手応えはありまくり



 この人を映画に誘ったのは、間違いだったのかもしれない。スクリーンととなりを交互に見て、僕はため息をついた。

 映画館へ着くまでの車中でも逢坂先生は寝ていて、上映中のいまも寝ている。いびきはさすがにかいていない。シートの座面からどんどんずれていくから、あの長い足が、前席の背もたれをいまにも押しやりそうだ。しかも、正体のない頭は僕のほうへと傾き始めている。

 ……いや、向こうどなりへいかないだけ、ましか。

 あっちは女の子だ。そのまた向こうの男とカップルに見えていたから、女の子へと凭れかかったらトラブルになり兼ねない。最悪、痴漢呼ばわりされるかもしれない。

 でも、逢坂先生はイケメンだし、痴漢とまでは言われないかも。

 きょうは、学校にいるときのスタイルと違って、オシャレシャツに高そうなジーンズを穿いている。髪も、あのしっとりキャラメルだ。それだから、たとえ抱きついたとしても許してくれるんじゃないかな……。

 僕は強く首を振った。

 いやいや、そういう問題じゃない。イケメンだろうがブサメンだろうが、痴漢行為はよくない。

 それに、僕たちは教師だ。変に騒がれでもしたら、即行、学校をクビになるかもしれない。

 そんな危ない橋をいま正に渡っているのだ。

 映画よりもハラハラさせるとなりに、僕は気が気でなかった。

 だがしかし、起こすという選択肢は毛頭ない。

 ……怖いから。せっかくの親睦会だし、なるべく機嫌を損ねたくない。

 いっそのことこっちで肩を貸せば、少しは安心できる。そう僕は考えつき、失礼しますと断りを入れてから逢坂先生のシャツを引っ張った。頭をなんとかよこそうとしたら、がしっと手を掴まれた。

 ひっ。

 声にならない声が出る。けど、声にならなくてほっともした。

 逢坂先生はまばたきを早めながら掴んだものをじっと見ている。

 僕は息を呑んだ。向こうの訝しげな目と目が合う。

 僕はどうにか眼力を強め、「ストップ睡眠!」を念じてみたけど、伝わったものかどうなのか。 

 逢坂先生はしばし目を伏せ、おもむろに姿勢を正した。

 伝わった! そして勝った! 先生のシャツから手を離し、僕は思わずガッツポーズを決めた。

 シートに座り直し、正面へと体を向ける。はあ、やれやれ。これでやっと集中して観れる。

 そう思った矢先だった。僕の肩にふと重みが加わり、なにかと思って目をやれば、いまはカラメルに変色している頭があった。


「……」


 結局はこうなるのか。ていうか、あの勝利はなんだったんだ!

 ……でも、まあ、こっちに預けてくれさえすれば、心置きなく観れるからいいか。

 図々しい頭はそのままに、僕はスクリーンへ目を据えた。




 スクリーンにエンドロールが流れ始めると、人の移動する音も増える。

 逢坂先生も目を覚ましたらしく、肩の重みは消え、代わりに大あくびが聞こえた。

 そんな中僕は、感動からくる落涙と闘っていた。

 薄暗いいまのうちなんだ。なんとか心を冷まして、いつもの自分を取り戻さなくては。

 先生にだけは泣くところを見られたくない。見られたら最後、笑い者にされるのがオチだ。あしたもあさってもしあさっても、根津先生を巻き込んでネタにしまくるに違いない。

 深呼吸を繰り返し、感動を薄める。涙が喉元をすぎ、安心して気を抜いたら、感動のあのシーンが脳内でリバースされた。一気にぶり返す。

 下を向いて、僕は耐えた。


「泣いてんのか」


 声の感じで、逢坂先生がこっちを覗き込んでいるのがわかった。

 僕は首を振り、唇を噛む。

「泣きません。堪えてみせます」を、態度で示す。


「この映画ってそんなに感動するやつ?」

「……」


 微妙にデリカシーのない言葉が心に吹きすさぶ。そのお陰か、ぶり返してきたものがちょっと引いた。


「……というか逢坂先生。ゆうべは寝れなかったんですか?」

「あ?」

「車でもここでもずっと寝てたじゃないですか」


 逢坂先生が小さく吹き出す。


「そうそう。寝れなかったね。お前とお出かけすんのが楽しみで」


 僕は顔を上げ、ぱっととなりを見た。


「た、楽しみって……」

「おー。涙も引く引く」

「え?」

「つうわけで行くぞ。俺は腹が減った」


 僕は固く目を閉じた。

 しゃっくりじゃないんだぞ、この涙は!

 目を開けると、逢坂先生はとなりにいなかった。上映室を、もう出ようとしている。

 僕は慌てて、カバンのベルトをななめがけにしながら追いかけた。腕時計へ視線を落とせば、針は六時すぎをさしていた。

 たしかに、夕ご飯にいい時間だけども。……という反論を口にしている暇はない。逢坂先生の歩幅とスピードに合わせるためには、僕は早足にならないといけない。

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