エピローグ1「ルナとエルザ」



 お互いが歩み寄ることができたルナとエルザは、小さな喫茶店で昼食を一緒にしたいた。


「それで、パパったらね。あたしのこと愛してるって言ってくれたの、もう胸も子宮もきゅんってなっちゃって大変だったわぁ」


 なにをどう話していいのかわからず、ぎこちないエルザに変わり、ルナが自分のことを話していた。

 時折、甘めの紅茶で唇を湿らせながら、妹のこと、家族のこと、そして愛しいレダのことを語る。


 かつてはルナと一緒にいるレダを変態扱いし、襲いもしたエルザであったが、今の彼女は微笑を浮かべて娘の話に耳を傾けているだけだった。

 ルナがエルザ以外を家族と呼ぶことも、不快に思った様子もなさそうだ。

 これも、ルナとエルザが親子としての一歩を踏み出したからだろう。


「ルナは、本当にレダ・ディクソンが好きなのだな」

「ええ、心から愛しているわぁ」

「正直に言ってしまうと、ようやく再会できた娘に愛する男がいることに戸惑いを覚えないわけではないが、お前が幸せになってくれるのならそれでいい。今の私なら、素直にそう思うことができる」

「ありがと、ママ。でも、ママだって幸せにならないと駄目よ」

「わ、私もか?」


 娘の言葉にエルザが動揺を見せた。


「そうよぉ。愛する人を見つけて、恋をして、子供を産んで、家庭をもちましょ」

「だ、だが、私のような女がそんなことを……それに年齢も重ねてしまっているし」

「ママ、甘いわね。女はいつだって恋をする生き物なのよ!」

「そ、そうなのか?」

「もちろんよ!」


 自信満々に胸を張るルナ。

 エルザも、なんだか娘のいうことが本当なのかもしれないと思いはじめてきた。

 しかし、エルザの顔はどこか暗い。

 そのことに気づいたルナが心配そうに声をかけた。


「どうしたの、ママ?」

「いや、ルナが私のことを考えてくれていることは嬉しいが、しかし、私は……誰かと触れ合うことが怖い」

「――ママはまだあの男に囚われているのね」


 ルナの言う「あの男」とは、エルザを痛めつけた貴族ロナン・ピアーズのことだ。

 彼のしたことは、エルザの心に深い傷を残しており、その傷はまだ血を流している。


「……かもしれない。痛めつけはしたが、あの男が生きている限り、私の心に平穏が訪れることはないかもしれない」

「そんな暗い顔するくらいだったら、後腐れなく殺しちゃえばよかったのに」


 平然と物騒なことを言うルナに、エルザが苦笑した。

 当初はそれも考えていたが、実際にはできなかった。


「相手は腐っても貴族だ。下手なことをして国から追われる身になることは避けたかった。そんなことをしてしまえばルナに会えなかっただろうしな」

「それはそうかもしれないけどぉ」


 とはいえ、ルナは納得できない。

 母を現在進行形で苦しめている男がいるのだ。

 暗殺スキルでこっそりと息の根を止めることができないものかと考えてしまう。


「はぁ、ままならないものよねぇ……ん?」


 ルナがため息をつき、喫茶店の窓から外を覗くと、なにやら町が騒がしいことに気がついた。


「どうしたルナ?」

「なにかあったのかしら、騒がしいわねぇ」

「そのようだな。少し、話を尋ねてみるか?」

「そうねぇ、あっ! 知り合いがいるわ!」


 ルナは喫茶店の窓を開けて、見つけた知己に声をかけた。


「ねえ、アイーシャ! アイーシャったら!」

「あれ? ルナちゃんじゃないっすか!?」


 ルナが声をかけたのは、自警団に務めるアイーシャ・オールロだった。

 彼女はかつてレダのパーティーメンバーであり、彼を慕いこの町に移住した。

 その後、仕事は順調のようで、最近は恋人ができたと紹介しにきてくれてもいた。

 そんなアイーシャが血相を変えているのでただごとではないようだ。


「なにかあったの? 自警団っていうか、町全体が慌ただしい感じだけど」

「大事件が起きたんっすよ!」

「大事件ってなぁに?」

「この町に向かっていた貴族様がモンスターに襲われたみたいなんすよ」

「あらぁ、それは大事件ねぇ」

「本当っすよ! 護衛も雇っていたみたいなんすけど、どうやら見かけだけの小悪党ばかりだったらしくて実力は全然駄目だったみたいっすね。そのせいで、まあ、貴族様と護衛がそろってモンスターに美味しくいたただかれちゃったみたいなんすよ」


 確かに町全体が慌てているのも納得できた。

 貴族が護衛ごとモンスターに喰われたなど、実に笑えない。

 定期的に冒険者たちが周辺のモンスターを駆逐しているが、まだアムルス周辺は未開の場所が多く、時折強いモンスターも現れるので油断できない。

 そんなアムルスに、大した実力のない護衛だけで向かうなんて自殺行為だ。

 商人たちだって、護衛はそれ相応に実力者たちで固めているのだ。


「その貴族も馬鹿よねぇ。身元はわかったの?」

「もちろんっす。馬車に仰々しく家紋が掘られてましたから。えっと、たしか、ピアーズ子爵のロナンって名前でしたよ」

「――え?」

「しかも、その家のご当主本人が食われちゃったんで、大変っす。今、王都に連絡しているっすけど、間違いないっすよ。あ、じゃあ、自分はこれで! そろそろ行かないと怒られちゃうっすので!」

「あ、うん、ありがと」


 小さく手を振るルナに、ぶんぶんと大きく手を振って去っていくアイーシャ。

 ルナは今聞いたばかりの情報を噛み砕きながら温くなった紅茶を飲んだ。

 テーブルを挟んだ向こう側では、エルザが信じられないことを聞いたとばかりに目を見開いている。


「ま、自業自得よね。この町になにをしに来るつもりだったんだか」

「――は、はは、ははは、まさか、そんな……こんなあっさり奴は死んだのか?」

「あっさりとではないでしょうけどねぇ。モンスターに食べられるなんて、簡単には死ねなかったはずよ。ま、ザマーミロって感じですけどぉ」


 ルナとしては、ピアーズ子爵は血縁的には父親かもしれないが、自分と妹を裏組織に売り払った人間なので恨みしかない。

 そもそも、一度として父親とも家族とも思ったことはない。

 死んだと聞いても、「あ、そう」と言うのが正直な感想だ。

 苦しみ恐怖しながらモンスターに喰われてしんでくれたのなら、それはそれで喜ばしい。


「実に奴らしい最後だ。私を、いや、多くの人間を弄んできた罰だな」


 一方で、エルザは複雑だった。

 長年、憎しみを抱いていた相手が、あまりにも突然死んでしまったのだ。

 一度は、痛めつけながらも、殺すことは躊躇った相手だが、別にピアーズ子爵に情があったからではない。

 ルナを探すのに、貴族殺しとして追われるのは面倒だっただけだ。


 今まで、夢の中で、妄想で、何度ピアーズ子爵を殺すことを夢見ただろうか。

 四肢を切り落とし、無様になった姿を笑い、嬲り殺しても、奴に抱いた怒りは消えないと思っていた。


 が、実際に、死んだと聞いて、心が軽くなった。

 驚きはしたし、胸も晴れたが、その程度だ。

 正直、この程度のことか、と驚いたほどだ。

 しかし、不思議と気分はいい。

 もう自分を苦しめる人間が存在しないとわかっただけで、視界に広がる世界が変わった気がした。


「ねえ、ママ。これでもうママを脅かす人間はいないわ。ママは堂々と幸せになれるのよ」

「そうだな。ルナのように、愛する人を見つけることができるといいな」

「あ、パパは駄目だから! さすがに親子でパパを愛するとか――いえ、逆にありかしら。そういうのが好きな男の人もいるって、前にアンジェリーナが言ってたし」

「……レダ・ディクソンにそういう趣味嗜好はあるまい。それに、だ」

「それに?」

「私は、あの男に散々無礼なことばかりをした。今さら、あの男と親しくなどなれないよ」


 どこか寂しそうにそう言ったエルザに、ルナは眉を吊り上げた。


「もうっ、男女の関係になれなんて言わないけど、せめて家族として仲良くなりなさいよぉ」

「――私とレダ・ディクソンが、家族だと?」

「当たり前じゃない!」


 驚くエルザに、ルナは満面の笑みを浮かべてみせた。


「ママはあたしの大切なママで、パパはあたしの愛しいパパなんだから。みんなで家族でしょ?」


 エルザは思い出す。

 ルナたちは、血の繋がりなどではなく、心で家族だと言っているのだ、と。

 その家族の中に自分が加えてもらえるのなら、どれだけ喜ばしいことか。

 頬が緩みそうになるのを必死に堪えながら、少しだけ笑顔を浮かべてエルザは言った。


「――そうだな。家族になれるよう努力しよう」


 こうして、エルザは娘と一緒に、新しい一歩を歩み出すことにしたのだった。




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