(2)
あまりに突然のことに、アインは思わず鍵を放り投げていた。
声は言っていた。
『あいつもう、勘弁できねぇ』『俺たちがいつまでも大人しくしていると思うなよ!』『私、もうやだよ。怖いよランディ』『なぁ。本当にやる気なのか?』『ああ。これ以上誰も辞めさせない』
聞き取れたのはそれだけだったが、衝撃は大きかった。
最後の声と、一つ前の声は聞き覚えのあるものだったし、出て来た男女の中に見覚えのある顔もいたような気がしていた。
「……今のは、ハイネスと……ラチェット? でも、何故?」
やや動揺しつつも、アインは再び鍵を拾いに行った。
恐る恐る指で突いた後に、覚悟を決めて鍵を手にする。
今度は何も起きなかった。
あれは一度限りのものだったのかと思うと、驚きのあまりに手放してしまったことを少しばかり後悔した。
しかし、後悔したところで何も始まらない。
アインは鍵を手に、鉄格子の入口へと足を向けた。
おそらくこの鍵は、入り口の鍵だと確信して。
案の定、鍵は開いた。開いて、鍵そのものが消え失せた。
特別焦る気持ちは湧かなかった。
開いてしまえば不要なものだった。
入り口を全開にして入る。
次の入り口を探すべく、大分鉄格子の右側に来ていたアインは、今度は左に向かって歩き始めた。ゆっくりとは歩かない。気持ちが焦っているからか、気が付くと小走りに近いものがあった。
その最中にふと、左の視界に何かが引っ掛かり、思わず足を止めてそちらを見れば、元々クッションの山があった場所に、五、六個ほどの白い長テーブルが現れているのが見て取れた。
いつの間に? と言う疑問が沸いたが、今更戻って確かめる気持ちはさらさらなかった。
それよりも問題は、目の前に現れた青いガラス玉の顔を持つ緑色の巨大芋虫。
色は違うが、先程の灰色の巨大芋虫と同じ形状のモノがいた。
ただし、先程のとは違い、左右へ大きく躰を振って躍動感たっぷりな様子で。
すかさずアインは手榴弾とマッチを取り出して――
慌てて床に這い蹲った。その頭上を、風切り音を上げて緑色の触手が通り過ぎたのだ。
触手は緑色の巨大芋虫から生えていた。
床を転がり、続く攻撃をも避ける。
鉄格子と鉄格子の間隔が広いお陰で逃げ回る分には問題がなかった。
問題は、
「なんでそんなに速いのよ!」
ゴロゴロと転がり、床を打つ触手の音を聞きながら怒りをぶちまけつつ、体を起こしてスタートダッシュを切ろうとする――が、スカートの裾を踏み付けて立ち上がりに失敗。
ガンと床に膝と手を突き、眼に涙が滲む。
「これだからスカートは!!」
誰にともなく怒りが込み上げ、アインは手榴弾を置いて反対側へ転がり直した瞬間、寸前までいた場所を触手が打ち払う。
置いた手榴弾が大きく弾かれ、次の鉄格子の向こうへ消えた。
アインは転がり起きて、片膝立ちになると、即座に猟銃を構えて発砲。
散弾が緑の巨大芋虫の胴体をわずかに散らす。
見る間に青いガラス玉の下に集い始める緑の巨大芋虫に向かって、最後の手榴弾を投げつけた。
狙い違わず緑の霧に内包される。
「……2……1……」
カウントダウンの後の爆発。
再び爆風にフードが煽られるのを耐えた後、頭を上げて様子を窺う。
やはり、黒い床に変化らしき変化は見えなかった。
ただ、先程の鍵のことがある。もしかしたらまた鍵が落ちているのかもと探しに行けば、
「あった……」
確かに鍵はあった。青いガラス玉の嵌め込まれた緑色の鍵が。
アインは暫し見下ろして、呼吸を整えてから鍵を手に取る。
再び、見知らぬ人間たちの声を聴き、姿を見た。
『やったな! ついにあいつを追い出せたぞ!』『やってくれるって信じてたわ!』『凄い凄い。これであたしたち辞めなくて済むね』『これも皆、お前のお陰だ、ハイネス』『俺は正直寿命が縮む思いだったよ。お前が狙われたらどうしようって思ってたんだぞ』
何かが成功した場面らしかった。皆が皆、笑顔だった。晴れ晴れしていた。中には泣いている者もいた。泣いて喜ぶほどの何かをハイネスがやり遂げたのだと言うことを理解するだけで精いっぱいだった。
強制的に映像を、それも早送りの映像を見せつけられて、映像が走り抜けた後のアインは、目眩がしていた。
眼を閉じて頭を振る。少しふらつきしゃがみ込む。
動悸がしていた。ドッドッドッドと小刻みに刻む鼓動を聞きながら、アインはこの部屋を抜けるためのヒントを理解した。あの霧の化け物を倒すと、それが鍵になって次の格子の先へと進むことが出来るのだと言うことを。
ただ一つ問題は、
「もしもこの先も全部、相手があんな雲とも煙とも付かないもので作られた奴だったとしたら、手榴弾がないのよね」
鉄格子の数はもっとある。ざっと見ても五。つまり、後五個の鍵を手に入れなければならないのだが、実体があるようでない相手にするための武器がなかった。
「ただ、少しだけ気になることがあるのよね」
それは、巨大芋虫の胴体を散らした後に起きた事象と関係していた。
「もしもあいつらの本体が、これ見よがしのあのガラス玉の部分だったら、あれさえ破壊出来ればどうにかなったりしないのかしら?」
ある意味では賭けだが、手榴弾は次の格子の先へと弾かれた一個だけ。残りは閃光弾や毒薬などだが、固体でもない相手に毒や光が利くとは到底思えなかった。
「まぁ、試してみるまでどうしようもないけどね」
溜め息を吐いて立ち上がる。今回は鍵を手放さなかったが、先程とさほど変わらぬ分量の情報しか入って来なかったな――と思いつつ、鍵の使える入り口を探して歩き出す。
また随分と左側へ移動することになった。
「次は大体真ん中の位置ね」
入り口を探している途中に次の入り口を見付けておく。
鍵を嵌めて捻って開ける。
役目を終えた鍵は消え失せ、アインは次の通路へ。
目星を付けていた入り口に向かって駆ける途中、アインは先程出現したテーブルの傍に白い人影が立っているのを見てギョッとした。幽霊が立っているのかと思ったのだ。
しかし、鉄格子に近寄ってよく見れば、服を着ていないマネキンだと言うことが分かりホッと安堵の息を吐く。
(テーブルの次はマネキン……何の意味があるのかしら?)
マネキンの数は六体。立っているのはテーブルの端の方に一体ずつ。
意味は分からなかったが、分かったことはあった。
鍵を手にするとハイネスに関わる仲間たちの記憶が見えること。
鍵を使うと消えてしまい、代わりに何かが出現すること。
それが何を意味するかまでは分からないが、心構えだけは出来た。
後は、鍵の元となるあの巨大芋虫が現れればと、鉄格子から離れて周囲を見回す。
チラリとハイネスの様子を見れば、座り込んでいるのが見えた。
腰でも抜かしたのかと冷ややかな気持ちになりながら歩き出す。一方で、
(……あの様子じゃ、もしかしたらハイネス自身もあの中から逃げられないのかしら?)
何となく、喚き続けていた理由が分かったような気がした。
もしも目の前に立ち並ぶ鉄格子がアインを近付けさせないと言う理由の他に、ハイネス自身をも閉じ込めると言う意味があったとしたら……閉じ込められたハイネスは、来るなと叫ぶしかなかっただろう。ただし、
「最後の格子を開ける鍵を手にした瞬間に、また屋敷がハイネスを逃がすかもしれないけどね」
と、呟いた時だった。
「出たわね」
入り口の前。黒い床からゆっくりと鍵の元が現れた。
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