手応えはありまくり
一
この人を映画に誘ったのは、間違いだったのかもしれない。スクリーンととなりを交互に見て、僕はため息をついた。
映画館へ着くまでの車中でも逢坂先生は寝ていて、上映中のいまも寝ている。いびきはさすがにかいていない。シートの座面からどんどんずれていくから、あの長い足が、前席の背もたれをいまにも押しやりそうだ。しかも、正体のない頭は僕のほうへと傾き始めている。
……いや、向こうどなりへいかないだけ、ましか。
あっちは女の子だ。そのまた向こうの男とカップルに見えていたから、女の子へと凭れかかったらトラブルになり兼ねない。最悪、痴漢呼ばわりされるかもしれない。
でも、逢坂先生はイケメンだし、痴漢とまでは言われないかも。
きょうは、学校にいるときのスタイルと違って、オシャレシャツに高そうなジーンズを穿いている。髪も、あのしっとりキャラメルだ。それだから、たとえ抱きついたとしても許してくれるんじゃないかな……。
僕は強く首を振った。
いやいや、そういう問題じゃない。イケメンだろうがブサメンだろうが、痴漢行為はよくない。
それに、僕たちは教師だ。変に騒がれでもしたら、即行、学校をクビになるかもしれない。
そんな危ない橋をいま正に渡っているのだ。
映画よりもハラハラさせるとなりに、僕は気が気でなかった。
だがしかし、起こすという選択肢は毛頭ない。
……怖いから。せっかくの親睦会だし、なるべく機嫌を損ねたくない。
いっそのことこっちで肩を貸せば、少しは安心できる。そう僕は考えつき、失礼しますと断りを入れてから逢坂先生のシャツを引っ張った。頭をなんとかよこそうとしたら、がしっと手を掴まれた。
ひっ。
声にならない声が出る。けど、声にならなくてほっともした。
逢坂先生はまばたきを早めながら掴んだものをじっと見ている。
僕は息を呑んだ。向こうの訝しげな目と目が合う。
僕はどうにか眼力を強め、「ストップ睡眠!」を念じてみたけど、伝わったものかどうなのか。
逢坂先生はしばし目を伏せ、おもむろに姿勢を正した。
伝わった! そして勝った! 先生のシャツから手を離し、僕は思わずガッツポーズを決めた。
シートに座り直し、正面へと体を向ける。はあ、やれやれ。これでやっと集中して観れる。
そう思った矢先だった。僕の肩にふと重みが加わり、なにかと思って目をやれば、いまはカラメルに変色している頭があった。
「……」
結局はこうなるのか。ていうか、あの勝利はなんだったんだ!
……でも、まあ、こっちに預けてくれさえすれば、心置きなく観れるからいいか。
図々しい頭はそのままに、僕はスクリーンへ目を据えた。
スクリーンにエンドロールが流れ始めると、人の移動する音も増える。
逢坂先生も目を覚ましたらしく、肩の重みは消え、代わりに大あくびが聞こえた。
そんな中僕は、感動からくる落涙と闘っていた。
薄暗いいまのうちなんだ。なんとか心を冷まして、いつもの自分を取り戻さなくては。
先生にだけは泣くところを見られたくない。見られたら最後、笑い者にされるのがオチだ。あしたもあさってもしあさっても、根津先生を巻き込んでネタにしまくるに違いない。
深呼吸を繰り返し、感動を薄める。涙が喉元をすぎ、安心して気を抜いたら、感動のあのシーンが脳内でリバースされた。一気にぶり返す。
下を向いて、僕は耐えた。
「泣いてんのか」
声の感じで、逢坂先生がこっちを覗き込んでいるのがわかった。
僕は首を振り、唇を噛む。
「泣きません。堪えてみせます」を、態度で示す。
「この映画ってそんなに感動するやつ?」
「……」
微妙にデリカシーのない言葉が心に吹きすさぶ。そのお陰か、ぶり返してきたものがちょっと引いた。
「……というか逢坂先生。ゆうべは寝れなかったんですか?」
「あ?」
「車でもここでもずっと寝てたじゃないですか」
逢坂先生が小さく吹き出す。
「そうそう。寝れなかったね。お前とお出かけすんのが楽しみで」
僕は顔を上げ、ぱっととなりを見た。
「た、楽しみって……」
「おー。涙も引く引く」
「え?」
「つうわけで行くぞ。俺は腹が減った」
僕は固く目を閉じた。
しゃっくりじゃないんだぞ、この涙は!
目を開けると、逢坂先生はとなりにいなかった。上映室を、もう出ようとしている。
僕は慌てて、カバンのベルトをななめがけにしながら追いかけた。腕時計へ視線を落とせば、針は六時すぎをさしていた。
たしかに、夕ご飯にいい時間だけども。……という反論を口にしている暇はない。逢坂先生の歩幅とスピードに合わせるためには、僕は早足にならないといけない。
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