苦労の報酬

きりん後

苦労の報酬

「お前等に機械はまだ早い」


 という上司の一言によって、私たちは携帯、パソコン、電話、コピー機、その他諸々に至るまで機械の使用を一切禁じられた。せっかく就活を経て入った会社である。業に入っては業に従えと、私たち新入社員は渋々ながら上司の命に従った。


「大事なものは無くなった時初めて気が付く」と言うが、まさしくその通りで、私たちは機械が無くなって初めて如何に自分が普段機械に頼って生きているかを痛感した。


 例えば社内での報連相や、先方とのやり取りにメールを使えないとなると、直接足を使って伝えにいなくてはならない。社内での報連相であれば数歩先のデスクに上司が座っていることもあるが、上司が出先だったりするとそこまで会いに行かなくてはならない。勿論、移動に電車やタクシーを使ってはならず、また自転車も機械に含まれる為使用不可である。移動手段は、徒歩に限られる。しかも、上司に会いに行く際に、どこで落ち合うかの連絡もできないので、(それができたらその場で報連相を済ませるが)上司がいると情報が入った場所まで向かわなくてはならない。しかも向かった先に上司がいれば良いのだが、既に他の場所に出立しているというパターンもある。何をするのにも上司の確認を取らなければならない新入社員の身には大変な苦労である。


 また正式に担当されていないとはいえ、新入社員にもやり取りしなければならないクライアントはいる。今回私たちに課せられた規則は社内では共有されているものの、先方の了解を得たものではない。その齟齬をどうすれば良いのかを上司に尋ねたところ、


「連絡する時は、『たまたま近くを通ったので』と言え」


 とのことであった。何とも適当な言い訳である。その上、対上司だろうと対クライアントだろうと、連絡の遅れには激しく叱咤し、また、規則を理由にすると、「規則を怠慢の言い訳にするな」と更に怒声が飛ぶ。


 このような決まり事のせいで、働き始めた私たち同期の中からは、当然直ぐに脱落者が出た。彼等は残された体力の最後の一搾りを用いて辞表を書いた。つまり退社後直ぐに会社の横暴をどこかに告訴する元気がない程消耗し切っていたので、環境の劣悪さが外部に漏れることはなく、体制は変わらなかった。


 そのような状況下でも、私を含めた、数人の残された同期たちは踏ん張っていた。そのエネルギーの源は会社に対する怒りであった為、活力は無限に湧き出た。しかも私たちには就業後飲みに行って愚痴を言い合う時間さえなかったので、怒りによるエネルギーが発散できるのは働いている時のみとなった。働くことでエネルギーが蓄えられ、蓄えたエネルギーで働く。当時の私たちは世界初の永久機関であった。



 しかし転機は急にやって来た。


 ある猛暑日のことである。私はとある会社に向かって、発注数の間違えを正しに行く為に後方に汗を流しながら走っていた。


 最悪なことに、失態に気が付いたタイミングは全てを済ませた後であった。発注しに先方に出向き、それを出先の上司に報告しに行き、会社に戻って一息つきながら、なんとなく資料を見返していた時だった。


 すぐさま、私は上着をはためかせながら会社を飛び出した。


今日は金曜日、発注した先方の工場は土日を問わず稼動する。今止めなくては、取り返しつかない損害を被ることとなる。


 私は走りながら自分がやらなくてはならない工程を順番に考えていた。まずは、上司への報告、次に発注数の訂正である。上司への報告の工程を省略することも考えたが、以前それをしてお灸を添えられたので、省くことはできない。それにもし上司の機嫌が良ければ、特別に上司から先方に電話をしてくれるかも知れない。


 私は上司がいるという、会社から15キロ程離れた企業があるビルがやって来た。目的のオフィスがあるのは8階である。勿論、エレベーターは使えない。立ち止まると疲れが一気に襲って来るのを知っていたので、私は躊躇することなく非常階段を上り始めた。一段ごとに足の重さは増していったが、私は無理やりそれを8階分持ち上げ続けた。


 得意先に到着し、受付の電話で本部にかけた。ゼェゼェと荒い呼吸をし、辛い唾を飲みながら、


「たまたま、近くまで、来る用事が、ありまして、ご挨拶を、しようと、伺いました」


 と言うと、私と同世代の顔馴染みの社員が顔を出した。その人物は、先ほどの私の台詞が、「私の上司の○○いますか?」の隠語であることを承知してくれている為、直ぐに上司が在か不在かを答えられる筈なのだが、中々口を開かなかった。 

恐らく、汗だくの私の姿を見て、答えを口にするのを躊躇っているのだろう。


 その沈黙が、何よりの答えだった。


「失礼、致します」


 と言いまた非常階段に足をかけた時、その社員に呼び止められた。社員は少しの間姿を消してから、ペットボトルを片手に足早に戻って来た。


「すいません。場所は分らないんですが・・・」


 消え入りそうな声でそう言う社員の目には、涙が浮かんでいた。私は心からの礼を言い、ペットボトルを受け取って階段を下りた。


 ビルから出た私に、途方に暮れている暇はなかった。とりあえず15キロの道のりを遡って会社に戻らなくてはならない。そこに上司がいなくても、どこにいるかは分かる。


 既に没そうとしている太陽の橙が目に入った汗を照らす。眩しさのせいか、しみたせいか、とにかく鋭い痛みが走ったが、私はペットボトルに口をつけると、直ぐにまた走り出した。


「サラリーマンの基本は身だしなみから。スーツも革靴も皮膚の一部だと思え」


 先程から踵に強い痛みが走っているが、命令によって運動靴に履き替えることなどできない。感覚的に、靴擦れによってかさぶたが根元から剥がれたのだろう。差し掛かった横断歩道は赤信号になっていたので、踵に目をやると、革靴の間で粘っこい血が糸を引いている。 


「嫌なものを見てしまった」と思い、治療をしている暇なんてないのに傷の具合を確認した自分を責めた。そして青信号になった瞬間、痛みの感覚を振り切りながら走った。


 行き交う人々は、私を除いて皆クールビズである。この季節にスーツ一式で疾走する私への無数の嘲笑と憐みの目を縫って、私はメロスのように太陽と競争しながら走り続ける。しかしこの先で目的を達成したところで、私は英雄になるわけではない。上司よりも王を怒らせる方が罪は大きいだろうに。


 行きに対し倍の時間がかかってしまったが、会社のビルに戻ることができた。会社があるのは14階である。既に足には、それだけで上り切るだけの力が残されてなかったので、非常階段の手すりを手繰り寄せる様に上った。疲労の蓄積が体感されてしまうので、俺は途中から階数を数えるのを止めていた。ただ峠のように高く感じる一段一段の繰り返しを無心で越え続けた。


「肩で息をする」という表現があるが、オフィスの階に戻って来た時の俺は、「背中で息をしていた。」膝に置かれた手腕が体を支えてなければ、床に突っ伏してしまいそうだった。体力は限界に近い。「頼む、上司よ、居てくれ」と、祈るような気持になりながら顔を上げた。


 俺は行幸した。デスクに上司の姿があったのである。


「おお、どこ行ってたんだ?」


 呑気に、この前の旅行で買って来た和菓子を自分で食っているが、それに怒っている場合ではない。


「実は、✕✕社への、発注ミスがありまして。それを訂正しに行くという、ご報告を、しようと」


「なんだと?今直ぐに✕✕社行って来い!」


 上司の言葉に膝から崩れ落ちない様にするのが精一杯だった。


「あの、もう、時間がありません。課長の、方から何とか、お電話をして、いただけないでしょうか、お願いします」


 そう言ったところで、いよいよ腕でも体を支え切れなくなり、手が床に付いた。息が喉の中を鋭く往復する度に血の味がして辛くなり、どうしようもなく涙で景色が滲んだ。 


 すると肩に掌が触れた。顔を上げて目を凝らすと、上司の微笑みがそこにあった。


「きっとお前にも、いつかこの苦労の意味が分かるよ」


 そう言うと、上司は俺に何かを握らせ、俺の脇に腕を入れて無理やり立たせると、出口に向かって乱暴に俺の背中を押した。


「行って来い!」


 その勢いの余韻で、呆然としながらふらふらと非常階段を下りる。手の中に握らされたものを見ると、それは土産のくりきんとんだった。


 ビルを出て街明かりに照らされた歩道に影を落としながら歩いていると、自分が非常にちっぽけな存在に思えた。発注先の会社へは、20キロ程の距離がある。時計を見なくても間に合わないことは明白である。(時計も機械に含まれるので時計台のそれであっても見ることを禁じられていたが)


「諦め」の二文字が脳内いっぱいに大きく表れて、倒れていった同期たちの墓標に自分も名を連ねている景色が簡単に頭の中に浮かんだ。自分を突き動かしていた復讐心は折れ、エネルギーが供給されなくなった体は抜け殻となり、歩くというよりは漂った。


 しばらく道を進むと、人だかりが出来ているのが見えた。近付くと、音楽が聞こえて来る。普段は路上ミュージシャンに足を止めることもないのだが、私は思わず歌声に耳を傾けた。


 たいして上手くもない。個性のない歌声である。歌詞もうすっぺらで、歌い手が乗り越えて来た困難と、それを受容する感性が大したものではないことが容易に想像つく。人ごみを掻き分けて近付くと、予想通り、ルックスも特別なものではない。そのミュージシャンを構成する要素全てが私の神経を逆撫でして来る。


 私は今迄仕事にぶつけて来た不満を、内心でそのミュージシャンに発した。


 お前はそうやって頑張っている風を装っているが、結局のところ誰かに拾ってもらう為にアピールをしているだけなのは見抜いている。きっと拾ってもらった先では、当たり前のように自分を育て売り出してくれる環境があるのだろう。当然の様に音響設備が整ったレコーディングスタジオが用意されるのだろう。ライブ会場が用意されるのだろう。そしてそのことに特別な有難味を覚えず、ぬくぬくと自分の才能に酔うだけなのだろう。最小限の努力で過去の成功モデルを踏襲しようとする恥知らずめ、私の苦労を見ろ。機械に頼らず、体がボロボロになるまで自分の脚で歩き、何とか食い物にありつこうとする誇り高き姿を見ろ。これが本来あるべき人間の姿だ。既存のシステムに甘んずることなく、自分の四肢で自らの生命を維持してゆく。これが本当の生活者なのだ・・・。


 そこまで考えた時、私の姿は既にミュージシャンの目の前に無かった。私は、再び目的地に向かって駆け出していたのである。


 私を駆り立てたのは、自分が今まで培って来た苦労への誇りであった。これまで誰よりも苦労をして来たのだ。一般的な会社員よりも、挫折した同期たちよりも、上司よりも、そして勿論、あのミュージシャンよりも、誰よりも酷い目に遭って来た。だから、誰よりも幸せにならなくてはならない。誰よりも大きい苦労の分の、誰よりも大きい幸福を絶対に取り返さなくてはならない。途中で折れれば、苦労は苦労のままだ。事を成した時のみ、苦労は幸福へと変わるのだ。


 私は何とか✕✕社の就業時間に間に合った。発注の誤りを謝罪し、数を訂正し終わった時、私の中に怒りのエネルギーは無く、代わりに上司への感謝の念が溢れるほど沸いていた。


 上司の伝えようとしたのはこうゆうことなのだ。苦労は、その大きさの分、幸福への執着心を強くする。戦後ひもじい想いをした人々の復興力は凄まじいものだったそうだ。上司はそのハングリー精神を私に学ばせようとしたのだ。


 私はビルを出た後、会社への道すがらくりきんとんを頬張った。口の中に唾液はほとんど残っていなかったが、幸福になるまでは流してはならないと飲み込んだ涙がその代りになった。

 


 以来、私はあの時の体験を糧に働いて来た。


今や私も管理職、あの頃の上司の立場である。当時は分らなかった上司の苦労も今となっては身に染みて分かる。今頃になって、当時の助言が効いて来る。


 だから私は今年も、戸惑う新入社員に無理やり、踵と裏太ももが密着するように限界まで膝を曲げさせ、私自ら彼等の足首と太ももをガムテープで巻き固定しながら、彼等の成長の為に心を鬼にして言うのである。


「お前等に二足歩行はまだ早い」


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