったら、先手必勝とばかりに、自由な左手に掴んだままの短銃を構えた時だった。


 アインは露骨に動揺した。

 上げられた無表情な顔。その頬を、透明な雫が伝って落ちたから。

 妖魔の涙を、アインは初めて見た。

 その衝撃の大きさに、アインは動けなくなった。

 ぽろぽろと流れ落ちる涙は止まらない。

 悲しいと表情に表すこともなく、ただただ流される涙。垂れ下がる耳。濡れて光る何も映し出すことのない青銀の瞳。

 それだけでも十分アインは戸惑った。それなのに、


「もう、置いて、行かないで」


 淡々と呟かれた言葉が、アインの胸を貫いた。

 大切な存在に置いて行かれることの切なさと悲しさが、一度に溢れ出た。

 父の死。母の死。そして、育ての親代わりだったミリシュとの別れ。

 何度も何度も置いて行かないでと、独りにしないでと縋ったことを思い出す。

 独りは嫌だと泣いて責めたことを思い出す。

 周りに同情する人間は多くいた。声を掛けてくれる仲間もいた。

 それでも、誰も代わりは出来なかった。その人たちじゃないと意味がないと、思わせられる時が必ずあった。自分を誤魔化せないときが必ずあった。


 そんな強い想いが、シルバーラビットによって引きずり出され、アインの目からも涙が零れた。

 嗚咽が零れそうになり、唇を強く噛む。胸が切なさに苦しくて、掴まずにはいられなかった。


「ようやく、会えたのに、違うと、言わないで。

 もう、怒って、ないから、行かないで」


 強く強く手を掴まれる。離れて堪るかと、強い想いが痛いほどに伝わって。

 それでもアインは首を振る。

 自分は違うと首を振る。

 目の見えないシルバーラビットには伝わらないと思いながらも首を振り、


「でも、どうしても違うと言い張るなら」


 シルバーラビットの様子が変わったのはそのときだった。


「もう一つのにおいを、消してしまおう」


 直後アインが何かを問う前に、再び闇の中を落下している自分に気が付いた。

 もう一つのにおいを消す――その言葉が何を指しているのかと問い掛けながら。


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