第32話

それから俺は、執筆用のノートPCを学校に持ち込むようになった。


「月形、お題は?」


部室として使っている空き教室に入り、目の端に時計を見ながら声をかける。

今日は週に一度のワンライの日だ。


「まだ出てないよ、あと30秒」


月形はすでにノートPCを開き、スタンバイしていた。

隣に音無さんもいる。

俺と付き合うようになってから月形の取り巻きは目に見えて減って、今日は教室の隅に2、3人いるだけだった。

何人かはショックで寝込んでいると聞く。

俺が言うのもなんだが、恋って残酷だな。

そして取り巻きのほとんどが、コイツとの交際を望んでいたのかと思うと……。

ちょっとどうなっているんだろう、この月形歩って男は。

もともとのゲイだけじゃない、ストレートも普通に引き寄せていると見える。

……あれ、俺もその1人なのか?

こいつの何にそんなに惹かれるんだろうか。

月形の横顔をちらりと見て、俺は隣の席に座った。


机に愛用のPCを広げる俺の隣で、月形がF5キーを叩く。


「来た! お題は『銭湯』」

「銭湯かあ」


エディタを開く俺の横で、月形がPCをパタンと閉じた。


「あれ、もしかして……」

「もちろん行くよ」

「この辺に銭湯なんかあったか?」

「ダッシュで3分ってとこ。何度か前を通ったことが」


月形はノートPCをトートバッグにつっこみ、もう教室のドアの方へ足を向けていた。


「走んのか、やれやれ」


俺もせっかく開いたPCを閉じて鞄に戻す。

なんだかんだでこいつのこういう行動に付き合うのが俺の習慣になっていた。


「銭湯の湯に浸かって書くつもりか?」


廊下を走る月形に追いつき声をかける。


「そうしようよ、きっと気持ちいいよ」

「PCが濡れるだろ」

「ちょっと入って、そのあと休憩所で書くとか」

「まあそうなるよな……」


相変わらず忙しいなと思っていると、月形が走りながら俺に肩をぶつけてきた。


「お風呂は書き上げてからゆっくり、ね?」

「ね、ってなんだよ」

「泉くんとお風呂なんて楽しみだな~!」


(マジか、そういう趣向か)


昇降口で靴を履き替え、校門へ向かって走りだす月形の表情は本当に楽しそうだ。


(他意はないんだろうけど……こいつと風呂なんて、変な雰囲気にならなきゃいいが)


マンションの部屋のリビングで、こいつの制服を脱がせた日のことを思い出す。

俺はああいう事態を避けたいのか、逆に期待しているのか。

自分でもよく分からなかった。


(いやいや、その前にワンライだ。話のネタ考えないと……)


俺は雑念を振り払おうと、走る脚と腕に力を込める。


「泉くん、そっちじゃなくてこっちだよ!?」


校門を出てまっすぐ行こうとしたところで、月形に腕を引っ張られた。


「ああっ、悪い」

「ううん。けどどうしたの? 場所知らないくせに僕を追い越していくなんて」

「あー……、何も考えてなかった」

「ホントに?」


月形がくすくすと笑う。

その眼鏡の奥の瞳に、心の内を見透かされているようで恥ずかしい。


「いいから行こう、時間もったいない」

「だね、僕に付いてきて」


先導してくれる月形は、運動部の連中のジョギングよりずっと気持ち良さそうに走っていた。

風になびくつやつやの髪に、天使の輪がかかって見える。

その背中を追いかけながら、俺はふと思った。


(こいつ、本当にワンライが好きだな)


というより文章を書くこと、創作することが好きなんだろう。

長編を書きあぐね、苦しんでいる俺と比べたらきっと天国と地獄だ。

俺もそっち側に行きたい。


(俺も書かなきゃな。書かなきゃ楽しくない)


こいつがそばにいてくれれば、俺にも何かしらいいものが書ける気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る