思いつくまま

外崎 柊

第1話

どこから何を話せばいいのか、特に思い定めもしないまま書き進めるうちに何かと心に思い浮かぶ情景を言葉にしてみようかと思う。

子供のころから父親のことは嫌いだった。子供心の曖昧模糊としたまだ明確な論理性も倫理観ももたない状態でも、父親の常軌を逸した人間性を到底好きにはなれなかった。

特に女性に対してだらしがなく節操がなかった。飲み屋の女、自身が営む小さな靴の下請け工場の従業員の女にも手を出し、車の後部座席に座る従業員の女に対して、運転席から手を伸ばし、スカートの中をまさぐる様子を助手席の僕は漠とした面持ちで眺めていたのだと思う。まだそれが性的な意味合いをもつ行為であることの自覚も伴わず、ただ決してよくないことをしているのだという皮膚感めいた直感だけはあった。

浮気がバレるたびに母親の泣く顔と声がとても無惨で、おそろしく、僕は声を詰めて押し黙るほかなかった。

金遣いも荒く、特にパチンコには病的なくらいのめりこんでいた。浮気、借金、挙句の果てに交通事故を起こした。一旦は離婚し、母親と僕と弟は、母親の旧姓となり、母親の実家のある千葉県流山市に移り住んだ。交通刑務所に入り、刑期を終えた3年後にまた神戸でやり直したいという父親の意向と、千葉になじめなかった僕を母親が気遣ってくれた面もあった。

神戸市の隣の明石市の安アパートに引っ越しての再スタートとなった。

しかし、結果は一緒だった。刑務所に入ったくらいでは人間の根本は変わらない。


中学生のころからそんな父親に殺意を抱くようになった。中学二年生、14歳の時、女と出ていくと自宅に電話があった時、頭に血が上った僕はとっさにカッターをポケットに入れ、自転車に乗り西明石の駅周辺にあるパチンコ屋の店内を探して回った。

今考えれば、女と出ていくと宣言したばかりの男が、女とパチンコ屋にいるはずもなかったが、当時の中学生の頭では父親の行動範囲の想像がそれぐらいしかつかなかった。当然、店内をくまなく探してみても父親の姿はなく、背後から忍び寄り一気に喉を掻き切るという僕の殺意は空回りし、実行されることはなかった。


父親が自殺し亡くなった今でも行き場のない僕の殺意は胸の奥底で燻り続けている。死が過去を清算してくれるわけではなく、ただ、出口を塞がれた迷路に取り残されたような、不安で陰惨な気持ちだけが影のように付きまとっている。


大人になり、家庭を持ち、子供もいる今になってもそんな気持ちを持ち続けることが正しいこととは思ってはいないが、誰かに対して抱いた殺意は自分自身の一部も同時に殺している。殺されて欠けた部分はもう元に戻りはしない。

自分の胸に裁ちばさみを突き立て、警察の遺体安置所の冷たいステンレスの台の上に全裸で横たわる父親のあらわになったその喉を僕は掻き切るべきであったのかもしれない。完成されない殺意を満たすにはその瞬間をおいてほかにはなかった。しかし、僕はそうすることさえできず、警察が抜き忘れ、胸に突き立ったままの裁ちばさみの柄をまるでそれが父親の墓標であるかの如く凝視し続けた。バツが悪そうに慌てて裁ちばさみを遺体から引き抜く警察官を咎めだてもせず、今となっては血も流れ出ないぽっかりと空いた胸の傷をあらためて見た。父親の命が流れ出たその傷穴を。死の証としてのその傷穴を見て、僕はほっとした。言いようのない安堵感が頭の先から全身に広がっていくのを感じていた。

死は当事者にとっての安らぎであるばかりではなく、場合によっては周囲の人間に対しても安息であることを知った。

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