第9話 桜餅味(ポテチ)

 ――キミは・・・要らないかなあ。




「……チッ」


 その日の朝の寝覚めは最悪だった。


 ふん。やな夢見ちまったぜ。せっかく忘れかけてたってのによ。


 毎日朝のコンビニでみづきと顔を合わせるようになってから数日が過ぎた。そのせいか、最近の俺は妙に昔のことばかり思い出すようになっていた。


 昔――といっても、四年とか、五年とか前のことだ、多分、俺が一番調子に乗っていた時期。俺にはなんだってできるとか、可能性が開けているとか、そんな風に傲慢になっていた時期。


 その頃に、冷や水を浴びせるようにして突き付けられた『お前は要らない』という現実は、当時の俺を打ちのめすには十分に過ぎた。


 ――どうせ、あたし、要らない子だから。


 みづきがそんなことを言う姿に妙な既視感デジャヴュを覚えたのは、何のことはない。要らない・・・・という言葉を叩きつけられたあの頃に鏡に映ってた自分と同じ顔をしていたからに過ぎないのだろう。


 だから俺は、あの時みづきを……だなんて。


「ったく。エゴイストにもほどがあるって話、だよな」


 ぶつくさ呟きながら、再び布団の中に潜り込む。今日は土曜だ。仕事もない。


 みづきは昨日、「また明日」なんて言ってたが、さすがに休みの日までコンビニで待ってる、なんてこともねえだろう。


 寝るぞ。今日は寝る。何としても寝る。睡眠王に俺はなる。


 なんて、布団の中でうとうとしかけているときのことであった。寝室の扉ががらり・・・と突然開かれたのは。


 その音を聞いて、ああ、またか・・・・・・と俺がぼんやりと思った、その直後――、


「ほらほら、起きて起きてお兄ちゃん! お兄ちゃんのかなでですよー! へーい、うぇいくあーっぷっ!」


 やかましい声が、寝ている俺に叩きつけられるのであった。


 * * *


「……朝っぱらからうるせえんだよ」


 奏に叩き起こされた俺は、瞼に気怠さを残したままダイニングの椅子に座っていた。


 本日は、週の終わりの土曜日だ。土日休みの俺にとっては、惰眠を存分に貪れるはずだった・・・日であった。


「またそんなことうー!」


 両手を腰に当てた奏が、非難する口調で言ってくる。


「なによぅ、そんなにつれない態度なんか取っちゃって。せっかくの血の繋がった可愛い妹が遊びに来てやったっていうのにサ」


「ないから。繋がってないから」


 兵頭奏。十九歳。現役浪人生にして、アホの子にして、俺の義理の・・・妹である。


 父親の再婚相手の連れ子なので当然血も繋がってない。しかし当人は兄妹というものに昔から憧れていたらしく――。


「またそんなことゆうー! いいじゃーん、気分の問題だもーん!」


 とまあ、ことあるごとに兄妹(義理だが)であることをやたら主張してくるのであった。


 ……ほんっと、こいつは昔ッから変わんねえよなあ。


「ふんだふんだ。せっかく、起こしてあげたってのにサ。お兄ちゃん冷たい」


「最近似たようなことを人に言われたばかりだな」


 言ってきたのはみづきだったか。ちょっと素っ気なくしただけで冷たいとは大袈裟な。


「だいたい、今何時だと思ってるのよお兄ちゃん。ほら、時計見てみてよ!」


「あーそうだな、ほんとだ、もうこんな時間だなー」


「見てないし!」


 さっきスマホで時間確認したからな。現在時刻は午前十一時三十分。せっかくの休みなのであと二時間は寝ていたかった。


 しかし、起こされてしまったものは仕方ない。椅子から立ち上がり、冷蔵庫の扉を開く。


 そこでふと思い立って、俺は奏に話しかけた。


「おい奏。お前、自分の年齢覚えてるか?」


「わたし? 十九歳!」


「そうだな。で、その十九歳よ」


「なんでしょうお兄ちゃん」


「さすがにその歳になってブラコンは可愛くないし、なんならドン引きだ」


「どっひぇー!」


 とんでもない声を奏が上げる。


 それからわちゃくちゃと妙な感じで両腕を動かし、抗議してきた。


「断固意義ありだよお兄ちゃん! 奏はお兄ちゃんっ子なだけで、決してブラコンなんかじゃないもん! あと奏は可愛い!」


「可愛いと言い切りやがったなお前。大した度胸じゃねえか、ああ?」


 まあ確かに容姿は整っているのだけれど、なんというか、低い身長にぺったんこな胸も相まってどう見ても小学生にしか見えない。良くて中学生だ。


 十二、三歳頃からまったく発育の進んでいない我が義妹を少々哀れに思いつつ、言葉を続ける。


「とにかくだ。その歳で兄貴の部屋に押し掛けてくる妹なんざいてたまるかっての。頼むから少しは兄離れをしてくれ」


「今日はこっちでバイトだったんだもん」


「……お前、よくまあこっちなんぞでバイトしてるよな。実家から一時間もかかるってのに」


「だってそれは」


 少し、奏の口調がまごつく。


 それから少し迷ったような間をおいて、彼女はその言葉を口にした。


「……お兄ちゃんが全然家に帰ってこないからだもん」


「帰ってたまるか、あんな家。親父も歌子さんも、今更歓迎なんざするわけねえしな」


「わたしが歓迎するもん」


「そうか。いい子だよな、お前は」


 かつて、俺がまだ本気でバンド活動に打ち込んでいた頃、両親、特に血の繋がっている俺の父親からは、さんざん反対されまくっていた。


 そんなバカなことはやめろ。実にもならんようなことをするな。将来のことをもっとよく考えろ。バンドなどという遊びなどいつまでも続くわけがない――ぶつけられてきた言葉たちは、今でも余さず覚えている。


 その確執は高校に上がる前から始まり、今に至るまで続いていた。


「……」


 冷蔵庫は空っぽだった。俺は扉をパタリと閉め、鍵を片手に玄関へと向かう。


「あれ? お兄ちゃん、どっか行くの?」


「飯買いに」


「あ、それならね、わたしお兄ちゃんにご飯買ってきたの!」


 そう言って奏がガサゴソとバッグから取り出したのは……ポテチだった。しかも、何を思ったのか、『桜餅味』なんてパッケージに書かれたものである。季節感もなにもあったものではない。


 寝起きにポテチというのがまず無理だし、桜餅味という恐ろしい響きに食欲を抱けるはずもない。そんな代物をいい笑顔で俺に差し出している奏は、やっぱりアホなのだと思う。


「……買ってきてくれたところ悪いが、食えるかそんなもん」


「がーんっ。な、なんで? 今週の新味なのに!」


 それが分からないからお前はアホなのだ。


 だが、まあ……気を利かせて買ってきてくれたものを受け取らないというのも気が咎める。


 奏の手からポテチの袋を受け取り、テーブルの上にとりあえず置いておく。食べるかどうかの判断は明日以降の俺に丸投げすることにした。


 それからポンポンと、奏の頭を軽く叩くようにして撫でてやる。


「えへへぇ、お兄ちゃんの手、あったかぁい♪」


「気色悪い声を出すな。お前も行くか、コンビニ?」


「いくぅっ」

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