教壇は一段高いものだが、なにげない話のときこそそこから離れてみる。

 大勢いても、決してひと括りにしてはいけない。一人一人の集まりだということを忘れるな。

 僕は、いつかに聞いた言葉を思い出した。


「見た目以上にきつきつなんだよ、やつら。勉強やら人間関係やら、周りの過度な期待やらで。学生生活はむかしよりはるかに窮屈になってる」

「……そうですね」

「だから、こっちにも逃げ道を作ってやらねえと。家がそういうとこならいいけどさ、そうもいかねえやつだっているだろ」

「こっちって……たとえばどういうところですか?」


 逢坂先生は口の中のものを呑み込むと、箸も放して、僕を見据えた。


「んなもん、保健室しかねえだろ。あそこでサボることもまた必要」

「……ん?」

「布団は、なによりの癒やしだからな」


 ツマを噛みながら納得しかけて、僕は首を横に振った。ごくんと喉が鳴る。


「だ、だからって、教師がのうのうとベッドで寝ていい理由にはなりません」


 軽く咳き込みながら反論した。

 ……こっちは大真面目に聞いていたというのに。すべて、このオチが言いたいがための講釈だったのだ。あろうことか生徒をダシに使うなんてと、目を細めて精いっぱいの「非難のまなざし」を送る。

 逢坂先生はそれを真正面で受け止めると、反省するどころか、ビミョーな笑みを浮かべていた。





「お前さ、このあともまだいけんだろ?」


 和食屋さんを出て、その足で車へ戻る。ドアロックを解除したところで、逢坂先生が訊いてきた。

 時刻は八時。どっぷりとはいかないまでも、日が落ちてからだいぶたっている。

 僕は運転席につきながら「はい」と頷いた。逢坂先生は助手席に収まる。

 きょう映画に誘ったのは間違いだとしても、おつき合い頂いたことに変わりはない。そのお返しは、もちろんしなきゃならない。


「俺の知り合いの店に飲みに行かね?」

「知り合い……って、まさかあのキャバクラですか?」

「ちげーよ」


 と、鼻で笑ったあと、逢坂先生はフロントガラスの向こうを指さした。


「渡辺、いま!」


 駐車場を出る絶好のタイミングだったらしい。逢坂先生は舌打ちまでしている。

 というか、一回や二回チャンスを逃したぐらいで、そんなにかっかしないでほしい。僕なりのタイミング、というのもあるんだから。

 逢坂先生と後続車のダブルパンチに焦りながら、僕はなんとか駐車場を出てバイパスの流れにも乗る。


「バーなんだけど、たしかお前いける口だったよな」

「お酒は好きです。ただ、それほど強くもないですよ」

「じゃあ、決まりだな」

「あ、でも、車はどうしましょう」

「俺のは近くのパーキングに入れるから、お前はマンションの駐車場に停めろよ。うちから歩いて十分くらいのとこにあるから」


 わざわざパーキングにだなんて悪いと思っていたら、きょうの礼だと逢坂先生は言った。

 眠りを誘うような面白くもない映画に誘ってしまって、お礼の筋合いもないと思ったけど、それは黙っていることにした。

 お供させていただきます。

 それだけを答えて、あとは運転に集中した。





 逢坂先生のお知り合いがやっているというバーは、暗いようで、電飾だけがやたら明るい、いかにもな通りにあった。

 角を曲がった途端、僕の目に飛び込んできたのは、ホテルのランランとしたネオン。思わず立ち竦んでしまった。

 前にいた逢坂先生はというと、ずんずん歩を進めている。

 ええー。

 と、僕はヒいていたけど、逢坂先生の足は実際、ホテル向かいの、地下につながる階段へ向かっていた。一段を下りかけ、こちらを振り返っている。


「どうした」

「……なんでもないです。気にしないでください」


 手を振りながら、逢坂先生の横に立った。

 視界の端っこでずっとちらついていた派手な門へ、一組のカップルが足早に入っていく。思わず見つめてしまっていた僕ははたと我に返った。

 案の定、逢坂先生がにやにやしている。


「なに。あっちがいいの」

「……え?」

「ずいぶん羨ましげに見てんじゃん」


 恥ずかしいやら唖然としたやらで、返す言葉の見つからなかった僕は、いろいろとごまかすようにどんどんと階段を下りた。

 ていうか! ああいうところは一人で行くものじゃないから、いま入るとしたら逢坂先生とってことだ。

 ……冗談でも、そんなのありえないから!

 僕はツッコみを入れるように、目の前に現れたドアを開け放った。そして、室内を見て硬直した。

 落ち着いた内装に似つかわしくない派手な服装の人たち。そのうちの一人が近づいてくる。施されているメイクはケバケバしいのに、坊主頭だ。

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