「ベッド占領してしまって」

「え、そこかよ。つうか、俺も寝てたけど」


 僕は勢いよく頭を上げた。目も上げ、逢坂先生と視線を合わせる。

 ね、寝てた?


「あのぅ。寝てたというのは……」

「だから、俺もベッドで寝た」

「でも、さっきはソファーで……」

「あれは二度寝」


 僕は首をひねった。つまりはどういうことか、頭を整理しようと視線を下へやって、ズボンのないことに改めて気づいた。

 四つん這いで、対面式シンクの裏側へ移動する。

 そこから、上へ向けて声を伸ばす。


「そ、それは、そ、添い寝をなさったということで、よ、よろしいんでしょうか」

「そんなにくっついてはいねえよ」

「そ、それと、なぜに僕はズボンを、は、穿いてないんでしょうか」

「俺は、脱がしてねえぞ」

「ぬ……!」


 なんという拷問だろう。あまりに恥ずかしい時間で、次の言葉なんか出なかった。


「もしかしてお前、なにも覚えてねえの?」

「……」

「覚えてねえのかって」


 不意に逢坂先生が顔を見せた。こちらを覗き込むようにしている。

 その目がどこかへ動いた。僕はぎょっとなって、最速のワイパー並みに手を振った。


「あああっ!」

「ああ。そっか」


 なぜか笑みを浮かべ、逢坂先生は引っ込んだ。今度は僕から覗いて確認すると、ソファーへ移っていた。

 どかっと腰を下ろす背中へ、恐る恐る言葉を投げる。


「で、あのー。僕の服は……」

「洗濯機ん中。いま回してる」

「え?」

「渡辺さ、土屋んとこで飲んでたのは、さすがに覚えてるよな」


 土屋さんはたしか、あのシックなバーのマスターで、僕らの前でバーテンをされていた人だ。

 背もたれに腕を回し、逢坂先生が振り返った。

 目が合う。


「先生の同級生って方でしたよね」

「そう。で、何時だったか。じゃあ帰るかってなったとき俺が代行頼もうとしたら、今度は俺んちで飲みたいってお前が言った。それは?」

「……」


 脳みそから昨夜のことを絞り出すように考えてみる。

 ううむ。そんなことを言った覚えが、うっすらあるようなないような……。

 そうだ! そのあとに、マンションのエレベーターへ乗った気がする。


「ここ、三階でしたよね」

「おう。ちゃんと覚えてんじゃん」

「はいっ。それはしっかり覚えてました」


 思わずガッツポーズが出た。


「そんでもって、俺の部屋へ着いて廊下に上がった途端、ゲロった」


 冷や水を被ったかのように、頭から血の気が引いていくのがわかった。

 きれいさっぱり、そこは覚えていない。


「だからこの服……」


 ソファーのところまでいって、僕は改めて正座をした。頭を下げる。


「無理言ってお宅へお邪魔した上に廊下を汚して、それを先生に始末させて服までお借りして、本当に申し訳ありません」


 ウチ以外ではもうお酒を飲まないと、僕はこのとき固く誓った。


「うん。まあ、いいよ」


 逢坂先生は意外なくらい穏やかに言って、また吸っていた煙草を灰皿へ押しつけた。


「俺もたぶん悪い」

「……え?」

「途中で、もしかしていつもより進んでんのかなとは思った。けど、楽しそうだったから止めるのも野暮かな、と」

「ほんと、すみません」

「ところでお前さ、それって天然? もしかして誘ってんの」

「は?」


 天然?

 誘う?

 なんのことかと首を傾げたら、逢坂先生が指さした。


「だからそれ」

「……ぎゃあっ!」


 そ、そういえば、ズボンをまだもらっていなかった。

 太ももが丸々と見えているし、つけ根の膨らんだ部分もちらっと晒している。服がぶかぶかだから、そこは隠れていいはずなのに、なぜか「おはようございます」していた。

 僕は慌てて裾のリブを伸ばし、膝に引っかけた。


「誘ってって、僕にそのケはありませんよ」

「たしかに毛はないよな。ヒゲも」


 逢坂先生がテーブルから身を乗り出し、顔を近づけてくる。

 なに。なんなんだよ。この展開!


「お、逢坂先生は、まさかそのケがあるんですか? あ、いま思い出しました。キャバクラで、僕にキスしようとしましたよね」

「ん? ……いやあれは、周りがそういう空気になったからで」

「でも、フツー、もうちょっと拒んだりするんじゃないんですか」

「ああ、まあ、渡辺ならシてもいいかとは思った。断られる理由が煙草とは思わなかったけど」


 ひょえー!

 か、顔が。イケメンな顔が近すぎる。

 僕は床を掻いて後ろに下がろうとしたけど、手が滑って背中をついてしまった。そこへ覆い被さるように、逢坂先生がずいと体を進めてきた。


「隠れるくらい恥ずかしいなら、謝るより先にズボンをくれってなるだろ。なのに、その格好のまんま俺の前に出てくるとか、天然ちゃんなのか、はたまたなにかのサインなのか」

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