第43話:魔女と隊長

「あ、貴女達は!」


「そのは長くは持たない! 早く逃げて頂戴! 追撃の邪魔になるから!」


 背中に串刺しとなっている魔力体を振り払おうと、酸噛竜は左右に大顎を振って藻掻き続けていた。段々と魔力体の色が薄くなっていき、解放されるのは時間の問題であった。


 即座にヒナシアは投げ捨てた物干し竿を拾い上げ、棒高跳びの要領で上空へ舞い上がった。二秒後、箒に乗ったゼルコ・ヴィーンが彼女を抱き留め、更に高空へ上昇すると――。


 残りの魔女達が杖の先を地表に向け、魔力の光弾を一斉に射出した。五度、六度と爆発音が響き……やがて黒煙の中から顎をだらしなく開いて斃れる、醜い酸噛竜の姿が現れた。


「いやぁありがとうございます本当に! とんでもないを取るところでしたよ!」


 陽気な声を上げるヒナシアに対し、ゼルコは「馬鹿じゃないの!?」と声を荒げた。


「悪手どころじゃないよあんなの! 丸腰で竜種と戦おうとしていたの!?」


「いやぁ、正直いけるかなぁって……」


 アングリと口を開くゼルコ。頭を掻いて苦笑いするヒナシアの言葉が理解出来ないようだった。


「…………魔女でもないのに?」


 いや、その女は魔女だ――下の方から声がした。幼体の検死を行っていた魔女に……ヒナシアは見憶えがあった。


「あっ、先程の方でしたか! どうも高いところで会いますねぇ!」


「し、知り合いなんですか分隊長!?」


「まぁ、そんなところだ」


 鋭い双眼をヒナシアに向けたのは、ジャナラ・レアという魔女であった。ヒルベリアを支える良き分隊長として国家防衛に勤しむ彼女は、ヒナシアの身体をジロジロと値踏みするように見回した。


「……魔杖無くして、どうやってここまで来た? 馬車も走っていないし、まさか徒歩で来た訳ではあるまい」


「えーっと……その……屋根を借りたというか……」


 ヒナシアの顔が引き攣る。明らかにから、「屋根やその他の修理代を請求されるのでは」と考えたからだ。


「そ、そそそそんな事よりですねぇ! あの、この近くに男の子はいませんでしたか!? それに家族らしい人も、友達も!」


 眉をひそめつつも……ジャナラは「少し待て」と杖を翳し、目を閉じると軽く先端で円を描いた。


「…………人間程の生命反応は無い」


「生命反応って……もしかして――」


「落ち着けオーレンタリス。この地域はに幼体が来た。建物も大きく壊されていない」


 眼下に広がる住宅街を見つめるヒナシア。ジャナラの言う通り、一帯が壊滅したとは言いにくかったが……。


「…………」


 自身の目でカイル達の無事を確かめるまでは、とても喜ぶ気持ちにはなれなかった。


「……やはり、私の目でこの一帯を――」


 駄目だ! ジャナラが怒鳴った。


「お前は魔杖を持たない魔女――要するに現在は一般人だ。今後も何が起きるか分からん、戦域に国民を出歩かせては我々の恥となる!」


 分かってくれオーレンタリス……声調に若干の変化が見られた。


「もし……逃げ遅れた国民がいたら、我々は必ず救出する。直に衛生兵隊も到着する、その時はこの地域を重点的に捜索するよう頼んでおく」


 ヒナシアは押し黙り、頷いた。


「誰か、オーレンタリスを近くの避難所へ送ってやれ」




 異形の目を閉じず……フワァと口だけを動かす奇妙な欠伸をしたは、歩く度に舗装路を踏み抜く酸噛竜越しに、倒壊を待つだけとなったバクティーヌの建物を見つめていた。


「誰かこっちを見ている。分かんない、それより飽きちゃったよ」


 遠くに聞こえるのは逃げ惑う観光客の声と、ガラガラと崩れ落ちる外壁の音ばかりだった。


「もう帰ろうか、荷物も置いたし。そうだね、後は頑張ってくれるよ」


 大きく身体を伸ばした彼女は、ゆったりとした足取りで劇場区を後にした。人気の無くなった土産物の横丁を歩く最中、腹部を軽く擦った。


「お腹減った。私もだよ」


 はぁーあ……溜息を吐く魔女はしかし、軒先に並ぶパンや菓子類には目もくれず、疲れた様子で歩を進めた。


 やがて横丁を抜けた。そのまま歩き続けていると、酸噛竜が進軍する方角から爆発音が鳴った。


「この匂いは何かな。火薬だよ、大砲に撃たれたみたい。ううん違う、もっと良い匂い。そうかなぁ……あっ、本当だ」


 鼻先を空に向け、子犬のように嗅ぎ回っていた魔女。果たして前方に視線を向けると……。


 通りの向こうに、彼女と同じくらいの小柄な女――シーミィ・ロンドリオンが立っていた。


「もうお帰りですか、お客様」


 笑顔、台詞とは裏腹に……猛烈な怒気を孕んだ声だった。一方の魔女は奇怪な双眼を嬉しそうに細め、「あぁ」と手を打った。


「私の言った通り、見ていたんだよ。本当だね、凄いね」


 微笑を浮かべ、魔女は散歩でもするかのようにシーミィの元へ近寄った。


「初めまして、。私の名前はエルキュオーラ・ジャベロ」


 丁寧に一礼するも、シーミィは微動だにせず……。


「聞こえていないのかな」


 潮垂れた様子でエルキュオーラが言った。だが間も無く表情は明るくなり、シーミィの方へ鼻を向け、再びクンクンと匂いを嗅いだ。


「うん、うん。うんうん……凄いね。うんうん、凄いよこの魔女さん」


 だね――エルキュオーラは呟き、野に咲く花を香るように目を細めた。更にシーミィへ歩み寄り、「実は」と申し訳無さそうに言った。


「お願いがある。私からもお願いが」


「えぇ、仰って下さい」


 エルキュオーラは照れたように頬を掻き、「せーのっ」と声に出し――。


 お願いをした。




?」




 生温かい風が吹き、両者の髪を優しく撫でて行く。


 貴女を食べても良いか? 狂人じみた依頼を受けたシーミィは、やがて目を細めると……。


 灰色の双眼を煌めかせると、異形なる横倒しの瞳孔を見つめ、答えた。


「出来るのなら――」


 エルキュオーラの瞳が輝いた。刹那、彼女の頭上に小さな魔術紋様が大量に浮かび、赤く光る短刀のようなもの――魔力体が散弾の如く発射された。これに対し、シーミィが顔を上げた瞬間……。


 地面へ着弾した短刀により、大量の土煙が充満した。


「凄いなぁ、無傷だよ。目が良いんだろうね、よく分かったね」


 


 パチパチと拍手をするエルキュオーラは、軽く息を吸ってから、土煙を一瞬で吹き飛ばした。傷一つ無いシーミィが――ゆっくりと歩み寄って来ていた。


 シーミィが右手を横に振る。ジャキン、と鋭い金属音が響く。袖に仕込んでいた魔杖が展開された。


「伸長式格納魔杖……《薄明の夢》の魔女さんなんだ。その節は――」


 深々と頭を下げ、エルキュオーラは言った。



 重ね重ねになって悪いんだけど――足下を向いたまま、横倒しの双眼が煌めく。近くに置かれていた石の丸椅子が独りでに浮かび上がり……。


「お代わりが欲しいの」


 エルキュオーラが言い終えた瞬間、シーミィの顔面へ丸椅子が――弾丸のように飛んで来た。


 骨が砕ける音。肉が千切れ飛ぶ音。血が撒き散らされる音は、しかしながら聞こえなかった。代わりに「両断された丸椅子が後方で転がる音」が……エルキュオーラの耳に届いた。


「バクティーヌ特別区内警備隊長シーミィ・ロンドリオン。貴き職務と我が朋友達の悔涙を肢体に宿し……」


 シーミィの両目は輝きを増していく。呼応するように杖も粘るような煌めきを放つ。その光景を、エルキュオーラは瞬き一つもせずに、異形の瞳で見つめていた。


を執行する。安心しなさい――」


 刹那、杖の先端が弧を描く。「あっ」と墜堕の魔女エルキュオーラ・シャルベロが声を上げた。


 自身の右手首から先が……鮮血と共に、地面へ落下したからだった。


「貴女と違い――だけは残してあげるから」




 魔女同士の闘争は、人知れずにと相成った。

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