サヨナラ、蒼穹。
FK
第1部 少女は罰を求める 少年は未来を求める 魔女はすべてを求める
はじめに
私立・
「あぁ、ありがとうごいます」
旧校舎の一室。
その立ちのぼる湯気を見つめながら、思い出す。
十分ほど前だっただろうか――その日の授業を終え帰宅するために昇降口へ向かっていた芥川は、一階の廊下で白衣を身に纏った彼女とすれ違ったのだ。
「これ、なんですか?」
「アンバーティーよ、どうぞ」
すれ違いざまに彼女がフラリと倒れたので、芥川は介抱のため保健室に連れて行こうとしたのだが、大丈夫だから肩を貸して、と案内された先が旧校舎一階の右手一番奥であった。
体調は問題ないですか、と芥川が気遣うと彼女はありがとう、と微笑んだ。
「そういえば、
芥川は彼女を知っていた。おそらくこの高校で一番の有名人であろう。
「そう、水無瀬香織よ。あなたは?」
「芥川龍一といいます」
「どこかで聞いた名前ね」
そうですね、と応じた芥川は周りに目を向けた。
「旧校舎にこんなところがあったんですね」
残された黒板を見る限りは、元は教室なのだろう。
「少し改装したの」
対面に座る彼女――白衣のポニーテール。その少しアツめの唇を見つめてから、芥川は腰を下ろしているダークブラウンの大型カウチソファーを撫でた。寝転んでもよさそうである。
「少し、ですか」
教室は大幅に改装されていた。
見慣れた椅子と机はない。全面張り替えられたと思われる真っ白いクロス。ブルーの厚手のカーテンは真新しく、床には北欧風の柔らかなカーペットが敷き詰められ、艶やかな木製のシステムデスクには高級ノートパソコンが鎮座している。天井にはアンティーク調のシャンデリア。LEDが眩しい。
ここは重役の執務室であろうか。
「外に総合芸術部とありましたけど、ここがそうなんですか?」
引き違い戸のプレートにはそう印字されていた。
「そうね、正確には私室のようなものだけれど」
学校内に私室を作っていいのだろうか、と芥川は疑問に思った。
「旧校舎にはほとんど来ないので、私室があるとは驚きました」
「それより――」
対面していた水無瀬はおもむろに立ち上がり、
「芥川くん、あなたって、とてもイイ匂いがするのね」
音もなく芥川の右隣に座り直した。
首筋に水無瀬の吐息がかかる至近距離。彼女の胸先の弾力を感じ、芥川はたじろいだ。
「さっきわたしが倒れたのはね、あなたのキラーフェロモンに条件反射したからなのよ」
キラーフェロモンとはなんぞや、と芥川は自分の襟首に触れながら、彼女から距離を取るために座り直した。
「……ハハッ」
照れ笑いをする芥川に笑顔を投げかけ、水無瀬は堪能するように鼻から息を吸い込んで――語り始めた。
「去年、父親から1,000万貰ったの。このお金を高校卒業までに3倍にしろって言われたわ」
水無瀬香織は『ミナセ』という国内大手スポーツ用品メーカー創業者一家の令嬢である。多少リスクはあったけど、と水無瀬が続ける。
「少し考えてから会社を創って、香水を販売したの。わたし昔から嗅覚だけは異常にいいから、少しだけ売れる自信はあったわ」
水無瀬が売り出した商品は『JK香水』という香料であった。企画、製造、販売まで1ヶ月という短期間ではあったが、販売促進費に資本の大部分を投じた結果、わずか3ヶ月で1万本を売り上げた。香料業界としてはまずまずのヒット商品であったが、水無瀬はさらに一族のコネを最大限利用した。
「キャッチフレーズはね、禁断のJKのにおい、ふふっ、いま思うと笑えるけど、これが半年も経つころには10万本売れたのよね。原価150円なのだけれど、販売金額は2,980円よ。SNSでの宣伝が功を奏した感じね」
会社創立から8ヶ月で売上金は3億を越えた。同時に水無瀬は本も売り出した。
「もちろんわたしが書いた本じゃなくって、ライターの人と一度打ち合わせただけ。後は企画が勝手に進んで、わたしも書籍が販売されてから読んだわ」
『JK社長・水無瀬香織の秒速で3億稼ぎだす処世術』も増刷を繰り返し、今や5万部のヒット作であった。
それはすごいですね、と芥川が適当に相槌を打つ。
「それからメディアにも積極的に出てブランディングを強化していた時期だったかしら、ふと思ったのよね。わたしほとんど学校行ってないでは? って。仕事が忙しかったから事実、そうだったんだけど……」
水無瀬は話を区切り、呼吸を整えてから清々しく言った。
「それからすぐに会社を手放したの。5億でね。正確にはミナセグループに買収してもらったのだけど」
急成長を遂げる会社の売却金としては割安だった。上場すれば数倍の資金調達が可能と助言されていた。
「やり直したくなったのね。気がついたら学校に友だちもいないし……」
おかしな話よね、と彼女は淋しく笑った。
「ここでは、わたしのコトを知っている人は多いのに、わたしが知っている人は驚くほど少ないのよ……」
芥川はそれなら、と思った。彼女が友だちを求めているのなら、至極簡単な話だ。
「――よければ水無瀬さん、俺と友だちになってくれませんか? これもなにかの縁ということで」
芥川の突然の申し出に、水無瀬は目を丸くした。
「ダメですか?」
芥川が再度願うと、水無瀬は瞬時に頬を紅潮させた。
「い、いいの? 芥川くん?」
「もちろんですよ」
彼女のポニーテールをが小気味よく揺れていた。
「うれしい! ありがとう! わたしの執事になってくれて」
「え? いやぁ……」と困惑しつつも受け入れられた芥川は思った。
資産家令嬢の執事か――そう悪くはなさそうだ。
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