第14話:魔女と三人
「ちょっとお客さん達! そのくらいに――」
若い男性店員が大男の肩を掴んだ瞬間、彼の右頬に強烈な殴打が飛んだ。
「ケーニ君っ!」
店員ケーニはゴロゴロと床を転がり、大きな音を立ててテーブルに激突した。苦痛に顔を歪め、唇からは一筋の血が流れ出した。
「ハッハッハ! いやぁ飛んだなぁラウゴー兄貴! そうだ、カンダレアの奴らはどうにも平和ボケしているから教えてやるよ、俺達はな、ソボニール国で前線歩兵をやっていたんだ」
ソボニール国の歩兵――この言葉を耳にした時、客達の表情に怯えが生まれた。
ソボニール国は、カンダレアから山を二座越えた辺りに位置する軍事国家であった。「交渉の成立とは、相手の生き血を飲む事である」、国父として名高いザウネ将軍の言葉をなぞるように、ソボニールは勇猛果敢かつ凶暴な戦闘集団を大量に抱えていた。
喧嘩をする時は、最初にソボニール出身かどうかを訊ねよ――半ば冗談、半ば真面目なこの教訓を……店員、客はすぐに思い出したのである。
「もう止めておけ。これ以上聞かせると、奴ら小便ちびるだろうからな」
違い無い――供回りは客を嘲るように嗤った。
「さぁ、店長さん。生意気な店員の手当ては後にしてくれ。早いところ酒を出してくれねぇか? それとも、何だ……まだ酒は出て来ないから――」
大男ラウゴーはヒナシア達の方を見やり、不敵に笑った。ポカンと彼を見つめるヒナシアの後ろで、シーミィが歯噛みして胸元を押さえている。
一般人に対しての魔術行使は認められず、一度でも破れば《魔杖》の没収は勿論の事、出身の魔女宗を穢す羽目になってしまう。
故に――「沈黙」、或いは「逃走」だけが、魔女に赦された行動である。その歯痒さに……シーミィは必死に戦っているのだった。
「そこの姉ちゃん達が相手してくれるってのか?」
止めて下さい! ケーニの口元をエプロンで拭うラーニャが叫んだ。
「好い加減にしないと兵隊さんを呼びますよ!」
うぅん? ラウゴーは眉をひそめ……嫌みったらしく続けた。
「呼ぶなら呼べよ、店長さん。しかしだな、ここカンダレアでは酒場での諍いについては不介入だった気がするぜ……? 酒を売るってのは大変だなぁ、店長さんよ」
「…………っ!」
刹那――堪えていたシーミィは、とうとう我慢ならぬと言った表情で懐から《魔杖》を取り出そうとしたが……。
「ひ、ヒナシアさん!?」
ヒナシアの小麦色の手が、シーミィの「破戒」を寸前で制止したのである。それからヒナシアはパチリとウインクし、「バレたら不味いでしょう?」と囁いた。二人のやり取りを目敏く見付けた供回りの一人が、ゆっくりとヒナシアの方へ歩み寄って来た。
「何だ何だ、内緒話なら俺達も入れてくれよ? ところで……俺達、最近ご無沙汰でねぇ」
「ほう、ご無沙汰とは?」
ヒナシアは華奢な男に微笑み掛けた。浴びるだけで純潔を奪われそうな下劣極まり無い視線に、しかし彼女は平気な様子で腕を組んでいる。
「ご無沙汰って事は、ご無沙汰って事よ。……あれか、姉ちゃん。金か? 俺達は金持っているぞ? 三人を相手してくれたら、そりゃあタンマリ払うさ」
似合わぬ髭を歪めながら、男はヒナシアの右胸に触れようとした。
「デカいなぁ。持て余しているだろ、これ――」
その時だった。
男の伸ばした右手が胸に触れる寸前、褐色の細指が素早く絡み付き……。
「いだっ――あっ」
あらぬ方向に手首が曲げられると同時に、男はしなやかな足払いを喰らった。ヒナシアは微笑みながら宙に浮いた彼の首を掴むと――果たして、床面に頭から思い切りに叩き付けた。
「すいませんねぇ。この素晴らしい胸は、将来の旦那様に捧げるものでして……。貴方のような下賎な人間が触れて良いものでは無いのですよ」
途端にもう一人の供回りが「テメェ!」と立ち上がり、ラウゴーはジロリと彼女を睨め付けた。
「キレオを倒すだなんて……唯の女じゃねぇな?」
それは勿論! ヒナシアはニヤリと口角を上げ、首を左右に倒して「手軽な準備運動」を行った。
「我が名はヒナシア・オーレンタリス。かの《春暁の夢》から輩出された、麗しく誰からも愛される――素敵な魔女で御座います」
俄に店内がざわめいた。幾ら《ラーニャの酒場》が魔女も歓迎であると言っても、本当に魔女が酒を飲んでいるとは思いもしなかったからだ。更には小麦色の肌、短いシャツにホットパンツという出で立ちに――。
一同は目を疑ったのである。
「……仮にテメェが魔女だとしたら、これは大問題だ」
小狡そうな顔の男が言った。
「『魔女は一般人に対して、身体を害する魔術を使用してはならない』。知っているだろ、この大原則を」
途端にヒナシアは「アハハハハ!」と腹を抱えて笑い出し、涙を拭いながら答えた。
「使ってねー! 魔術なんて使ってねー! それに……酒場の諍いは不介入って、さっき自分達で言っていたでしょ?」
ほら、もう来なさい――小馬鹿にした笑みを浮かべ、ヒナシアは男に手招きした。
「『三人を相手にしたら大金を払う』、私、ちゃーんと憶えていますから」
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