三
教壇は一段高いものだが、なにげない話のときこそそこから離れてみる。
大勢いても、決してひと括りにしてはいけない。一人一人の集まりだということを忘れるな。
僕は、いつかに聞いた言葉を思い出した。
「見た目以上にきつきつなんだよ、やつら。勉強やら人間関係やら、周りの過度な期待やらで。学生生活はむかしよりはるかに窮屈になってる」
「……そうですね」
「だから、こっちにも逃げ道を作ってやらねえと。家がそういうとこならいいけどさ、そうもいかねえやつだっているだろ」
「こっちって……たとえばどういうところですか?」
逢坂先生は口の中のものを呑み込むと、箸も放して、僕を見据えた。
「んなもん、保健室しかねえだろ。あそこでサボることもまた必要」
「……ん?」
「布団は、なによりの癒やしだからな」
ツマを噛みながら納得しかけて、僕は首を横に振った。ごくんと喉が鳴る。
「だ、だからって、教師がのうのうとベッドで寝ていい理由にはなりません」
軽く咳き込みながら反論した。
……こっちは大真面目に聞いていたというのに。すべて、このオチが言いたいがための講釈だったのだ。あろうことか生徒をダシに使うなんてと、目を細めて精いっぱいの「非難のまなざし」を送る。
逢坂先生はそれを真正面で受け止めると、反省するどころか、ビミョーな笑みを浮かべていた。
「お前さ、このあともまだいけんだろ?」
和食屋さんを出て、その足で車へ戻る。ドアロックを解除したところで、逢坂先生が訊いてきた。
時刻は八時。どっぷりとはいかないまでも、日が落ちてからだいぶたっている。
僕は運転席につきながら「はい」と頷いた。逢坂先生は助手席に収まる。
きょう映画に誘ったのは間違いだとしても、おつき合い頂いたことに変わりはない。そのお返しは、もちろんしなきゃならない。
「俺の知り合いの店に飲みに行かね?」
「知り合い……って、まさかあのキャバクラですか?」
「ちげーよ」
と、鼻で笑ったあと、逢坂先生はフロントガラスの向こうを指さした。
「渡辺、いま!」
駐車場を出る絶好のタイミングだったらしい。逢坂先生は舌打ちまでしている。
というか、一回や二回チャンスを逃したぐらいで、そんなにかっかしないでほしい。僕なりのタイミング、というのもあるんだから。
逢坂先生と後続車のダブルパンチに焦りながら、僕はなんとか駐車場を出てバイパスの流れにも乗る。
「バーなんだけど、たしかお前いける口だったよな」
「お酒は好きです。ただ、それほど強くもないですよ」
「じゃあ、決まりだな」
「あ、でも、車はどうしましょう」
「俺のは近くのパーキングに入れるから、お前はマンションの駐車場に停めろよ。うちから歩いて十分くらいのとこにあるから」
わざわざパーキングにだなんて悪いと思っていたら、きょうの礼だと逢坂先生は言った。
眠りを誘うような面白くもない映画に誘ってしまって、お礼の筋合いもないと思ったけど、それは黙っていることにした。
お供させていただきます。
それだけを答えて、あとは運転に集中した。
逢坂先生のお知り合いがやっているというバーは、暗いようで、電飾だけがやたら明るい、いかにもな通りにあった。
角を曲がった途端、僕の目に飛び込んできたのは、ホテルのランランとしたネオン。思わず立ち竦んでしまった。
前にいた逢坂先生はというと、ずんずん歩を進めている。
ええー。
と、僕はヒいていたけど、逢坂先生の足は実際、ホテル向かいの、地下につながる階段へ向かっていた。一段を下りかけ、こちらを振り返っている。
「どうした」
「……なんでもないです。気にしないでください」
手を振りながら、逢坂先生の横に立った。
視界の端っこでずっとちらついていた派手な門へ、一組のカップルが足早に入っていく。思わず見つめてしまっていた僕ははたと我に返った。
案の定、逢坂先生がにやにやしている。
「なに。あっちがいいの」
「……え?」
「ずいぶん羨ましげに見てんじゃん」
恥ずかしいやら唖然としたやらで、返す言葉の見つからなかった僕は、いろいろとごまかすようにどんどんと階段を下りた。
ていうか! ああいうところは一人で行くものじゃないから、いま入るとしたら逢坂先生とってことだ。
……冗談でも、そんなのありえないから!
僕はツッコみを入れるように、目の前に現れたドアを開け放った。そして、室内を見て硬直した。
落ち着いた内装に似つかわしくない派手な服装の人たち。そのうちの一人が近づいてくる。施されているメイクはケバケバしいのに、坊主頭だ。
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