急な引き
一
僕のなにを気に入ったのか、あの日以来、逢坂先生はよくご飯に誘ってくれる。
といっても、吹奏楽の顧問をしている僕と、同好会の顧問欄に名を連ねているだけの逢坂先生とじゃ、帰りの時間が合わないから、週末以外はそう出かけることはない。
それでも帰りの時間が合ったときには、ラーメン屋なんかに連れていってもらっている。
ラーメンは僕も嫌いじゃないし、金銭的にも手軽に食べられるから、なにげに助かる。
週末の夜だと、居酒屋さんでゆっくり飲んで、土屋さんのバーにハシゴしてが定番コースだ。十月半ば現在、あの夜を含め、四回ほどそのコースを辿っている。
逢坂先生の家で粗相をしてから、もう外では飲まないと誓った僕だけど、割と早い段階でそれは破られていた。
もちろん、量はセーブしている。正体がわからなくなるほど飲んではないし、なにより、これ以上逢坂先生に迷惑をかけるわけにはいかない。
そして最近わかったのは、僕たちは、本当に真逆に位置している人間だということ。
文系と理数系に始まり、庶民の家庭の長男と、立派な家系の末っ子の違いへ行き着く。
僕は、辛いとか苦いとか、味のはっきりしているのが好きだけど、逢坂先生はどっちかというと、薄味寄り。ラーメンもタンメンを食べていた。
野菜多めがいいんだって言っていたっけ。それを聞いて僕は、女子かって、思わず心の中でツッコんだ。
僕の趣味は映画鑑賞と美術館巡り。だけど、逢坂先生は芸術関係には全く興味がない。格闘技と車が好きだと言っていた。あと、将棋も。
女の子のタイプもぜんぜん違う。
常に同じ目線でいてくれる子が僕は好きだし、逢坂先生は甘えられるのが好きなんだそう。
こんな感じだけど、唯一合っているのは、お酒を飲むのが好きだということだろうか。
それでも、持ち合わせているタンクには大きな差があるから、逢坂先生のペースに合わせて飲んでいたら、僕は一時間もしないうちに潰れてしまう。
職員室のデスクで、そんなことを考えながら、ぼうっとする。
穏やかな昼下がりだ。授業は、あと二時間で終わる。
そこへ、コーヒーの香りを伴い、根津先生がやってきた。淹れたてのいい匂いがする。
背もたれを鳴らし、根津先生は椅子に腰かけた。
思わずくんくんしていた僕に声をかける。
「んーマンダムってね」
「え?」
「いやいや、こっちのこと。それにしても参ったね。どこぞの雑誌社の編集室みたいだった」
「あ、先週末までの最終チェックですか? 願書の」
根津先生はコーヒーを一口すすって、それそれと頷いた。
「センターは提出し終わって、はあやれやれよ」
「お疲れさまです」
「あとは就職組と専学か。ま、調査書は済んでるし、とりあえず一段落ついたってとこだね」
「ほんと、お疲れさまでした」
「ねー。まじ、お疲れちゃんよ」
と、根津先生は苦笑いを返していた。
生徒たちにしてみれば、これからが試験の追い込みの時期だ。けど、担任の先生にしてみたら、夏休み前から続いていたセンター試験、推薦入試の願書の準備が整って、一息入れたいところだと思う。
僕自身は二年の、それも副担任だから、対岸の火事的に眺めていた。
このままいくと、来年度はあの輪の中に片足ぐらいは突っ込むことになりそうだから、本当はしっかり見て、参考にしておかないといけない。
センター試験を始めとした入試説明会の段取り、推薦入試の生徒の推薦状を校長先生にお願いして、八月から始まる調査書の記入。もちろん、そればかりにかかりきりというわけにはいかないから、傍から見ても、千手観音にでもなりたいんじゃないかなと思えるような忙しなさがあった。
根津先生も、今年初めて三年の担任になったらしく、鬼の形相でパソコンとにらめっこしていた。
そこに逢坂先生が茶々なんか入れるから、僕は宥めるのに一苦労だった。
逢坂先生、去年は自分があの立場だったから、なおのことちょっかい出していたんだと思う。
「翼ちゃんさ、この週末も継臣とこれ?」
根津先生はカップを置くと、グラスを傾ける仕草をした。
「根津先生も行きます?」
「行く行くー」
「じゃあ、逢坂先生との武勇伝とか聞かせてくださいね」
「おー、了解。てか、土屋の店にも行ったことあるんでしょ? なら、あいつにも訊いてみなよ。その武勇伝、俺より持ってるから」
あいつも相当悪かったからね。と、根津先生はつけ加えた。
僕は、土屋さんの顔を思い浮かべた。
バーテンという職業柄もあると思うけど、僕の印象じゃあ、逢坂先生や根津先生よりも紳士的な感じがしていた。それが相当のワルだなんて、聞かないわけにはいかないじゃないか。
僕は微苦笑をもらしながら、となりのデスクへ目を向ける。
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