くずの話

くずofくず

第1話フィクション 性描写あり。

Sと、グルメンに、捧ぐ。


 

 この小説は処女作にして俺の排泄物である。読者の方、そんな稀有の方がいらっしゃるのなら、俺の自慰を見てもらっているのと本質的には変わらない。今後は、一行一行がシーツにこぼれた体液の滲みであり、一文字一がベッドから床へ落ち埃にまみれた陰毛である。

 物語をあの年の7月1日の月曜日から始めるのに迷いはない。これは恋の物語であり、二人が出会った日が正確にその日だからだ。

俺は「出会い厨」のくずだった。月曜日の朝8時に目覚めたくもないのに目覚め、冷房を効かせた部屋で毛布にくるまりながら13時出勤までの貴重な自由時間をどのように使うか迷っていた。

 断っておくが、二人が出会う前の自由時間と、二人が出会ってからの自由時間は似ているようで大きな意味の違いがある。俺と彼女には、自由な時間はたくさんあったはずなのに、常に不自由さに怯えていた。彼女は特に。

 迷っていたと言っても、選択肢は少ない。贅沢な趣味として所有しているロードバイクに乗って足腰を鍛えるか、7月にしては肌寒い中、この日、この夏最初の屋外プールで水泳に勤しむか。

 もしこの日が、30度を超える真夏日で、水泳日和だったら、と思わずにはいられない。もし、泳ぎに行くと決めていたら、当然、俺は彼女には出会っていない。彼女に出会っていない俺は変わらない日常を幸せだと思っていたのだろうか?俺に出会っていない彼女は、誰か都合の良い人を見つけ、俺にしたように、その背中の匂いを嗅いで「好き」とささやいたのだろうか?彼女は、死なない毛虫をまるっと飲み込んだような腹に抱えた秘密を泣きじゃくりながら告白したのだろうか。

 おそらくそうなのであろう。所詮、ネットに毒された男と女の話なのだから。そうでないことを祈りはするが、この祈りは他の全ての祈り同様、誰にも聞き入れられることもなく消えていく。

 迷っていたと言っても、俺の指は無意味に、無意識にスマホの画面を探り、まるでそれが毎日の決められたルーティーンのように出会い系のアプリをインストールしていた。

 複数の出会い系のアプリを彷徨い、カラダを売っている女を冷やかす。

「話が早い人」「生で2」「意味がわかる人」「困ってます」「えん」

そんなアプリの上のメッセージに

「39歳ですけど会えますか?」と手当たり次第に書き込みまくっていた。俺はその前の週に45歳を迎えていた。返信が来るのは稀。返信が来たら来たで、「写メもらえますか」だの、「値段下げてもらえないですか」だの、素っ気なく返信したりしなかったりで、反応を暇つぶしに見ているだけだった。女を買ったことがないわけではなかったが、45歳の俺には、見知らぬ女、体を売らなければ生活ができない、欲しいものを手に入れられない女たちで満たさなければならないほど性欲は残されていなかった。性欲が強いとは言えなかった。むしろ訳があって弱い方だった。

 それに、この当時、俺は行きつけの鉄板焼きバーで皿洗いのバイトとして働いていた20歳の可愛らしい女子大生と、バイト帰りに一人暮らしの家まで送って行ったり、週に1、2回ぐらいLINEのやりとりをしたりするような仲になったばかりだった。名前は高山マユといった。この女子大生マユは、可愛らしくはあったが、この物語の中で重要な役割をしめてはいない。最初に家まで送って行った帰り際、お互いなんと名前を呼び合うかの確認作業をしたにもかかわらず、決して俺のことを名前で呼ぼうとしない、そんな女だった。この娘について、言うべき事柄はきっちり後述する。

 俺にとっての運命の7月1日の朝、俺は、無駄に、淡々と、女たちのプロフィールにメッセージを送り続けていた。一区切りして、送る相手がいなくなったらもう少し眠り、目覚めたらロードバイクで出かけよう、との思いはあったが、自分でも気づかない間に30分、1時間と無駄な時間は過ぎていった。穴だらけのバケツに水を注ぎ込んでいるようだった。

 彼女は、俺が彼女の美しさを、人柄を褒めるたびに「私はそんなに褒められるような人間じゃないのに」とよく言っていた。そう思っていた。だか、褒められるような人間じゃないのは、全く以て俺の方だ。

 気づけば、1時間半もアプリを触っていたかと思う。1歩たりともベッドから降りてはいない。からかう相手も出尽くした感を感じた俺は、最後に、Twitterでめぼしい女はいないだろうかと#静岡と検索してみた。

 アプリより後回しにTwitterを覗いたのは、Twitterにはなかなか体を売っているような女は現れないからだ。少なくとも静岡県の富士市ではそうだった。

 その日、#静岡で検索して出てきたものが何だったか、記憶にない。彼女の募集を除いて。居酒屋、美容院、風俗店、整体、天気の情報、俗に援デリ業者と呼ばれる、無認可の売春組織が片手間に運営するアカウントの定期的なツイートがあったはずだが、そんなアカウントも本気で客を募集してるようには見えなかった。そもそもTwitter上でそのような募集をかけること自体が犯罪である…Twitter上でなかったとしても。

 そして俺は、ついに彼女のツイートを目にする。

 残念なことに、返す返す残念なことに、俺はこの時の彼女のツイートの内容をはっきりと覚えていない。そのツイートがいかに後々俺にとって大事なものになるなんてその時の俺にどうしてわかるであろう?

 彼女の下着姿か、または不必要に肌を露出した、キャミソールのような服を着た顔の見えない写真が1枚かまたは何枚かあった。それは覚えている。身にまとっていた下着か服は黒だった。これは断言できる。彼女の芳しい唇は写っていたのだろうか?今となっては、その後無数に、何層にも何層にも重なる落ち葉のように撮られた有象無象の写真とともに忘却の彼方へ紛れている。

 Twitter上の彼女のアカウントの名前は「あ」。それだけ。

 そして、会える人いませんか?と言う趣旨のツイートが#静岡ともにつぶやかれていたと思う。

 そのアカウントから、そしてそのアカウントのツイートからわかったことは、他とは違い、そこに彼女が確かに存在して、奇跡的に俺の家から非常に近いところにいて、年齢はアラサー、30歳前後であること。今か、近いうちに会える男性を探しているということ。それだけだった。それだけ?いや、本物の女が募集しているかどうかもわからなかった。それでも、明らかな業者ではないと思えた。結果的に俺の勘は正しかったことになる。俺は、早速、そのアカウントにダイレクトメール、DMを送った。いつものように、淡い期待と、期待を裏切られる覚悟をごちゃごちゃに混ぜた気持ちで。

 そして、返信があった。


続く。


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