第10話 自動回避が仕事をしない件について
俺はすかさずキッチンの方で湯を沸かしているメイドを見る。
すると明らかに目が合ったのに、プイッと目を逸らしやがった。
コイツ……まさか!?
ある想像が脳裏に浮かび上がる。
さっきも懸念した通り、メイド……というか四奈川の情報網を駆使すれば俺なんてすぐに見つけられたはず。
それなのに見つからないと四奈川には言った。
加えて俺に話しかけるにはどうすればいいかと四奈川は相談したのに、二年間は話しかけるなと案を出す。卒業しちまうだろうが。
ああ、なるほどね……。
謎はすべて解けた。
俺はその足でメイドの方へ向かう。そして四奈川に聞こえない声音で喋る。
「今の聞いてたよな? 絶対あんた、わざと情報を知らせなかっただろ?」
「さあ? 何のことですか?」
「俺と親密にならないように、できるだけ俺と四奈川を遠ざけようとした。違うか?」
俺はさっき思いついた自分の考えを教えてやった。
「へぇ、少しは頭が回るようで。おめでとうございます、今後はゴミ虫からゴキブリ野郎に格上げですね」
「……それってレベルアップしてんの?」
「もちろん。あなたにしては大躍進です」
ゴミ虫かゴキブリか……どっちも嫌なんですけど。
「……ま、いいや。認めたってことは……」
「ええ、その通りですよ。あなたのことなど、受験日以前から熟知していました」
「じゅ、受験日以前?」
「お嬢様なあのように見目麗しいお方です。あなたのような卑しい男どもの汚い手によって汚されるわけにはいきませんから。ですからお嬢様がお座りになられる席の周りのゴミ虫を把握しておく必要があったのです」
「……どこまで過保護なんだよ」
「過保護? 過保護ではありません。必要な護衛です。お嬢様は幼い頃に何度も誘拐未遂を受けていますから。そのすべてが変質者でしたが」
「うわぁ……災難だなそりゃ」
しかも身代金目的じゃなくてロリペド野郎だったとは……。
「お嬢様はあのように純朴な方ですから、誰かを疑うとかできません。ですから常に護衛の我々が安全を確保しておく必要があるのです」
「なるほどね……」
「あなたが女性なら問題なく情報をお届けできたのですがね」
俺が男だったからこそ、四奈川と触れ合わないように遠ざける方法を選んだというわけらしい。
「それなのに同じクラスになってしまうとは……ああ、腹立たしい」
「……もしかして【花咲公園】でずっと俺を睨んでたのは、最初から俺のことを知ってたからってのもあったり?」
「当然です。しかし残念です。あの場であなたがお嬢様の身体に少しでも触れていれば、それを理由に東京湾に沈められたものを」
「罪と罰がまったく釣り合っていませんが!?」
そもそも少し触れただけで殺されるって、四奈川は神か何かなのかよ!?
「あのぉ、お二人だけで何を話されてるんですか?」
いつの間にか四奈川が近づいてきていたが……あれ?
「し、四奈川、何でそんな膨れっ面なんだよ?」
「むぅ……だって、有野さんってば乙女さんばかり構ってズルイですもん! 私も構ってください!」
「お嬢様、いけません。無暗に男に構えと言うなど、世界遺産にも等しい……いや、それ以上のあなたの貞操が危険に晒されます」
ああもうコイツ、四奈川のこと好き過ぎだろう。
「貞操……!? そ、そんな……有野さんダメですよ、そういうことはその……きちんとお付き合いしてからするべきであって。あ、でも手を繋ぐくらいならいいんでしょうか? それともキス……っ!?」
ぼふんっと顔を真っ赤にして湯気を出す四奈川。
一体何を想像したのだろうか。
それよりも四奈川の貞操かぁ。
スタイル抜群の四奈川の裸をついつい想像してしまう。
すると首筋に冷たい感触が走る。
「メ、メイドさん? ほ、ほ、包丁が首に当たってるんですが?」
「当ててるんですよ?」
「ああ変だなぁ。その言葉って男なら嬉しいはずなのに、何故か寒気と絶望が止まらないぃぃぃ……!」
またもや考えを読まれたようで、窮地に追い込まれてしまった。
ていうか仕事しろよ《自動回避》!?
「……あ、もうダメですよ乙女さん! 有野さんに危ないものを向けたらメッ、です!」
「すみませんでしたお嬢様。以後気をつけます」
絶対に嘘だな。バレないように気をつけて殺そうとしてくるはずだ。
「そ、そんなことより四奈川。話しかけるなって言われてたのに、よく今日は声をかけてきたな」
「あ、それはですね…………練習の成果で」
「ん? 練習?」
「はい! コレです!」
そう言って彼女が懐から取り出したのは写真だ。しかも何十枚も。
そんな枚数を常に持ち歩いてることにも驚いたが、それよりも驚愕だったのは……。
「お、俺の写真……!?」
そう。全部俺がドアップで映っている写真だった。
カメラ目線は一つもない。明らかに隠し撮りされたものである。
しかも授業中に寝ているものまである。あ、よだれ出てるし……恥ずかしい!
「ちょっ、いつ撮った……メイドの仕業か?」
この現物をこの世に生み出したであろう存在に気づく。
「お嬢様のために仕方なく。私だって苦痛に涙を流しましたよ。何故あなたみたいなパッとしない物体を撮らないといけないのか……」
パッとしなくて悪かったな。ていうか物体言うな。
「これで毎日毎日挨拶の練習を……声をかける練習をしたんです! それでも今日、話しかけるには勇気がいりましたけど、もしかしたら今日がラストチャンスになるかもしれないと思いまして」
彼女が言うには、世界がこんなことになってしまったことで、学校だって休校になったし、いつ再開するかも分からない。下手をすれば二度と同じ学校には通えないかもしれない。
そう思ったらいてもたってもいられず、頑張って声をかけることに成功したのだという。
あーそういや緊張してるって言ってたっけか。それに咳も……。
てっきり風邪だと思っていたが、事情を聞いた今ではそうではないことを知った。
「有野さんはいきなり私が話しかけたにもかかわらず、ステータスについても詳しく教えてくれて、本当に……優しい人です」
「いやまあ……あまり褒めないでくれる? 照れるから」
「気持ちが悪いです」
「君はもうちょっと俺を褒めてみようか!」
本当にこのメイドはいつになったらデレてくれるんだ!
ツンデレメイドは萌えキャラだが、ツンダケキャラはいらねえんだよ!
「改めて言わせてください。あの時、飲み物をくださりありがとうございました」
「あーうん、まあ別にいいって。ハッキリ言って俺は忘れてたしさ」
「それでも私にとっては感謝すべき出会いでした」
「……じゃあまあ、礼は受け取っておくよ」
美少女に礼を言われるのは悪い気分じゃねえしな。
「立ってるのも何だし、さっさとリビングに行こうぜ」
そうしてメイドが淹れて用意してくれた茶菓子を持ってソファへと向かった。
「ん……美味い」
「ですよね! 乙女さんの淹れてくれるお茶はとても美味しいんです!」
さすがに敏腕メイドといったところか。
家にあったお茶っ葉を使ったはずなのに、どうしてこんな良い香りが際立ち甘みさえ感じるような味が出せるのだろうか。
「もったいないお言葉です、お嬢様」
「いや、マジで美味い。おかわり!」
「自分で淹れてください」
「冷たっ!?」
「ふっ、冗談です。湯呑を頂きますね」
若干気を良くしているように見える。あれだけツンツンしていても、やはり自分が淹れた茶を褒められるのは嬉しいものなのかもしれない。
「そういえば結局何の用があって俺ん家に来たんだ?」
「そ、それは……気になりまして」
「気になり?」
「言ったでしょう。お嬢様は突如いなくなったあなたを心配されたのです」
「あーそいつは悪かったな。次からは気をつけるよ」
次があるかは分からんがな。
「それに先程ニュースでもやっていました。できるだけ一人で行動しないようにと。どうしても外を出歩く時は、必ず複数で行うように忠告されていました」
だから一人でどこかに行った俺を心配してメイドに探すようにお願いしたのだという。
「心配かけて悪かったな。けどもう大丈夫だし、四奈川もそろそろ自分の家に戻った方が良くないか? ご両親も心配してると思うし」
できればさっさと物騒メイドを連れて帰ってほしい。
四奈川だけなら歓迎はするけどな。可愛いし、天然だし、害はなさそうだし。
しかしその付属品はマジで怖いので早々にいなくなってもらいたい。
「そう、ですよね。もっといろいろお話したかったですけど」
「俺も楽しかったけど、まあ別にもう会えなくなるってわけじゃねえしさ」
「…………分かりました。乙女さん」
「はい。いつでも出られる準備はできています」
「ありがとうございます。あ、そうだ! 有野さん、良かったらその……『ワールド』を交換しませんか?」
彼女が言う『ワールド』とは、メッセージや動画などを簡単に送ることができるアプリで、世界で最も使用されている連絡手段だ。
「えっと……俺は別に構わねえんだけど……」
チラリとメイドを見るが、彼女は目を閉じたまま石像のように動かない。
これは連絡しても文句はないということか。
すると何を思ったのか、メイドもまた懐からスマホを取り出す。
「では私も是非、有野様と『ワールド』を交換させて頂きましょう」
「ええ、みんなで交換しましょう!」
何故メイドまで?
そんなことを思ったが、それは愚問だった。きっと逐一俺に四奈川との接し方についていろいろ言うために違いない。
本当は嫌だが、ここでメイドだけ交換拒否なんてできるわけがない。
仕方なく俺は二人の連絡先をゲットした。
ああ、でもよく考えれば俺のスマホに身内以外の女子の連絡先が入るなんて……!
これは世界にとってはちっぽけなことでも、俺にとっては驚天動地なイベントだった。
「では有野さん、お世話になりました。いきなり来てしまって申し訳ありません」
「いや、俺の家は美少女や美女なら大歓迎だ。いつでも来てくれ」
「び、美少女なんて……あわわ」
うん、やはり可愛い女の子が赤面する姿は実にいい。
「おや、では私は美女なのですか?」
「は? まあ見た目は綺麗だしな。美女で間違いないと思うっすよ」
「!? …………ずいぶんと女たらしのようです。やはりあなたは危険ですね」
何で危険認定されたの!? 女たらしでもないし! だったら年齢イコール彼女いない歴になってないし!
「ま、気をつけて帰れよ。って、必要ない気遣いだろうがな」
「そんなことありません。ありがとうございます、有野さん。『ワールド』でもいっぱいお話しましょうね! それでは」
そうして二人は丁寧に一礼をすると、俺の家から出て行った。
「…………はあぁぁぁぁぁ~」
何だかドッと疲れた。今日一日でいろんなことがあり過ぎだろ、ったく。
俺はリビングに戻ってソファに寝そべる。
「…………あ、写真を回収しとくの忘れてた」
まあ彼女なら悪用することもないだろうからと、俺は疲れから一気に眠気が押し寄せ、そのまま瞼を静かに閉じる。
こうして突如として変わり果てた世界の長い一日が、ようやく終わりを告げたのであった。
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