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 いやだ、休む、行きたくないとごねるチャールズを小脇に抱えて地下室の扉をくぐった。扉の向こうは大勢の観光客で賑わう海水浴場。

 どうやら砂浜に佇む海の家の勝手口とつながったらしい。

 白い砂地に反射して、網膜をく夏の陽射しに手をかざした。これは思ったより強烈だ。外の気温も、浜辺を埋め尽くすひとびとの熱気も、うねる波のとどろきも。


「あああ。こんなところにずっといたら僕、砂にまみれて白猫になっちゃうよ。陽の光もまぶしすぎる。おまけにこの乱痴気騒ぎ。まるで天の火に焼かれるソドムとゴモラだ」


 膝の上でチャールズがなにかわめいているけれど、彼の声は当然僕以外には聞こえていない。他にも死神や使い魔がいれば話は別だが、人手不足を理由に派遣されたのだから、ここにいる同業者はおそらく僕ひとりだろう。

 季節は夏真っ盛り。ゆるやかに湾曲して伸びる広大な海水浴場は、夏休みを利用して遊びにきたと思しい若者や家族連れで溢れ返っている。

 海の家でパラソルとレジャーシートを借りて腰を下ろした僕の視界には見渡す限りのひと、ひと、ひと。水着姿の老若男女とパラソルが波打ち際へ出るのも苦労するほど密集する光景は、まさによりどりみどりの色とりどりといった感じだった。

 これほど賑やかなところへ出てきたのは、ひどく久しぶりのような気がする。


「ねえ、君! のんびり日光浴を楽しんでる場合? 今回の看取り対象者を探すんだろ、だったらさっさと不可視化して──」

「砂浜じゃ姿を消しても足跡が残ってしまう。白昼堂々怪奇現象を起こして騒ぎにでもなったら困るからね。対象の死亡予定時刻は十六時から二十一時の間だ。十六時まであと一時間もない。君のが頼りだよ、チャールズ」

「こんなにうじゃうじゃいる人間の中からたったひとりの対象を探し出せなんて、相変わらず猫使いが荒いね、君は! まったく、これだから夏は嫌いだよ……」


 チャールズが不機嫌になる理由も分かるけれど、そこは僕に怒られても困る。

 僕だって仕事を選べるものなら選びたい。だけどあの上司に逆らうなんて、過去へ飛んでキリストと握手するくらい不可能だ。やれやれと肩をすくめながら僕はいつもの仕事服──黒いベストのふところからスマートフォンを取り出した。

 すばやくメールアプリを開き、上司から送られてきた対象者の情報を確認する。

 十和田とわだ太洋たいよう。二十歳。大学生。

 現住所は車で二時間ほど北上した先にある大きな街になっている。

 ということは彼もまた遠方から休暇を満喫しにきた観光客のひとりだろう。

 メールには対象者の顔写真やアニマシグナルデータが添付されていて、僕たちはそれを頼りに今回の看取り対象を探さなければならなかった。後者は端末にダウンロードしたのち、専用アプリで開くと対象の魂が持つ波長──アニマシグナルを再現できるというものだ。まったく便利な世の中になった。使い魔たちは指紋のようにそれぞれ違う人間のアニマシグナルを感知できる。そうした能力を利用して、ひとごみから対象を見つけられるよう開発されたのがシグナル再現アプリだ。

 昔はこれ専用のトランシーバーみたいな無骨な端末があったのだけど、今はなんでもスマホひとつで解決してしまう。

 大昔の死神たちが今の僕らを見たら切歯扼腕せっしやくわんすることだろう。


「わあ、こんなところに猫!?  超カワイイ~!」


 ところがメールを確認する僕の頭上から、不意に黄色い声が降ってきた。なんだと思って顔を上げれば、いつの間にか目の前に水着姿の日本人女性がふたりいる。年齢はどちらも二十歳くらい。かなり露出度の高いビキニを着て、小麦色に焼けた肌を大胆に晒していた。ひとりはくせのない黒髪で、もうひとりは明るい茶髪。彼女たちがはしゃいで見下ろす先には、僕の膝の上で丸くなったチャールズがいる。


「この子、お兄さんの猫ちゃんですかぁ? 外に出してもちゃんとおとなしくしてるなんてお利口ですね~!」

「ええ、まあ……よく言われます」

「名前はなんていうんですか?」

「チャールズです」

「チャールズ? ってことは男の子なんだ」

「黒猫ってなんか不吉なイメージがあってニガテだったけど、この子はめっちゃカワイ~! 普通の猫より毛がフサフサですね~!」

「ヒマラヤンの血が入っていますので。それにイギリスでは、黒猫は幸運の運び手と言われています。黒猫が目の前を横切るといいことがある、と昔から信じられているんですよ」

「えっ、マジ!? そうなんだ~、初耳~!」

「あの、触ってもいいですか? 浜辺に猫がいるなんて珍しくて」

「どうぞ。愛想のない猫ですが」


 暑さとやかましさでぶすっとしているチャールズは、不愉快そうに尻尾で僕の脚を叩いた。撫でられながら蒼い瞳を半眼にして、無言で僕を睨んでいる。

 そんな顔をされても向こうから話しかけてきたのだから仕方がない。


「ところで日本語お上手ですね。イギリスの方ですか?」

「ええ。ですが日本にきてもう長いので」

「今は日本に住んでるんですかぁ? もしかして日本人の奥さんがいるとか!?」

「ちょっとアキ、直球すぎ!」


 と、黒髪の女性の方が笑いながら茶髪の女性を肘で小突く。

 若い日本人女性特有の、間延びした口調で話す女性の方はアキというようだ。

 彼女は水着も蛍光色で派手なのに対し、もうひとりの女性は控えめで物腰も落ち着いている。一見噛み合わなさそうに見えるふたり組。けれど顔を見合わせて無邪気に笑っているさまは、とても気の合う友人同士に見えた。


「おーい、ひより、アキ! なに早速逆ナンしてんだ、置いてくぞ!」


 ところが刹那、ふたりの後ろから今度は男性の声がする。

 彼女たちが振り返った拍子に、こちらへ向かって野次を飛ばす若者の集団が見えた。いずれもハタチがらみの学生と思しき男女の集まりだ。

 全部で七、八人はいるだろうか。呼ばれたふたりはチャールズも顔負けの猫撫で声で「ごめ~ん!」と笑った。すると突然チャールズがすっくと立ち上がる。どうしたのかと目をやれば、チャールズは弾かれたように駆け出した。毛皮が汚れるのもいとわず、白い砂を蹴立てて疾駆するや集団の中のひとりを見上げて足を止める。

 かと思えばまるで猫みたいな鳴き声を上げて、彼は相手の足にすり寄った。

 尻尾を立てたまますねに額を擦りつけ、ぐるぐると相手の足もとを回ってみせる。


「おい、なんだよ、太洋。おまえも来て早々モテモテじゃん」


 集団の中でもひときわ目立つ長身の青年が、チャールズにまとわりつかれた隣の青年をからかった。肩を叩かれたのは赤いサーフパンツに半袖のシャツを羽織った真面目そうな青年だ。

 周囲からどっと哄笑が上がり、赤い水着の青年は困ったように頭を掻いた。

 そんな青年を一瞥いちべつしたチャールズが、鼻を上げててらうように振り向いてくる。

 僕はもう一度スマホの画面を覗き込んだ。間違いない。

 彼が今回の看取り対象者──間もなく死亡予定の十和田太洋だ。


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