二
「ベッド占領してしまって」
「え、そこかよ。つうか、俺も寝てたけど」
僕は勢いよく頭を上げた。目も上げ、逢坂先生と視線を合わせる。
ね、寝てた?
「あのぅ。寝てたというのは……」
「だから、俺もベッドで寝た」
「でも、さっきはソファーで……」
「あれは二度寝」
僕は首をひねった。つまりはどういうことか、頭を整理しようと視線を下へやって、ズボンのないことに改めて気づいた。
四つん這いで、対面式シンクの裏側へ移動する。
そこから、上へ向けて声を伸ばす。
「そ、それは、そ、添い寝をなさったということで、よ、よろしいんでしょうか」
「そんなにくっついてはいねえよ」
「そ、それと、なぜに僕はズボンを、は、穿いてないんでしょうか」
「俺は、脱がしてねえぞ」
「ぬ……!」
なんという拷問だろう。あまりに恥ずかしい時間で、次の言葉なんか出なかった。
「もしかしてお前、なにも覚えてねえの?」
「……」
「覚えてねえのかって」
不意に逢坂先生が顔を見せた。こちらを覗き込むようにしている。
その目がどこかへ動いた。僕はぎょっとなって、最速のワイパー並みに手を振った。
「あああっ!」
「ああ。そっか」
なぜか笑みを浮かべ、逢坂先生は引っ込んだ。今度は僕から覗いて確認すると、ソファーへ移っていた。
どかっと腰を下ろす背中へ、恐る恐る言葉を投げる。
「で、あのー。僕の服は……」
「洗濯機ん中。いま回してる」
「え?」
「渡辺さ、土屋んとこで飲んでたのは、さすがに覚えてるよな」
土屋さんはたしか、あのシックなバーのマスターで、僕らの前でバーテンをされていた人だ。
背もたれに腕を回し、逢坂先生が振り返った。
目が合う。
「先生の同級生って方でしたよね」
「そう。で、何時だったか。じゃあ帰るかってなったとき俺が代行頼もうとしたら、今度は俺んちで飲みたいってお前が言った。それは?」
「……」
脳みそから昨夜のことを絞り出すように考えてみる。
ううむ。そんなことを言った覚えが、うっすらあるようなないような……。
そうだ! そのあとに、マンションのエレベーターへ乗った気がする。
「ここ、三階でしたよね」
「おう。ちゃんと覚えてんじゃん」
「はいっ。それはしっかり覚えてました」
思わずガッツポーズが出た。
「そんでもって、俺の部屋へ着いて廊下に上がった途端、ゲロった」
冷や水を被ったかのように、頭から血の気が引いていくのがわかった。
きれいさっぱり、そこは覚えていない。
「だからこの服……」
ソファーのところまでいって、僕は改めて正座をした。頭を下げる。
「無理言ってお宅へお邪魔した上に廊下を汚して、それを先生に始末させて服までお借りして、本当に申し訳ありません」
ウチ以外ではもうお酒を飲まないと、僕はこのとき固く誓った。
「うん。まあ、いいよ」
逢坂先生は意外なくらい穏やかに言って、また吸っていた煙草を灰皿へ押しつけた。
「俺もたぶん悪い」
「……え?」
「途中で、もしかしていつもより進んでんのかなとは思った。けど、楽しそうだったから止めるのも野暮かな、と」
「ほんと、すみません」
「ところでお前さ、それって天然? もしかして誘ってんの」
「は?」
天然?
誘う?
なんのことかと首を傾げたら、逢坂先生が指さした。
「だからそれ」
「……ぎゃあっ!」
そ、そういえば、ズボンをまだもらっていなかった。
太ももが丸々と見えているし、つけ根の膨らんだ部分もちらっと晒している。服がぶかぶかだから、そこは隠れていいはずなのに、なぜか「おはようございます」していた。
僕は慌てて裾のリブを伸ばし、膝に引っかけた。
「誘ってって、僕にそのケはありませんよ」
「たしかに毛はないよな。ヒゲも」
逢坂先生がテーブルから身を乗り出し、顔を近づけてくる。
なに。なんなんだよ。この展開!
「お、逢坂先生は、まさかそのケがあるんですか? あ、いま思い出しました。キャバクラで、僕にキスしようとしましたよね」
「ん? ……いやあれは、周りがそういう空気になったからで」
「でも、フツー、もうちょっと拒んだりするんじゃないんですか」
「ああ、まあ、渡辺ならシてもいいかとは思った。断られる理由が煙草とは思わなかったけど」
ひょえー!
か、顔が。イケメンな顔が近すぎる。
僕は床を掻いて後ろに下がろうとしたけど、手が滑って背中をついてしまった。そこへ覆い被さるように、逢坂先生がずいと体を進めてきた。
「隠れるくらい恥ずかしいなら、謝るより先にズボンをくれってなるだろ。なのに、その格好のまんま俺の前に出てくるとか、天然ちゃんなのか、はたまたなにかのサインなのか」
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