Temptation Voices
館内へと足を踏み入れた途端、左右から使用人が音もなく現れる。非常に上品な物腰ではあったが、館内の薄暗い雰囲気も合わさって、軽く悲鳴を上げて固まってしまった。
一歩も動けずにいる俺に構うことなく、荷物を持って俺の後ろにつく。どうやら運んでくれるらしい。失礼な態度をとってしまった事についての謝罪も兼ねて、
「すまん、ありがとう。」
と声を掛けたが、反応は乏しい。軽く、本当に軽く頭を下げただけだ。表情の変化も一切ない。俺は、その様子を見て少し背筋が冷たくなった気がした。
居心地が悪くなるのを感じながらも、後に続いて奥へと入っていく。そして、ロビーに出た。
俺はただただその美しさに目を奪われていた。中央には神を象った彫刻。衣の皺一つまで丁寧に彫りこまれ、まるで今動き出すかのような躍動感も備えていた。台座も細かい模様が丁寧に刻まれ、彫刻の美しさを引き立てている。壁には何枚もの油絵。それら全てが彫刻を囲う様に配置され、書かれた人物が見守っているかのような、そんな印象を受けた。
どれも非常に丁寧に書き込まれ、経年劣化している様子も全くない。このあたり一帯だけ、異様な雰囲気を放っている。
「……こりゃ凄いな……どれだけ金かかってるんだ……?」
気づけばそんなことを呟いていた。俺は完全にその場の空気に呑まれていたのだ。そんな俺の様子に気づいたリンダが、微笑みを浮かべる。
「ここは当ホテルで最も力を入れているんですよ。楽しんでもらえて何よりです。」
先ほどからずっと前方を凝視している俺に、楽しそうな声で話しかけてきた。よほど嬉しいのか、少し舞い上がっているような印象を受ける。
「ああ、これは凄いよ。また後でじっくり見させてもらうことにしよう。」
俺は軽く言葉を返す。いつまでもここに留まる訳にもいかないので、案内を続けてもらうことにした。彫刻の横を通り過ぎ、奥の通路へと進む。その時だった。
――ウフフフ……
――アハハ……
どこからともなく、笑い声が聞こえてきた。周りを見回すが、俺とリンダ、そして二人の使用人以外は誰もいない。
――ここはいい所だよ……
――皆優しくしてくれる……
――いつでも受け入れてくれるんだ……
――すごく楽しい場所だよ……
そんな、甘い誘い文句も聞こえてくる。当然ながら、周りに怪しい人影はない。非常に不気味で、俺はここに来て大丈夫だったのかと不安になる。
前を歩くリンダは、聞こえているのか慣れているのか分からないが、動揺している気配は全くない。後ろに続く使用人も同様であった。
そこはかとない恐ろしさを感じつつ、彼女についていく。少しすると、上へと続く階段が見えてきた。こちらも細部までこだわって作られており、まるで芸術品の様であった。上り続ければいつか天国へと行けるのではないか、と考えてしまうほどである。
彼女の後について階段を上り始める、何段か上がったところで、先ほどまで聞こえていた声が、ぴたりと止んだ。一体何であったのか気になるが、今は一刻も早く眠りたい。これ以上謎の声の事を考えている余裕など、今の俺には無かった。
数階上った時点で、先ほどの不気味な体験の記憶は、彼方へと消え去っていた。
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