2-7

 港区のオフィス街は巨大なレゴブロックが乱立している。虎ノ門四丁目に所在する夏木コーポレーション本社ビルのエントランスに、どう見てもこの場にそぐわない服装を纏った少女が入り込んだ。


 白くて艶のある肩と鎖骨を剥き出しにしたオフショルワンピースの裾から伸びる少女の若い生脚を、エントランスを行き交う男性社員が舐めるように見つめている。

サンダルの足音をカツカツと響かせて少女は受付カウンターを目指した。


「あのぉ、秘書課の木崎愁さんを呼んで欲しいんですけど」

「はぁ……?」


 常に笑顔を絶やさない受付嬢もさすがにこの場違いな珍客には困惑した。


「お客様のお名前は……」

「ごめんなさい。名前言うの忘れてた。夏木舞。会長の娘なの」


 受付カウンターに二人いる受付嬢は二人して目を見合わせた。娘? どうする? と、受付嬢の戸惑いのひそひそ話が聞こえる。


身分を明かして相手が狼狽え、かしずく瞬間は最高に気持ちがいい。いつでも舞台の中央でスポットライトを浴びていたい舞はフロア中の視線がすべて自分に向いている心地よさに酔いしれていた。


「あっ! 愁さん、みぃーつけたっ! 愁さーん!」


 困惑の受付嬢を放って、エレベーターホールに現れた木崎愁に向けて舞は両手を振り回す。今すぐ愁に抱き着きに行きたいのにセキュリティゲートがあるため、これ以上先には進めない。


『舞。何でここにいる?』

「夏休みの宿題の社会科見学?」

『そんな宿題があるとは聞いてないぞ。会社の見学がしたいなら事前にアポをとれ』


 セキュリティゲートを抜けてこちら側に出てきた愁にようやく抱き着けた。

企業のエントランスでサラリーマンと十代の少女が抱擁する様は人々の興味を集める。受付嬢も社員達も愁と舞に好奇の眼差しを向けていた。


「パパはいつ来てもいいって言ってたよ。ねぇねぇ愁さぁーん。会社の案内してよ」

『会長の言葉を真に受けるな。会社は子供が遊びに来る場所じゃない。帰りなさい』


 甘える舞に愁が返した一言は舞が予期しない一言だった。彼は抱き着く舞を身体から引き離し、さらに諭す。


『舞が本気で会社の見学がしたいなら俺か会長にアポイントをとってから、TPOに合った服装で訪問しなさい。そんな肩や脚を出した服装で来るんじゃない』

「愁さん……」


まさかこんな風に冷たくあしらわれるとは思わなかった。普段の愁はなんでもワガママを聞いてくれる、甘えたい時に甘やかしてくれる優しい人なのに。


 セキュリティゲートの内側にいた女が愁の隣に並んだ。先ほど愁と共にエレベーターを降りてきた女だ。


「木崎さん、そんなきつく言わなくても……。ちょうど手が空きましたし、私が舞ちゃんを案内しますよ」

『申し訳ない。あと30分で定時だから舞の案内を終えたら帰っていいよ。……舞、くれぐれも迷惑かけるなよ』


 愁と女で勝手に取り決められた会社案内。一度も振り返らずに舞に背中を向けて去る愁が、遠い存在に感じて悲しくなった。


 涙ぐむ舞に女がハンカチを差し出した。キツネかタヌキならタヌキを思わせる柔らかい雰囲気の女だ。


「去年の夏木会長の誕生パーティーの時に会ってるんだけど、私のこと覚えてる?」

「……覚えてますよ。秘書さんですよね」

「よかった。秘書課所属の三岡鈴菜です。受付で舞ちゃんの入館手続きしてくるから待っててね」


受付で手続きを終えた鈴菜に渡された入館証のICカードにはゲストと書かれていた。


「入館にはこれが必要だからずっと付けていてね。行こうか」

「はぁい……」


 セキュリティゲートにICカードを認証させて舞はゲートの内側に踏み込む。首からゲストカードを提げた少女を社内の人間達が物珍しげに眺めていた。


「家での木崎さんはどんな感じ?」

「仕事してる時と変わらないかも。クールで無口で、煙草吸いながらソファーでぼぉっとして、そのままソファーで寝ちゃってお兄ちゃんに怒られてる」

「会社での木崎さんはキビキビしているから、ぼぉっとしてる木崎さんは想像つかないなぁ」


屋内庭園を囲む回廊を二人並んで歩く。案内された場所は夏木コーポレーションのティーラウンジだった。


「家にいる時の方がもっと優しいよ。勝手に来て怒られちゃった」

「家に帰った時に謝れば大丈夫だよ。ココアどうぞ」


 鈴菜が出してくれた甘くて冷たいココアが喉に染みる。向かいの席に座った彼女の容姿を舞はまじまじ観察した。

美人系ではないが、二重幅の広い丸い瞳と丸い輪郭は愛らしい印象を与える。この手の童顔な女を好きな男は多い。モテるタイプだ。


「三岡さんが愁さんの彼女?」

「ええっ? 違うよっ!」

「でも愁さんのことは好きですよね?」


 鈴菜の愁への態度には、はっきりとした好意を感じた。あれでは周りにも愁への気持ちが筒抜けだ。

大人にも恋心を上手く隠せない人間がいるらしい。


「バレちゃった?」

「わかりやすいんだもん。それに舞も愁さんが好きなの。好きな人が同じ人ってなんとなくわかっちゃうものでしょ? 同志って言うか同類って言うか」


好きな人が好きな相手も、同じ人を好きになった同類の存在も、恋をする人間は好きな人の周囲に敏感だ。


「愁さん恋人いるんだって。今度ね、舞とお兄ちゃんに会わせるために家に連れて来るの」

「そうなの……」


 鈴菜は明らかにショックを受けていた。彼女の様子を見ても愁の恋人は鈴菜ではない。


「木崎さんの恋人がどんな人か聞いてる?」

「なんにも聞いてない。会社で愁さんと噂のある人っていますか? 愁さんとよく話している女の社員さんとか」

「うーん……そういう話はちょっと私の口からは言えないかな。皆、ここでは真面目に仕事しているだけだから……ごめんね」


曖昧にはぐらかされてしまった。仕事中も愁に色目を使っているくせに真面目に仕事をしているだけとは、鈴菜の大人の建前に舞は冷めた愛想笑いで返していた。

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