第3話「神様への舞」
3話「神様への舞」
彩華は葵羽に言われた通りに、少し温かい服装をしてその日は出掛けた。
いつも仕事帰りに着ないような服を着て、メイクも仕事では使えないラメが入ったアイシャドウやリップを使って華やかにした。髪も時間をかけて綺麗にしてみた。
デートに行く前はこんな気分なのだろうか。彩華はそんな風に思いながら、神社のお祭りに行く準備をしていた。
彩華が家を出る時はまだ明るかったけれど、神社に到着頃には、街は夕焼け色に染まり始めていた。
秋のお祭りには参加したことがないので、どのようなお祭りなのかはわからない。そこまで着飾るわけではなかったけれど、丈が長いワンピースにジャケットを合わせた服装にした。
こんな風に着飾った時に葵羽に会うのは初めてなので、少し気恥ずかしくなってしまう。
少し緊張した気持ちで、神社の石段を上がっていく。すると、正面に米や野菜、果物がお供えされていた。
そして、その前では神楽鈴と扇を持って立っている人がいた。
神社の正装のようで頭には衣冠、鮮やかな模様が入った紺色の衣と紫の袴が見えた。
目に入ったのは、纏められた髪だった。いつも見とれてしまうぐらい美しい銀色のような淡い茶色の髪だ。それを見て中央に立っているのが葵羽だとやっとわかった。
すると、葵羽は正殿に向かって頭をゆっくりと下げた後、鈴を鳴らしながら綺麗に舞を披露し始めたのだ。
赤く染まった空、そして整った顔と、不思議な銀色の髪の男性。金色の刺繍が入った衣の長い袖。それが舞によって、キラキラと動いている。神秘的な光景に、まるでこの世のものではないような雰囲気を感じ、見るものを魅了していた。
収穫祭には関係者と数人の観客しかいなかったが、皆が葵羽の舞に釘付けになっていた。
葵羽の無表情でも微笑みでもない、菩薩のような表情は、彼が神に仕えている物だと思わされるものだった。
彩華はそんな彼を見つめながら、手を胸に当ててワンピースをギュッと握りしめた。
胸が苦しい。鼓動がうるさい。体が熱い。
それでも、彼を見る視線を逸らす事は出来ないのだ。
あぁ……私は彼の事が好きだ。
その瞬間から、彩華は自分の気持ちに蓋をする事など出来なくなった。
葵羽への気持ちがあふれで止めることなど不可能だった。
1年で彼と出会った日は少なかったかもしれない。けれど、彼の優しさに触れ、彼にどんどん惹かれていった。
出会った秋の頃は、ただただかっこよくて、落ち着いた大人の人だなと思った。けれど、子どもと一緒に松ぼっくりを探す姿はどこか少年のように見えた。
冬は、風邪をひいた彩華を見て心配してくれて、次に会った時はホッカイロをくれて「無理はダメですよ」と、労ってくれた。カイロの温かさが、とても優しく感じたの初めてだった。
春は子ども達とお茶を飲みながら桜を見て「にぎやかなお花見はいいですね」と微笑んでくれた。子どもがお茶をこぼして、葵羽の袴を汚しても、彼はニコッと笑って「着替えをするとサボる理由が出来ました」と、冗談を言ってくれた。
夏は、寄り道をした彩華に「一緒に涼みませんか?」と、冷たいラムネをくれ、木の下で2人でこっそりと飲んだ。
そして、今は彼に会いたい。
近くで笑っていたい。
もっともっと彼を知りたい。
そう思ってしまう。
収穫祭は終わる頃、辺りは暗くなり、人も疎らになった。
葵羽と少しだけでも話せるかなと思っていたけれど、忙しそうにしているため、そっと帰ろうとした。
その時、神社の本殿の横にある緋色原っぱのスペースが目に入った。
何故か、夜にトンボが飛んでいたのだ。
そういえば、夜にトンボが飛んでいる事はないな。と、思い彩華は誘われるようにそちらへ向かった。
いつもは、保育園の子ども達と遊んでいる場所。子ども達の笑い声が耐えない場所だが、今はがらんとしており、外灯もないため真っ暗だった。ここだけが街から切り離された空間のように、彩華は感じてしまった。
「彩華先生」
「…………あ、葵羽さん」
そこには、先程舞を披露した時の豪華な正装のままの葵羽が立っていた。
彩華はゆっくりと後ろを向くと、葵羽は少し驚いた顔を見せたあと、ゆっくりと笑ってこちらに歩いてきた。
「………起こしてしまいましたね」
「え………?」
葵羽はそう言って、クスクスと笑っていた。
彩華は彼が何を話しているのかわからず、首を傾げた。すると、「シーっ………」と人指差しを出して静かにするよう彩華に伝えると、葵羽はその指を秋華の肩まで伸ばした。
彼の白くて細長い指が彩華の髪に触れた。すると、「ジジジッ」と、何か機械音のような振動する音が彩華の耳元で聞こえた。彩華は驚き体を動かす。すると、そこから1匹のトンボが逃げるように飛んでいってしまった。
「あぁ、残念………」
彼は何故が嬉しそうにしながら、そう言った。葵羽は彩華の肩に止まっていたトンボを捕まえようとしていたのだろう。やはり、こういう所は見た目によらず子どもっぽいなと思ってしまう。
「トンボ………夜にいるなんて、珍しいですね。夜はどこに行ってしまうのかなって考えてたんです」
「トンボは夜行性ではないので、寝ているのですよ。………叢などに止まっているんです」
「叢………あ………」
彩華は先程彼が言った言葉の意味をやっと理解出来た。
彩華がこの場所に来てしまった事で、トンボが起きてしまい、彩華の肩に止まったのだろう。
「今日は来ていただき、ありがとうございました。夏祭りとは違い露店もなくつまらなかったかもしれませんが…………」
「いえ!そんな事はありませんでした。葵羽さんの舞、とっても素敵でした。こういうの初めて見たんですけど、神秘的でそして華やかで、葵羽さんがとっても神様みたいで………。素敵なお祭りに招いていただき、ありがとうございました」
途中から先程の興奮のままにしゃべってしまい、彩華は恥ずかしくなり、最後は小さい声になってしまった。けれど、そんな彩華の言葉を葵羽はとても嬉しそうに聞いてくれていた。
「舞はまだまだ初心者なんですけどね。喜んでもらえてよかったです」
「………はい。また、見たいです」
そう言うと、少しだけ静かな時間が過ぎた。
あぁ、もう帰らなければいけない。
葵羽は片付けなどで忙しいはずだと思いつつも、この2人の時間が終わってしまうのが切なくて、「さようなら」と言うのを躊躇ってしまう。
すると、その葵羽が次の言葉を紡いだ。
口を開いた瞬間は、「では、また……」と言われてしまうのではないかと怖くなってしまう。
けれど、そうではなかった。
「彩華先生、いつもと雰囲気が違いますね」
「あ………休みの日だったので、少しおしゃれをしてしまいました………仕事だとなかなか出来なくて………」
「保育園の先生はおしゃれ出来ないですもんね。いつものカジュアルも素敵ですが、ワンピース似合いますね。可愛いです」
「え…………」
「お休みの日の彩華先生を見られて、新鮮でした。お誘いしてみて、そういう姿が見られて嬉しかったです」
「…………あ、ありがとうございます」
お世辞だとはわかっている。
けれど、彩華は彼に褒められたのが嬉しくて、口元がニヤついてしまう。それを手で隠していたけれど、きっと頬が赤くなっているのでバレてしまっているはずだ。暗くて見えない事を祈るしかなかった。
「神主さーん!」
「あ、はい!今、行きます!………すみません、呼ばれてしまいました」
本殿の方から葵羽を呼ぶ男の人の声が聞こえた。葵羽は返事をした後、彩華に頭を下げた。
「暗くなったので、気を付けて帰ってくださいね」
「………あ、あのっ!」
彩華は思わず葵羽の事を引き留めてしまう。
葵羽はいつものように優しい笑みを浮かべながら、彩華を見て「どうしましたか?」と、聞いてくれる。それだけでも嬉しい。
そして、彼に優しくされて「可愛い」と言われて、自分でも有頂天になりすぎていたのかもしれないと、彩華は後から振り替えって思ってしまう。
「葵羽さん………この後、お食事に行きませんか?………時間があったらで大丈夫なんですが………」
好きな人もいなかった自分が、こうやって誘ってしまうなんて、思ってもいなかった。
けれど、気づいたそう葵羽に伝えてした。
彩華はハッとして、最後の方はまた声が小さくなってしまう。
恐る恐る彼の顔を見ると、少し驚いた顔を見せた後、葵羽は眉を下げて困った表情をしていた。
彩華はそれを見てしまった瞬間、胸が痛くなってしまった。
「誘っていただいたのに、申し訳ないです。………すみません、人を待たせているので。また。」
葵羽はそう言うと彩華に向かって小さく頭を下げた後、小走りで明かりが灯る本殿へと向かった。
彩華は彼の背中が見えなくなってから、ようやく一歩ずつ歩き始めた。
「恋愛って痛いな………」
小さく口から漏れた言葉は、闇に消えていってしまった。
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