2-11

 雪枝のインスタグラムページが彦坂京介のアカウントを表示する。彼女のスマホを借りて京介のインスタを閲覧する九条の瞳は輝いていた。


『おお、すげぇ。本当にあの京介さんだ』

「彦坂選手はファンと英語やイタリア語で会話されているので、コメント欄を見ているだけで勉強になって楽しいです」

『確かにコメントは日本語よりアルファベットが多いね。これは日本語のコメントだ。……このコメントもしかして隼人はやとさんっ?』


 アルファベットが並ぶコメント欄に混ざった見慣れた日本語の文章。京介にコメントをしたアカウントのユーザー名だけでは個人の特定がつかなかったが、そのコメントへの京介の返信には紛れもなく“隼人”と記載されていた。


「隼人さんって前に教えてくれた彦坂選手とプレイしていた九条さんの憧れの……」

『そうそう、俺が小学生の時に所属していサッカークラブの高校生チームに京介さんと隼人さんがいたんだ。隼人さんはプロにはならなかったけど、京介さんも隼人さんも俺世代のサッカー小僧には憧れのプレイヤーだった』


 かつて九条が所属していた関東のサッカークラブには二人の伝説的な選手がいた。ひとりはそのクラブから世界に羽ばたいた彦坂京介。

もうひとりは京介と肩を並べる技術と才能を宿し、京介のライバルでもあった木村隼人。


『京介さん達が高校の時にイタリア留学をかけた試合があってね。二人の試合を観客席から食い入るように見てたよ。隼人さんはその試合を最後にサッカーを引退してしまったから、俺が隼人さんの試合を見れたのはそれが最後だった』


 コーヒーが運ばれても尚、九条のサッカー談義は続く。

京介と隼人がどれだけ凄いサッカー選手なのか、嬉々として雪枝に語る九条と淑やかにケーキを口に運びつつ彼の話に耳を傾ける雪枝の構図は、どちらが大人でどちらが子どもかわからない。


『こうやって憧れの人の今を覗けるインスタって凄いね。京介さんと隼人さんのインスタが見られるなら俺もインスタ始めてみようかな……』

「もし始めたらアカウント教えてください。フォローします」

『ははっ。女子高生とインスタ繋がってたら友達に根掘り葉掘り探られそうだよ』


 サッカー話も一段落ついた頃には九条のコーヒーも雪枝のミルクティーも半分以下の量になっていた。彼女のレアチーズケーキも泡沫の欠片しか残っていない。


『雪枝ちゃん、この前の電話の時に何か話しかけたよね。何の話だった?』

「……大した話じゃないんです」


雪枝が話せずにいることを無理に聞き出そうとは思わない。それではまるで取り調べだ。

けれど話したいのに話せない、言い出せない、それは本人にとっても苦しい。


『違ったらごめんね。話したかったのは学校の友達のこと?』

「……公立育ちの私が私立に行くと価値観の違いもあって、色々とついていけなかったりもするんです。父は会社の重役をしていても社長ではないですし、家もお金持ちでもなければお嬢様でもないので」


 公立の学校しか知らない九条には私立に通う人間の気苦労や悩みを本当の意味では理解はできない。


私立の学校にありがちな富裕層の上流家庭と中流家庭の金銭的な格差。中流家庭の生徒が上流家庭の生徒の金銭感覚に合わせようとすれば、必ずどこかで無理が生じる。


小遣い稼ぎで安易にパパ活やママ活に手を出す高校生もいると聞く。けれど家が金持ちではないと雪枝は言うが、父親が企業の重役勤めならば平社員のサラリーマンの平均以上の収入はある。

彼女が金銭面の問題を抱えているとは思えない。雪枝の友達付き合いの妨げが金ではないとすれば、他に何があるだろう?


「でもこうして九条さんとお話するだけで元気になれますし、最近は匿名のチャットアプリでも話を聞いてもらってるんです」

『チャットアプリ?』

「ニックネームを登録するだけで使える無料のアプリです。独り言感覚でルームで呟いていると誰かが話しかけてくれてチャット機能でやりとりしたり、複数で通話もできます。このアプリです」


 雪枝に見せてもらった匿名チャットアプリのアイコンは九条も捜査の過程で何度か目にしている。

チャットアプリの存在自体に九条は懐疑的だった。SNSやチャットアプリを通して築く人間関係の怖さは、人の実態が見えない点。


 性別も年齢も職業もいくらでも誤魔化せる。

ネット上で相談に乗ってくれていた優しい相手が実は手配中の殺人犯だった、実は裏社会の人間だった。職業柄、真っ先に未成年者の使用によって起こりうる様々なリスクや犯罪を想像してしまう。


『くれぐれも変な人には注意してね。会話でイイ人そうに見せていきなり、パンツ見せろ裸の写真送れって言ってくる変態もいる。そういう人がいたらすぐに俺に連絡して』

「そんな人いませんよぉ。そこで知り合った馴染みの人達は皆優しいです。沢山相談に乗ってくれて、本名も知らなくて会ったことはないけど友達みたいな感覚ですね」


 顔も名前も知らないチャットアプリで知り合った人間を友達と呼ぶ雪枝はリアルの学校生活を語る時よりも生き生きとしていた。


それも彼女なりに見つけた人付き合いの手段だろう。青春時代が楽しい思い出で溢れるなら匿名のチャットアプリで作る友達もありかもしれない。

九条が腑に落ちなくても雪枝の人生だ。彼女の自由にすればいい。


(でも何か引っ掛かるんだよな……)


 チャットアプリの話をする雪枝の顔も口振りも、雪枝の本心もすべてがぼやけて見えるのは疲れた目のかすみのせい?


心の曇り空は晴れなかった。

街を濡らす雨もまだ止まなかった。

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