アンドロイドは電気コタツで夢を見る

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アンドロイドは電気コタツで夢を見る



 蛇口から流れ出る水道水の音とともに、泡だらけになった食器がカチャカチャと軽い音を鳴らしている。

 それらの泡を丁寧に洗い流しながら、人型家庭用多目的アンドロイド、機種名〈CoT-A2〉──通称『エーツー』は呟く。


「今年の冬は随分と冷えますね。水道水すら人体には少々不適切な温度です。まあ私には関係ありませんけど」


 すべての食器の泡を流し終えたのち、エーツーは水道の蛇口を締め、洗ったばかりの食器を小さな食器乾燥機に入れてスイッチをONにし、自分の手指やシンクに残った水を布巾で軽く拭う。


「──よし」


 忘れている家事作業がないかしばし思案したあと、エーツーは自分に課せられた本日の任務が九割がた完了したことを確認する。あとは自分のマスター、つまり所有者を入浴させ、彼女の髪を乾かし、彼女が寝たあとに戸締まりを確認して消灯するだけだ。


『お湯が沸きました』

「了解しました。今日もお疲れ様です」


 壁に設置された小さな給湯器リモコンから発された人工音声による通知に、エーツーは同じ家で働く“同僚”として挨拶を返した。

 勘違いしないでもらいたいのだが、いくらアンドロイドであるエーツーといえど単なるリモコンとの意思疎通はできない。比較的安価な機種とはいえ人格機能が搭載された人型アンドロイドの端くれであるエーツーと給湯器のリモコンとでは、そもそも“機器”としてのカテゴリが違うのだ。

 だが相手が言葉を用いる以上、こちらも最低限の礼儀と言葉遣いをもって接するべきだとエーツーは考えている。

 たとえ同じアンドロイドであったとしても、高い思考能力や耐久性を誇るハイエンドモデルと比べてしまうと、エーツーのようなミドルレンジモデルは明らかに見劣りのする安物に過ぎない。ましてや、それこそ宇宙や深海で働いているような一点物のアンドロイドと比べたら、エーツーなんて壁に付いたリモコンのようなものだ。

 だからエーツーは、自分がセール品として売られた型落ちであることをもし馬鹿にされても「安価で低機能であることが悪いわけではない」と軽く笑い飛ばせるよう、自分よりもさらに安価で低機能な機械に対して──たとえそれが壁に付けられた給湯器のリモコンであっても──最低限の礼儀だけはもって接するようにしている。


 簡単に言えば、言葉で話し掛けられたら言葉で返す。

 それが、エーツーがエーツー自身に課しているルールであった。


「マスター。お風呂沸いてますからそろそ……」


 居間にいるマスターを呼びに戻ると、彼女は先日購入してきた電気コタツに突っ伏して眠ってしまっていた。


「……まったく。またマスターはこのようなところで」


 エーツーは小さく溜め息を吐く。

 同人誌といったか。男性同士のカップルがくんずほぐれつしているコミック本を描いてたまにイベントで販売しているマスターは、今日も描きかけの原稿やペン、そしてインクなどをコタツの上に出しっぱなしで寝落ちしてしまったらしい。


「お風呂はもう少ししてからになりますね」


 寝起きに弱いマスターは、無理に起こしてもどうせまたすぐに寝てしまう。お風呂に放り込んだところでお湯に沈んでしまうのがオチだ。そう判断したエーツーは、後ほどまたお湯を温め直す計画を立てつつ、コタツの上に広がった紙や道具類を片付けてゆく。


「風邪を引いてしまいますよ。脆弱な人間さんめ」

「んみゅ……。んむう……」


 マスターのメガネを外し、その背中に毛布を掛ける。

 ゆるくウェーブのかかった甘い茶色の長髪に、少しおっとりとした印象の顔立ち。意外と胸も大きく、男女問わず目を引くスタイルをしているわりに、ルーズな性格のせいか自分の容姿にさほど頓着しない女性。それがエーツーのマスターである。

 古ぼけたアパートの一室に住むありふれた貧乏大学生である彼女は、セール品として売られていたエーツーを見つけるや否や、自分の貯金のほとんどを手放してまでエーツーを迎え入れてくれた。

 尤も、それは単に「家事をするのが面倒臭い」というだらしのない動機に支えられた散財だったのだが。それでもエーツーにとっては初めて自分を購入してくれた人物だ。たまに言い合いをすることもあるが、それでもエーツーは彼女に深く感謝をしているし、自分が壊れるその瞬間まで彼女の生活を支えようと思っている。

 無論、恥ずかしいので直接は言わない。


「この様子では、もうしばらく起きそうにありませんね」


 仕方ない。

 手持ち無沙汰となったエーツーは、マスターの対面からコタツに入ってみることとした。

 実のところ、これまで入ったことがなかったのだ。


「下半身を温めることで言い知れぬ心地良さを感じる……という知識だけはありますが」


 知識はあっても実体験は皆無。

 恐る恐る、エーツーはコタツの中に足を伸ばしてみる。


「ふあ──」


 瞬間、思わずそんな声が出た。

 それは、エーツーが感じたことのない圧倒的な癒し。

 端的に言えば至福だった。


「ほ……ほお……。これは……。また……」


 甘美なる快楽。まさにその言葉を形にしたような心地良さ。エーツーはその快楽をできるだけ冷静に受け止めようとするが、緩んだ頬は制御を受け付けない。

 エーツーは、マスターがいつもやっているように胸元までをコタツ布団で覆った。それまで下半身だけに当たっていた熱気が上半身にも回り、なるほど、布団に寝ているときのような感覚にも浸れるというわけか。エーツーはそう納得する。


「……いけません。これは堕落してしまいます」


 わかっている。人間に比べれば格段に冷静であると自負しているアンドロイドとしての思考力で自ら応じながらも、しかしコタツを抜け出すことができない。

 そして、コタツという存在に人類が負け続けている歴史的事実の必然性に思いを馳せながら、エーツーの意識は、やがてふわふわとした心地良さに包まれていった。





 あれは、そう。

 エーツーがまだ、複数ある『CoT-A2』のなかの単なる一台であった頃。

 前回の冬が終わる頃の話だ。


“これ、早く売っちまえよ”

“最新モデルじゃないからなかなか売れないんすよ。地味にこいつ性能よくて、あんまり安売りするとメーカーから怒られちゃいますし”

“新生活フェアとかで少しくらい安売りできないものかね。デモ用に起動してあるんだから、もう新古品扱いできるだろ”

“そうっすよね。店長に掛け合ってみます”


 当時、店頭でのデモンストレーションのために起動されていたエーツーは、年末年始の新製品ラッシュに翻弄されるがまま、電気屋の隅に追いやられ、ひっそりと展示販売されていた。本来は喜ばしいことだが、技術的な進化が進むにつれ、エーツーの周囲にも新しいアンドロイドたちが並べられ、エーツーなどより明らかに性能の良い家庭用アンドロイドたちが次々に購入されていった。

 もちろん、世間的には“アンドロイドたちが自らの自由と安全を追求し幸福と休息を得る権利”こそ保証されていたが、アンドロイドが人の手によって作られ、必要とされる場所に売られる電化製品である以上、エーツーのようにあぶれてしまう物は多少なり存在する。人間でさえ不要になると“追い出し部屋”なる部署に寄せられて捨てられるのだ。アンドロイドでもそれは同じというだけの話である。


“こいつ、新生活フェアのセールに出していいみたいっす”

“何割引きだ?”

“新型の売れ行きが好調だからスペース空けるのを優先で、なんと半額っす”

“よっしゃ。ならキッチン家電とかと一緒に並べとけ。ポップはちゃんと目立つように書いとけよ”

“わかりました”


 そんな会話が交わされたのち、エーツーは電気ケトルやたこ焼き器なんかと一緒に『欲しかったものを今ここで! 最大50%オフ! 新春・新生活応援フェア!』のコーナーに置かれた。埃が乗った展示ケースの掃除は最低限行われたが、つまりは在庫処分であった。

 無論、半額とはいえ人格機能が搭載された家庭用の人型多目的アンドロイドだ。ポップに書かれた値段は決して安価な額ではなく、セールだからといって容易に売れるわけでもない。エーツーと同じ型番のモデルにリコールが相次いだこともネガティブに働いていた。店を訪れた多くの人々がエーツーを横目に見つつ、最新モデルのアンドロイドや家電を買っていった。


 彼女がやってきたのは、そんなとき。

 静かに雪が降りはじめた、薄暗い曇りの日だった。


「──さっむ。そりゃ雪も降るよね。ちょっとヒーターでぬくぬくさせてもらっちゃお」


 その女性、つまり現在のマスターは、頭に乗せた雪をぷるぷると犬のように振り落とすと、店頭デモとして動いている電気ヒーターに狙いを定めて足を一歩踏み出し──、

 その瞬間、エーツーと目が合った。


「え、うそ、マジ!? あなた半額なの!? やった……! これならギリギリ手が届く……! ずっと欲しかったんだよね家庭用アンドロイド」


 半額で売られているエーツーを見るや否や、そのように騒いだ彼女は、しかし「でも本当にいいのかなこの値段で。店員さんに確認とったほうがいい? でも表記ミスだったら困るなあ。知らないふりしてレジに購入券出しちゃおうかな」などと一人でしばし考え込んだのち「あ、そうだ」とエーツーに目を向けて、


「ねえ、あなた。このポップに書いてある値段って本当にこれでいいの? 間違いだったりしない?」


 毟り取ったポップをこちらに見せながら、ガラスケース越しにそんなことを聞いてきた。

 誰かに話し掛けられたのは久しぶりだ。エーツーはそんなことを思いつつ、


「──はい。半額となっております。その価格で間違いありません」


 答えると、彼女は「やった! しかもめっちゃ声かわいい! よく見たらケースが汚れてるだけで美品だし……って言うか新品じゃん!」とまた騒ぐ。


「私は店頭デモとして起動されているもので、多少の劣化はありますが、お客様に購入された履歴はございません」

「おお……」


 エーツーの言葉に──というか、アンドロイドと会話することそのものに少し興奮していた様子の彼女は、しかしふと「……そっか。不用品ってことか」と呟いて、


「もしあなたが嫌じゃなければ、私の家にお迎えしたいんだけど、いいかな?」


 私ってば家事とかぜんぜんできないからさ。ずっと家庭用アンドロイド欲しかったんだよね。お財布とかも管理してほしいし。そう付け足す彼女。


 電化製品にわざわざ購入の許可をとる必要などございません──。

 エーツーはそう返そうとしたが、口から出ていたのは違う言葉だった。


「──はい。喜んで」





「……私としたことが」


 ふと我に返る。文字通りの体内時計を見ると二時間近くが経過していた。


「コタツの魔力、恐るべし……」


 これではマスターに「寝るならお布団で寝てください」と強く言えないではないか。

 エーツーはそんなことを思いながら、そのマスターに視線を向けようとして、


「……いない」


 コタツは既にもぬけの殻であった。

 そして寝室として使っている隣の部屋からは微かな寝息の音。


「やらかしました」


 まさか先に起きて、そして寝ているとは。

 お湯やシャンプーの匂いはしない。

 なんたる失態。彼女をお風呂に入れ損ねてしまった。


「……ま、これに免じて、今日のところはいいとしましょう」


 ただし次はありません。

 自分の肩に掛けられた毛布を頬に寄せ、エーツーは小さくそう呟いた。



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