第44話:魔女と「術」
ここに、一人の魔女がいるとする。
彼女は小さな魔女宗で修練を終え、王都で公職に就く為に大きな包みを背負い、山道をノンビリ歩いていた。そこに二人組の男が現れる。彼らはこの辺りを根城とする山賊だった。
山賊は言う。「金目のものを置いて行け」と。
魔女は言う。「どうかお見逃し下さい」と。
そうでしたか、どうもご迷惑をお掛けしました――当然、山賊がこんな言葉を吐く訳は無い。二人は大鉈を取り出し、彼女の首元へ刃を当てる。
「俺達だって、何も人殺しが趣味な訳じゃねぇんだ」
魔女は怯える、というよりは……「さて、この場合は良いんだっけ」と悩み始めた。魔女宗では「一般人を魔術で害してはいけません」と、口酸っぱく注意されているからだ。
山賊はやがて眉をひそめる。「どうもこの女は怖がらない」と。大の男ですらが、今までは土下座をして命乞いをしてきたし、女子供など恐怖の余り失神するぐらいだったからだ。
果たして魔女は特例の存在を思い出す。
回避不可能な危険が迫り、穏健な解決法が見出せない場合、相手に重篤な結果を引き起こさない魔術に限り、この使用を認める――。
あぁ、こういう時か!
魔女は「ちょっと待って下さい」と包みを開く。男達は「ようやく観念したか」と口角を上げてその様子を見守っている。三秒後、出て来た魔杖がキラリと輝き……。
山賊は猛烈な睡魔に襲われ、その場で眠ってしまった。
優しい魔女は男達を道の端に動かし、持っていたパンを二切れ、彼らの手に握らせると、再び王都へ向けて歩き出した……。
以上が、平和的な魔術使用の一例であった。
あくまでこれは「敵意を持った一般人」に対しての場合であり、「敵意を持った魔女」が相手では――。
修めた魔術、全ての使用が赦された。
魔女とは……ある意味で、人間では無いからだ。
人外の力――魔術を会得したシーミィ。
魔力の暴走――その成れの果てであるエルキュオーラ。
魔女と魔女の闘争開始を宣告したのは、号砲や手旗では無く……綺麗に切断された、エルキュオーラの右手首であった。
激痛に顔を歪めたり、野獣の如き悲鳴を上げる代わりに、エルキュオーラは即座に落ちた右手首を拾い上げ、間合を一気に詰めて来るシーミィに投げ付け、自身は後方へ低く跳ねた。
主人に置いて行かれた右手首は、甲斐甲斐しくも投網のように細く伸張し、迫る敵を捕縛しようと独りでに動いた。
「よいしょ」
エルキュオーラが呟いた。ズルリと濡れた音を立て、新しい右手が、断面から飛び出した。
「――っ」
野花の茎程度に細く、しかし驚異的な速度で襲い来る献身的な手を認めたシーミィは、更に速度を速め、杖を逆手に持ち替える。地面とほぼ平行になるぐらいまで姿勢を低くする事で、魔の手は頭上に位置取った。指の根元を睨み――。
一太刀の内に、五本全てを切断した。
「硬度、どのくらいにしたの。鉄ぐらいかな」
それじゃあ駄目だ――エルキュオーラは眉をひそめ、先刻まで歩いていた横丁へと着地する。ジャリジャリと足裏で砂を引き摺りながら、海老反りの体勢になる程、大量に空気を吸い込んだ。
「ぷふぅっ」
両手で円を形取り、その中心から溜め込んだ空気を吐き出すと、舗装路、看板、店舗の外壁全てに「切り傷」のような損壊を及ぼしながら直進する――圧力波がシーミィを襲った。
ガラスを割り、木屑を巻き込み、煉瓦すらも砕く空気弾を見据えたシーミィは、睨め付けるように目を凝らし、渦の中心を発見した。それから杖の先端を向け――。
エルキュオーラと全く同規模の空気弾を射出したのである。二つの弾はぶつかり合い、その場で消失、相殺してしまった。
「あれ、消された――」
横倒しの目が見開かれた。構う事無く、シーミィは杖を握り直し――双眼に《茨紋》を滲ませる。魔術行使の多用を助ける《集束》の為だった。
両手を地面に突いたシーミィ。後ろ足で地面を蹴り付けた瞬間、ほんの数秒でエルキュオーラの二歩先まで到達した。
爆発的な身体能力の向上――魔力の集束は、小さく華奢なシーミィへ、剛力と神速の両立を約束したのである。
杖の先端はエルキュオーラの胸元を狙い澄まし、最短距離で空中を突き進む。しかしながら墜堕の魔女、容易く討ち取られるのでは幾多の凶罪を犯せない。
一瞬、異形の双眼が妖しく輝いた。視線の先を円状に圧壊させる魔術、《瞬眼圧消》の発動であった。着弾すれば、シーミィの眼球は弾け飛び、鼻は喉奥まで沈み込み、歯列は逆側に反り返るはずだった。が……。
神速を手にしたシーミィは俄に杖を地面に突き刺し、それを追うようにして頭を下げ、破壊的魔術を回避した。シーミィの後方、六歩先が超重量の鉄球でも落ちたように凹んだ。
「っ?」
それだけでは無い。突き刺したままの杖を支点とし、身体を思い切りに右へ捻ると……。
「ぎっ」
暗色のロングスカートから飛び出た左足が、エルキュオーラの右頬を蹴り飛ばしたのである。数本、彼女の白い歯が吹き飛び――。
「あっ……」
引き抜かれた杖が斜め上に宙を走る。今度は右腕、その根元から切断された。落下する腕を鷲掴んだシーミィは、持ち主の顔面を目掛け……。
「お返しします――」
突き刺すように押し付けた。グシャリ、と音が鳴った。五本の指は自由に折れ曲がり、その内の一本はエルキュオーラの右目を貫いていた。
なおも、シーミィは追撃の手を止めない。右目の辺りを押さえつつ腰を曲げたエルキュオーラを見下ろし、頭部へ杖の先端を向けた。ブゥン……とくぐもった魔術の発動音が鳴り――。
幾重もの光る縄状の魔力体が発生すると、エルキュオーラの身体にグルグルと巻き付いた。
「あれっ、動かない」
身体を捩る墜堕の魔女。顔を上げようとするも、結果として首筋を差し出す形から動けずにいた。迷わずシーミィは杖を両手に持ち……。
「まずは一撃――」
素早く、エルキュオーラの首を跳ねたのである。ゴロゴロと転がる首はやがて止まり――「驚いたね」と喋り始めた。シーミィも臆する事無く首の方を見やり、輝く粒子の漂う魔杖を向けた。
「ここまで練り上げた魔女は久方振り。うん、あの日以来かな」
横倒しの目が滲むように光ると、首の断面から夥しい量のどす黒い体液が流れ出した。同時に「離れた身体」は泥のように溶け、消えた。
「ここまで見せてくれた。そうだよ、やっぱりお礼をしなくちゃ」
エルキュオーラの首はゆっくりと宙へ浮かび上がるにつれ、体液の噴出は一層増えていく。果たして体液は「失われた身体」の形を取り――悍ましき再生を遂げた。
「これ、好きなんだ」
新しい身体は以前と変わり無く小柄だったが、その体躯の倍近い大きさを誇る長剣……所謂「斬馬刀」を握っていた。黒い刀身は水面のように蠢き、柄には螺旋を描くような紋様が浮かんでいた。
「よいしょ」
エルキュオーラは斬馬刀を軽く投げると、宙でこれを掴み――片腕のみで、地面と平行になるよう構えた。切っ先はシーミィの額から約五〇センチメートルまで接近していた。
「おいで。魔女さん。今度は――」
斬れると良いね。
斬馬刀が、俄に直進した。
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