「て、天然です。たぶん。なのですみません。ズボンをください」


「やべー」と漏らしたあと、逢坂先生は頭を下げてくつくつと笑った。僕の上からさっと退き、どこかへと行く。


「か、からかったんですか?」


 逢坂先生は、リビングに隣接する和室からなにかを持って戻ってきた。はいと渡してくれたのは、念願のズボンと、ビニールで包装されたままの新品のボクサー。


「なに。マジだと思った?」


 僕は首を横に振った。ぶんぶんと、思いっきり振った。

 それから、渡されたボクサーを裏表とまじまじ眺める。


「シャワーしてこいよ。気持ち悪いだろ。それやるから」

「でも、これ以上お世話になるのは……」

「ゆうべのことは、こっちにも責任あるし、からかったお詫びに、二日酔いに効くいいやつ作ってやるからもう少しゆっくりしていけ。服のこともあるだろ」

「……」

「お前がいますぐ帰りたいっていうなら止めはしねえけど」


 まっすぐ見つめられると、僕は頷くしかなくて、お世話になりますとぼそっと言った。

 逢坂先生が破顔する。

 ご満悦げに背を正し、キッチンへと向かいながら、リビングのドアを指さした。


「風呂は、そこを出てすぐの左のドアだから」

「……お借りします」


 僕は、冷蔵庫を覗いてる逢坂先生に頭を下げ、リビングを出た。





 洗面所も浴室も、ほどよく整頓されていて、意外ときれいだった。

 そういえば、リビングも散らかってはいなかった。

 なのに、なぜ職員室のデスクは乱雑しているのか、僕は首を傾げるばかりだ。

 洗面所の棚という棚のドアを開け、中を見て回る。タオルもきちんと並んでいた。

 水回りもきれいだ。水垢なんかまるでない。

 もしかしたら、きれい好きの彼女がいるのかもしれないけど、それは、自分の中でなしということにした。

 シャワーを終え、リビングへ入ると、なにかを焼いてる香ばしい匂いがした。

 キッチンへ向かい、僕が改めてお礼を言ったら、フライパンの様子を見ながら、逢坂先生は手を上げた。

 ハムエッグを作っているらしい。大きな皿には、焦げ目のついたソーセージも何本か乗っていた。

 これも意外な一面だ。

 グラスに注いだなにかを飲みながら、逢坂先生は、できあがったハムエッグを皿に盛った。


「先生って、普通に料理とかされるんですね」

「まあ、たまには。渡辺はしない?」

「僕はあまり……。不器用なもんで」

「あれ? でも、弁当は持って来てただろ」

「あんなの、冷食をただ詰めてるだけなんで、料理には入らないと思います」

「ふーん」


 ソファーへ目をやれば、ガラスのテーブルに、大皿に盛られたサラダがあった。


「渡辺。お前、ハムとか食える?」

「いまはちょっと……。すみません。サラダはいただきます」

「あと、これは飲め。二日酔いに効くから」

「ああ、さっき言ってた……」


 逢坂先生は、ミキサーで作ったジュースをコップに入れ、太めのストローをさしてくれた。スムージーというやつらしい。

 緑の、ちょっとドロッとしたもの。


「逢坂先生はなにを飲んでるんですか?」

「焼酎」

「また飲むんですか?」

「きょうは休みだから。休みの日は大体、家にいると朝から飲んでる」


 僕は、スムージーの入ったコップを受け取って、ソファーを背もたれにする格好で座った。

 サラダにスムージーって、どんだけ健康的な朝食なんだと思って、ハムエッグの皿とトーストしたパンの皿を持ってきた逢坂先生を見た。


「かける?」


 と、ドレッシングを振って渡してくれるから、だんだんと違う人に思えてきた。

 これが素なのか。それとも、こんな僕でも気を使ってくれているのか。

 その逢坂先生は、焼酎の入ったグラスを最後に置き、オットマンをスツールにして僕の斜め前に座った。

 いただきますと手を合わせ、僕はまず、スムージーに口をつけた。

 濃い緑色しているけど、緑くさくない。おいしい。


「これ、なにが入ってるんですか?」

「小松菜とバナナとリンゴとグレープフルーツ」

「フルーツも入ってるんですね。だからおいしいんだ」


 僕は、ハムエッグをパンに挟んで食べ始めた逢坂先生を見上げた。

 降り注がれるものが、きょうは強烈だと感じていたのは、なにも隔てていないからだと、いま気づいた。

 気づいた途端、それまで平気だったことが、俄然難しくなる。僕は強めに目をパチパチさせた。


「あの、逢坂先生は……いまコンタクトですか?」

「いや」

「けさは眼鏡をかけてないんですね」

「とくにかける必要がないからな」

「このリビングを見ても、お風呂場もそうでしたけど、逢坂先生、結構きちんとされてますよね。なのに、なんで学校に来るときは、あんな格好になっちゃうんですか?」


 ごくんと、逢坂先生の喉が鳴った。

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