葵羽ルート 3話「殺し文句」






   葵羽ルート 3話「殺し文句」






 葵羽の告白を改めて受ける事になった彩華は、2人で微笑ましく頬を染めながら、目の前にあるチーズケーキを口にした。

 とても美味しく感じられるのは、きっと恋人となった彼と食べるデザートだからだろうと思っていた。きっと、これからチーズケーキを食べる度にこの日の事を思い出すだろう。彩華にはそんな予感があった。



 「今日はとても緊張していました。彩華さんがどんな結論を出したのか。恋人になれるか、フラれるか、だったので……ハンバーグもほとんど味がわからなかったです」

 「…………葵羽さんが緊張しているようには見えませんでした。……私の方が緊張していました」

 「それは……わかっていました」

 「………そうですよね」



 彼にも自分の気持ちがバレていたのかと思うと、ますます恥ずかしくなってしまう。

 けれど、彼が緊張したというのは意外であった。自分だけがドキドキしていたのではないとわかり、少し安心出来た。



 




 店を出た後は、今日は歩いてきたという葵羽が、彩華を家まで送ってくれた。

 次の日が早番だと言うと、「早めに帰った方がいいですね」と、心配してくれたのだ。

 店を出てすぐに、葵羽は彩華の手を見つめて「手を繋いでもいいですか?」と、言った。彩華は少しだけ躊躇いながらも、「はい」と返事をすると、彼の大きな手が彩華を包んだ。細くて長いゴツゴツとした手。あの彼とは違うな、と思ってしまったのは秘密だ。この大きな手の温もりと共に歩いていくと思うと、彩華の胸がきゅーっと締め付けられたような気がした。それが、幸せな証拠だと、少しずつわかり始めていた。



 店から彩華の家までは近かったので、恋人になってからのデートはあっという間に終わってしまった。

 彩華は緊張してはいたけれど、やはり好きになった人が目の前にいるのに、もう離れなければいけないのは寂しい。しかも、まだ日は出ている時間帯だ。葵羽の気遣いは嬉しいけれど、彩華の本音は「まだ一緒に居たい」だった。




 「あの………ここが私が住んでいるアパートなんです」

 「あぁ、ここですか。静かな所でいいですね。駅から離れているので、夜のデートの後は送ります」

 「ありがとうございます………」 




 名残惜しくて彩華は繋いだ手を離さずに居ると、葵羽は少し苦笑いをした。




 「今日は車ではなく歩いてきて正解でした」

 「手を繋げて、私も嬉しかったです」

 「それもありますが………車だと2人きりなので、たぶんキスをしてしまっていたと思います」

 「え…………」



 彩華は「キス」という言葉で一気に体温が上がった気がした。

 どういう意味なのか、彩華が頭で理解する前に、葵羽はまた話しを続ける。




 「彩華さんが帰りたくないと拗ねるような可愛い顔をするもので………そんな顔をされるとさすがに私も我慢出来なくなりそうで。でも、今は外ですから。キス、出来なくて残念です」

 「あ、葵羽さんは、私の事褒めすぎです………」

 「そうですか?でも、恋人なのですから、普通だと思いますよ。………ここで長話をしているとご迷惑になりますね」




 彩華たちが居たのはアパートの玄関の入り口付近だ。誰も人はいないけれど、いつ誰が来るかわからない場所だ。

 葵羽は、彩華に向かってニッコリと微笑んだ。



 「今日はとても幸せな日になりました。これからよろしくお願いします、彩華さん」

 「はい。………こんな私ですが、よろしくお願い致します」

 「それでは、また連絡しますね」



 その後の葵羽の行動は華麗だった。

 繋いでいた彩華の手を離すと思ったが、その手をそのまま自分の元へと引き寄せ、手の甲に小さく唇を落としたのだ。冷たくふわりとした感触に、彩華は驚き目を大きくして葵羽を見てしまう。

 けれど、葵羽は全く表情は変えずに、「少し早いですが、おやすみなさい」と言う言葉を残して去っていった。1度振り返って、彩華の事を見た後に小さく手を振ってくれてので、彩華も呆然とそれを真似する。

 彼の後ろ姿が見えなくなった後、彩華はよろよろと歩き始め、自分の部屋へと向かった。

 そして、部屋に入ってからベットに倒れ込み、そのまま「んー」とうなり声をあげた。今の彩華は顔や首もと、そして耳までも赤くなっているだろう。それが見なくてもわかった。

 


 「………恋人ってすごい………」



 手の甲にキスなど、現実ではないと思っていた。けれど、それを自分が体験するとは考えてもいなかったのだ。

 愛しくてかっこいい彼が王子さまのように見えてしまった。きっと彼だから似合うのだろうと思いつつも、これが惚れた弱味なのかとも感じてしまう。




 葵羽の甘い言葉と態度に、彩華は初日から翻弄されていたのだった。




 




 付き合い始めてから、葵羽と彩華は毎日欠かさずに連絡をし合っていた。お互いに忙しい日もあり、挨拶ぐらいしか出来ない事もあった。けれど、それでも彩華にとっては毎日が新鮮であり、大きな変化だった。仕事をしている時も、葵羽から連絡は来ているか、次はいつ会えるかなど考えてしまうのだ。

 そして、葵羽は会った頃から変わらずとても優しかった。

 帰りが遅くなる時は、葵羽が車で迎えに来てくれて、そしてそのご飯を食べて帰る事が多くなった。いつもご馳走になってしまい申し訳なさそうにすると「では、もう少ししたら手料理を食べさせてくださいね」と言ってくれるのだ。


 そして、付き合うことになって初日に「キス」の話しをしたけれど、彼はそれ以降そんな話しをしてこなかったし、キスすることはなかった。やはり彼は口では冗談を言いつつも、紳士なんだなと思ってしまう。

 けれど、会う度に彩華は「もしかして、今日かもしれないと」緊張してしまっており、それがないとわかると、ホッとしつつも、少し残念な気持ちになるのだ。そして、そう思ってしまう自分が恥ずかしくなる。

 どれだけキスに憧れがあるのだろうか。悶々としているようで、はしたないなとも思ってしまう。

 けれど、愛しい人とのキスを憧れるのは仕方がない気もしていた。



 その日は遅番だったので、「今、仕事が終わりました」と、葵羽からすぐ電話がかかってきた。


 「こんばんは、葵羽さん」

 『お疲れ様、彩華さん。』



 耳元で彼の優しい声が聞こえる。

 葵羽は付き合い始めたばかりの頃はとても丁寧な言葉が多かった。けれど、少しずつ気軽さを感じられる話し方になってくれていた。


 それは彼が少しずつリラックスしてくれて、自分に素を出してくれているのかと思える。彩華も飾らなくていいのかなと、ホッと安心する。だからこそ、少しずつ、本当の自分を出せれば嬉しいなと思っていた。

 けれど、やはりまだ初めての「付き合う」という経験なのだから、気合いも入るし緊張もしてしまうものだった。



 『私もまだ神社の方にいましたので、今からそちらに向かいますよ。夜道は危険なので』

 「ありがとうございます。私が神社の方に向かいますよ」

 『ダメです。待っててください』

 「………わかりました」

 『着いたら連絡します。』



 『それでは』と言って、葵羽は通話を切った。これぐらいの会話でもまだまだ緊張してしまうのだ。彩華が素を出せるのはまだまだだろう。



 彼から連絡が来たので、葵羽の車に乗った。

 すると、彼はすぐに「実は……」と話しを始めた。



 「今日も食事をご一緒したかったのですが、今から用事がありまして。秋祭りの打ち上げ、という名の飲み会があるのです」

 「え………そうなんですね。そんなに忙しいのにわざわざすみません」

 「いえ。少しでも彩華に会いたかったのですよ」

 「…………それは………私もです」



 葵羽の言葉はとても甘いものだった。

 けれど、彼が忙しいときにまでこうやって気を遣わなくても大丈夫だと思ってしまう。けれど、こうやって言われてしまうと何も言えなくなってしまう。ずるい、と思ってしまう。



 彩華は頭の中で考え込みながら話しをしていたらので、少しぎこちない会話になってしまう。

 そして、気がつくと車が停まった。あっという間に彩華の家に到着してしまったようだった。彩華はハッとして周りをキョロキョロと見た。



 「あ、もう家に着いたのですね」

 「はい。名残惜しいですが………。あの、彩華さん、考え事ですか?」


 

 やはり葵羽にはわかってしまっていたようだ。彩華がぼんやりと会話をしていたところをよく彼は見ているのだ。さすがは、年上と言ったところだ。

 彩華が言葉を詰まらせて迷っていると、彼はニコニコと微笑んで待ってくれている。

 それを見ると、彼に話しても大丈夫じゃないかと思えてしまう。葵羽にはそんな力があると思った。



 「あの………葵羽さんには無理して欲しくないです。私もとっても会いたいのですが、用事があるのにわざわざ時間を作って忙しいのに来てくれるのは………嬉しいけど、葵羽さんが大変だなと思ってしまいます。………会えるのさ嬉しいし、今日会えなかったら寂しいとは思うんです。私の気持ちが矛盾してますよね」

 「………私は気にしないんですけど………確かに今日はバタバタしてしまう事になりましたね。………無理はしないように気を付けます。けれど、彩華さんも心配しすぎはダメですよ。頼って貰える方が男は嬉しいので」

 「はい………」

 「それに、彩華さんが私に会いたいって言ってくれたのは嬉しかったです。やはり言葉で言われるのは嬉しいです」

 「恥ずかしいですけど………いつも思ってますよ。会いたいなとか、まだ離れたくないな、とか」



 彩華は普段は言えない事を今は言える気がして、勢いのままに話してしまう。彼の顔を直視できなく少し視線を逸らしながら話す。彼がどんな表情をしているのかはわからない。

 彼の返事がないのを見て、彩華は恐る恐る顔を上げる。すると、彼は自分のシートベルトを外して、彩華の顔を覗き込んでいた。


 

 「この間は我慢しましたが、恋人になったので、我慢しなくてもいいですか?」

 「え………」



 彩華の頭は真っ白になっていた。

 何の事なのか、理解が出来ない。

 すると、彼の細い指が彩華の唇に触れてた。以前、夜景を見に行った時と同じだった。



 「………あなたにキスしてもいいですか?」

 「…………」



 断るはずもない。

 けれど、彼はきっと彩華が初めての恋人というのを気にしてくれているのだろう。けれど、そんな事を気にして欲しくはない。

 彩華は葵羽の彼女になったのだから。



 「………そんな事、聞かないでください」

 「それは………」

 「私だって葵羽さんが好き、なんです。葵羽がキスしたいと思ってくれたのが嬉しいし、私だって、したいです。だから、葵羽がしたい時にして欲しいです」

 「………彩華さん。それは男にとって殺し文句ですよ」



 葵羽は驚いた顔をした後、少し負けたような悔しそうに微笑んだ。

 そして、彩華の片方の頬を手で包みゆっくりと見上げるように促す。

 彼の整った顔がゆっくりと近づき、彩華は咄嗟に強く目を閉じる。しかし、彼が微笑んだのがわかった気がした。

 しばらくすると彩華が経験したことがない感触が、唇に落ちてきた。

 冷たくて柔らかい。ただ唇同士が触れ合っているだけなのに、体が熱くなる。そんな不思議な感覚だ。

 それ以外は緊張から考えられなくなっていた。


 けれど、今までで1番葵羽を感じられた事が、彩華は嬉しくて、キスの感触に酔いしれてしまったのだった。





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