29「エルフの事情」
男性エルフはクラウスと名乗った。
妻はエディート、息子はケートという。
彼らの集落は、アムルスから少し離れた森の中にあるらしいのだが、人間をはじめ外部の敵から身を守る結界で覆われているらしい。
今、集落は未曾有の危機に瀕しているという。
――ドラゴンの襲撃だ。
今までエルフの集落を襲ったものがいなかったわけではない。
見目麗しいエルフを奴隷にしようと企む人間。
飢えたモンスター。
そして、今回のようなドラゴン。
なにもドラゴンの襲撃が初めてというわけではない。
気まぐれな最強種はときどき種族を関係なく戯れに襲いかかってくる。
とはいえ、百年以上、ドラゴンに襲われたことなどなかった。
しかし、数日前、突然すぎる襲撃があり、集落は戦闘となるも負傷者が続出してしまう。
クラウスは、妻を連れてアムルスの町で買えるだけのポーションを手に入れにきたのだ。
だが、集落のためになにかをしたいと無理やりついてきた息子がモンスターに襲われ毒にうなされることになるとは夢にも思っていなかった。
ポーションだけでは傷は癒えても毒は治せない。
そこにレダが現れたのだ。
(ルビータイガーをひとりで倒せるエルフの集落が大変なことになってるとか、ドラゴンってどれだけ強いんだよ?)
ドラゴンが最強種であることは知っている。
だが、今まで出会ったことなどない。
近い種族のワイバーンなどは何度か冒険中に出くわしたこともあったが、かなりの強敵だった。多くの犠牲者が出たことを今でも忘れられない。
そんなワイバーンであってもドラゴンとは雲泥の差という。
「……ねえ、ミナ」
「どうしたの?」
「俺さ」
「うん。わかってる。レダはこの人たちを助けてあげたいんだよね。わたしも同じ!」
伝えるまでもなく、ミナにはレダの考えたことがわかっているとばかりに頷いた。
優しい以上に、お人好しである中年冒険者はドラゴンの被害に遭うエルフたちを助けたかったのだ。
戦力では役立たずだろう。
しかし、レダにはギルドに認められた回復魔法がある。
「わたしもエルフの人たちが心配だもん」
「ありがとう、ミナ!」
心優しい少女を抱きかかえくるくる回るおっさん。
そんなふたりの事情が飲み込めないのか、クラウスは声をかけずらそうにしていた。
「クラウスさんだったな」
「クラウスでいい、人間よ」
「じゃあ、俺もレダって呼んでくれ。じゃあ、さっそくだけど、あんたの集落に連れて行ってくれ。俺の回復魔法がきっと役立つよ」
「……いいのか? しかし、何度もいうが、里にはもう金などない。すでにポーションを買うために使ってしまったのだ」
「だからいらないって」
「なぜだ? なぜ、あったばかりの我らに、それも他種族であるエルフのために」
「うーん、人間とかエルフとかはあまり関係ないかな。困っている人がいたら普通は見捨てないだろ?」
「――っ、そうかお前は、レダはそのような人間なのだな」
クラウスは、レダとミナに向かって深々と頭を下げた。
「どうか、我が集落の戦士たちを救ってほしい。多くの戦士が負傷し、苦しんでいるのだ。たのむ」
「ああ、任せてくれ!」
「うん!」
依頼帰りにエルフと出会ったレダたちは、彼らの集落に向かうこととなった。
――冒険者ギルドへの報告を忘れて。
数日後、レダたちが帰ってくるまで、アムルスの町では善良な治療士が消えた、と大混乱に陥るのだが、それはまた別のお話。
※
ケートは森深い集落に住まう、エルフの少年だ。
年齢は十二歳とまだ子供。長寿であるエルフにとっては、赤子も同然だった。
だが、ケートは子供扱いを嫌う。とくに、ドラゴンの襲撃で集落が苦しんでいる今だからこそなにかしたいと考えていた。
しかし、子供にできることなんてない。せいぜい大人の邪魔をしないことだ。
それがもどかしくて、両親がポーションの買い出しに人間の町へ行くと聞きつけたケートは、荷馬車の荷台に忍び込んだ。
無論、あっさりとバレてしまったが、両親も、息子のわがままを窘めている時間が惜しかったのだろう。
言うことをしっかり聞くという条件でついていくことを承諾された。
少々足元を見られたが無事にポーションを揃えると、集落へ急ぎ戻ろうとする。
が、その帰路でルビータイガーに襲われてしまった。
戦える両親に対し、モンスターのほうが多い。わずかな隙をついて、荷馬車に攻撃を始めたのだ。
ケートはポーションを守ろうと立ちふさがり、爪を受けた。
痛い、それ以上に、熱い。
父と母が名前を呼んでいるが、なぜか意識が朦朧としてしまい返事ができない。
だが、みんなが必要としているポーションを守れたことに満足しながら、ケートは意識を手放したのだった。
(……あれ? 俺は?)
ケートが目を覚ますと、荷馬車の荷台にいた。
カタコトと荷馬車が揺れる感覚から、どうやらモンスターの襲撃も乗り切ったのだとわかった。
(ポーションは……ある、よかったぁ!)
瓶詰めにされているポーションの木箱を確認して、無事を確認すると安堵の息を吐く。
(……あれ? そういえば、俺、モンスターにやられたんじゃなかったっけ?)
痛みがまったくないことに気づき、もしかすると貴重なポーションを使ってくれたのかと考えると、無理やりついてきたことが失敗だったと涙しそうになる。
「……だいじょうぶ?」
「へ?」
荷台に自分以外に誰かいたことに気づいていなかったケートは、間の抜けた声を出してしまう。
そして、絶句した。
「もういたくない? へいき?」
そこには天使がいた。
白い翼こそ見えないが、美しく、可憐で、かわいらしい、とにかく美少女だった。
ふわふわした髪は、青空に浮かぶ雲のよう。まさに天使にふさわしい。
「きこえてる? ねえ、もうだいじょうぶ?」
「う、うん」
「ならよかったぁ」
安心したような優しい笑顔を浮かべた少女にケートの胸が早鐘を打った。
まるで全力疾走したようだった。
よく見れば少女のとなりで寝息を立てているおっさんがいるが、どうでもいい。
いまは目の前の天使のことだけを考えていたい。
――ケート十二歳。初恋をした瞬間だった。
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