俺の部屋から出られない

きりん後

俺の部屋から出られない

 ぼやけていた天井が徐々に鮮明になってゆく。時計に目をやると、もう10時である。


 休日とはいえ、寝過ぎたかも知れない。


 とりあえずここ数日世話してやれていないベランダの花に水をやりながら朝日(というには遅いかも知れないが)を浴びようとカーテンに手をかけた。勢いよく開けると、目の前に抱き合いながら熱烈なキスをしている男女が現れた。


 —――慌ててカーテンを閉めた、目を痛くなるほど擦る。見間違いか?見間違いだろう。まだ夢を見ているに違いない。しっかりしなくては。


 しかしカーテンを開けると矢張りラブシーンの真最中である。本人たちは夢中な余りこちらに気が付いていない。


 また閉めた。そして今度は少しだけ隙間を開けて様子を観察した。見たこと無い二人である。年は二人とも子供が中高生くらいの中年だ、夫婦ではないだろう。恐らく不倫だ。恋愛というものは、それが社会から抑圧されるタイプのものであるほど盛り上がるものだ。まして中年ともなれば、久しぶりの熱愛、しかも最後の恋愛になるかも知れない。あの抱擁と接吻の猛烈さにも頷ける。そっとしておこう。


 いや頷けない。何故こいつらは人様のベランダでディープキスしているのだ?他に会う場所がないので俺の部屋が密会の場所として白羽の矢が立ったのか。流石に他にあるだろう。それとも人様のベランダという場所が背徳感をより情熱を高めるのに丁度良いのだろうか。


 とにかくこの不貞に注意しなくてはならない。俺はいよいよカーテンを全開し、窓も開け、ベランダへと一歩足を進めた。しかし自分の部屋の敷地内であるのにも関わらず、二人にかける言葉が出て来ない。声をかけるのが忍びない。寧ろこちらがアウェイな気さえしてくる。


 生理的現象と言っても差し支えないような斥力が自らに働き、俺は再び窓とカーテンを閉めた。


 その内飽きて帰ってゆくだろう、それまで放置しておくことにしよう。

 とりあえずシャワーを浴びることにした。気を紛らわすことでしかこの最悪の朝を塗り替えられそうもない。汗と共にあの光景を洗い流すこととしよう。


 しかしバスルームからシャワーの音がしていることに気が付き、嫌な予感がした。ドアを開けると、今度はそこで背中に大きな刺青のある女性がシャワーを浴びていた。


 ドアを閉める。俺は自分の部屋に女性を連れ込んだことはない。記憶がなくなるほどの飲酒の力を借りて女性を口説くようなこともしない。ましてやあんな、いかにも訳ありそうな女性なんて。


 これは不法侵入ではないか?ベランダの男女と違い、この女性は部屋に足を踏み入れている。いやベランダの男女も玄関から部屋を通ってベランダに行ったのではないか?そもそもベランダだって不法侵入の対象ではないのか?


 冷静になると急に恐怖が押し寄せて来た。通報しようと受話器を取る。


 しかしどう説明すれば良いのだろう?


「あの、ベランダで逢瀬を重ねている男女がいて」長い間があるだろう。

「えっと、ちょっと状況が分からないのですが」と返って来るだろう。

それに対して俺は詳細に伝えられるだろうか?

「その人たちは声をかけても動いてくれない感じですか?」答えられずにいる俺に当然の質問が来るに違いない。

「いやまだです。でもあと、知らない刺青の女性がシャワーを勝手に・・・」とにかく救って欲しい気持が先走った余り訴えるが、そこで俺は受話器を取ったこと自体を後悔するだろう。その女性にも声はかけていないし、一夜の過ちがなかったと言って、どこまで信用してくれるのだろうか?違法の薬に手を付けているとも疑われかねない。


 俺は思い留まった。まずは自分で動かなくてはならない。俺はわざとらしく大きな欠伸を発したり、足音を立てたりしたが、すりガラスの向こうの紺色の浮かぶ肌色が動揺している様子はない。矢張り直接声をかけなければならない。


 意を決してドアを開け、


「ちょっとすいません」


 と切り出した。すると彼女はこちらを見て、反射的に胸と恥部を隠しながら後ろに飛び退いた。その瞳孔は明らかに大きくなっていた。さらに「な、なんですか?」という言葉を投げられた時には、俺は自分が不審者になったつもりになってしまった。


 慌ててドアを閉めた。しばらくするとシャワーの音は安定した。俺の心臓はまだ早い脈を打っていた。何故かまだ手入れしてなかったムダ毛等を見てしまったことも申し訳なく思われた。ベランダの中年カップルと同じように、こちら側がアウェイになった気分だった。


 いや本当にアウェイなんじゃないだろうか。


 本当は中年カップルや裸の女性の部屋に俺が間違いなく上がり込んでしまっていただけなのではないか。そうだとしたらそれはとんでもなく大きな失敗である。俺は、自分の部屋だと錯覚しているかも知れないその部屋を見直すことにした。


 足取りは慎重だった。一度抱いた疑念によってそこは先ほどとは全く別世界に思えた。自分の机だと思われる机に明かりを点け、自分の日記だと思われる日記を開く。そこには自分の字と思われる字で、「金曜日。会社の意向で早くに退社したが、前田からの誘いを断り、仕事が残っていたので先ほどまで作業して終わらせた。何がプレミアムフライデーだ」と昨日のことが書いてある。


 ・・・自分の部屋で間違いなさそうだ。安心したが益々思考にかかった重い雲がその存在を俺に表した。では奴らは一体何者なのだ。


 俺には対処法が見つからなかった。自分の部屋であるからといって、反射的にドアを閉じてしまうのには変わりないだろう。つまり通報の手もない・・・


 腹が空いていたわけではなかったが朝食を食べることにした。何かに手を付けていないと気が済まない。確か昨日作ったおでんが残っていたはずだと冷蔵庫を開けると、中学生くらいの男子が自慰をしていた。


 こちらに視線にも温度の変化にも気が付かないほど必死なので様子を見ていた。


 よく折りたたんだなと感心するような無理な体勢をしている。頭と足が逆さまになっており、両脚でスマホを挟みオカズのエロ動画を流している。そちらに向かって首を伸ばしている為ほとんど首で倒立をしており、また頭で見えないが両手ともを自慰に使っているようである。悟られないように息を止めながら股間を覗くと、両手で昨日俺が作ったおでんのこんにゃくでしごいている。


 思わず吹き出してしまった。例のごとく「何覗いてんだよ」という目に刺されたのでドアを閉める。食欲がなくなるばかりか、吐き気を催して来た。トイレに駆け込むと、数人のサングラスをかけた黒服の外国人男性たちがひしめき合うように入っており、見るからに違法の薬を売買している真最中だった。もう外に行こうと玄関のドアを開けようとした時嫌な予感がしてドアのガラス穴を除くと、着ぐるみの背中から汗だくの上半身を出して休憩する初老のおばさんが見えて諦め、テレビを点けるとどのチャンネルでも密やかに自分の女装姿を楽しむ男前が映った為消した。


 いよいよ110に電話をすると、「もしもし斎藤ですけど」と返答が来たので慌てて切った。また110に電話をすると、「もしもし斎藤ですけど」とまた同じ間違い電話である。今度こそと110に電話すると、「斎藤ですけど、さっきから何ですかあなた?」と埒が明かないので通報は諦めた。


 俺は部屋の隅に小さくなって座り込んだ。そして俺は理解した。自分は今彼等の手によって、「自分の部屋に閉じ込められている」のである。


 俺はこのまま餓死してゆくだろう。きっと奴らは周到な殺し屋集団なのだ・・・。


【出演】


「ベランダディープキス」の愛と誠


「和彫りバスルーム」のリエ


「冷蔵庫こんにゃくオナニー」のよっしー


「便所マフィア」のジョージ・ボブ・マイケル


「ドリームブレイカー」真紀子


「秘密の女装癖」岡本


「電話ジャック」斎藤


【非出演】


「野菜室かくれんぼ」のキラリ


「たんすヘソクリ数え」の良枝


「炊飯器胎児」のポーちゃん


「床下黒歴史」の淳也


「洗面台下リストカット」萌


「ゴミ箱詐欺メイク」涼子


「クローゼット土下座」哲也


「ラジオファンキモがり」ユイナ


「エアコンガリガリホモセックス」公平&優太


「天井裏秘密の奨学金返済内職」実母


「机の引き出し特定外来種」ワニガメ


「洗濯機に封印されし諸悪の根源」サタン


「コップの中」の小人たち


前の住人の地縛霊

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の部屋から出られない きりん後 @zoumaekiringo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ