第13話:魔女と酔客
一つ、読者諸賢に想像して頂きたい事がある。
例えば、アナタが最も欲しいもの――それは金銭でも物品でも、土地でも良い――と、アナタの好みに全て合致した人間が同時に現れ、しかも難なく手に入った時を思い浮かべて欲しい。
どうだろう? しかめっ面を浮かべるどころか、ニヤリと不敵に笑んではいないだろうか。
口角の片方をググッと持ち上げ、「むふふ……」と品性を失いそうな笑い声を上げてしまう程の幸運。そんな幸運が、今――(元)魔女のヒナシア・オーレンタリスの前に現れた。
アナタの一〇〇倍も嫌らしい笑顔をベッタリ顔面に貼り付けていたのは、最早言うまでも無い。
「…………ニヒヒヒヒ」
「何を笑っているんですか!? あっ、あっちに行きなさい!」
フードの中から睨め付けるシーミィ。声だけは凜々しかったものの、生来の幼い容姿と――「人の弱味が大好きな」ヒナシアの性質が奇妙に共鳴し、全く威嚇の意味を持てずにいた。
「いやいや、これはどうもどうもぉ……この前はたぁーいへんにお世話になりましたよねぇ」
あれぇ? 籠に入った野菜を手に取りつつ、カウンターの奥からラーニャが微笑み掛けた。
「お二人さん、お友達なんだぁ。まぁね、魔女同士仲良くした方が良いよねぇ」
「ち、違います――」
まぁまぁまぁ……ヘラヘラと笑うヒナシアは、「ラーニャさん、こっちでお友達と飲みますね」と店主の了承を取った。寝床に入り込んだ毛虫を嫌がるような表情を浮かべるシーミィは、精一杯椅子を動かして毛虫――ヒナシアから離れようとした。
「あっちに行って下さい! どうして貴女がここにいるんですか!」
声を潜めながらも精一杯に怒りを表明するシーミィ。一方、ホーデンドライ(三杯目)をグビグビとやるヒナシアは、何とも嫌らしい笑みで細い肩を叩いた。セクシャルハラスメントを堂々と働く、中年男性じみた不快な笑顔だ。
「どうしてもこうしても……私はえらーいシーミィさんの言うような不良魔女ですから? お酒でもかっ喰らおうかなぁと。まぁ不良だから、お酒を飲もうが酔っ払って道で酔い潰れようが、構う事は無いのです。それなのにぃ……」
ビクリ、と肩を震わせるシーミィはそっぽを向いた。しかしヒナシアは素晴らしい笑顔と共に、フード越しに彼女の頬を突いた。
「不良魔女じゃないのに、お酒――おっと、身長が伸びそうなバナナ酒の牛乳割りでした――を飲んで、『ぷはぁっ(裏声をヒナシアは用いた)』と一声上げたお方を見付けましてねぇ。…………誰だと思います?」
ヒナシアが意地の悪い質問を投げ掛けている間も、店員達は元気良く出迎えの挨拶をした。《ラーニャの酒場》、これよりピークタイムへ突入だ。
「ラーニャさぁーん! こちらのご常連に、バナナ酒をもう一杯!」
「はぁーい! ありがとうございまぁーす!」
「あぁーりがとぉーござぁーす!」
「くぅっ……!」
殺意丸出しの眼光を以てヒナシアを睨め付けるも、今のシーミィに彼女を怯ませる力は無い。フードに隠れているものの、頬はアルコールによって薄ら紅色に染まっている。
「ほらほら、もう何もかもバレてんだから。そんなフードなんて脱ぎなさいな」
フードに触れたヒナシアの手を、しかしシーミィは勢い良く払い除けた。
「あ痛っ」
「触らないで下さい! 店長――ラーニャにバレてはいますが、それでもバクティーヌに通うお客様に見付かってはならないのです……! 貴女のように、あっちへこっちへフラつける立場では無いと、好い加減理解して貰えませんか!?」
余りに真剣な表情でシーミィが怒る為……流石のヒナシアもふざけるような笑顔を消してしまった。
「……そんなにバレたくないなら、自宅で飲めば良いのでは?」
それが出来たらどんなに楽か……! シーミィは俯きながら言った。
「私の家はバクティーヌの近くにある女子寮です。職場の人間が多く出入りする場所で、ノンビリお酒を飲む訳にはいかないんです……! 酒精の匂いを消す魔術だってラーニャに習ったくらいです」
「えっ、良いなぁその魔術……! 私にも教えて――」
「だから貴女と立場が違うって、何度言わせるのですか!」
ラーニャがソッとバナナ酒の二杯目を置き、空いたコップを静かに片付けた。
「こうしてお酒を飲んでいるにしろ――貴女と違って、私は品行方正な魔女を演じなくてはいけないのです! 禁止されている賭博に手を出したり、堂々とお酒を飲めるような――ゴロツキ魔女とは違うんです!」
シーミィは一気に言い終え……目を見開き、すぐに「ご、ごめんなさい」と頭を下げた。酒の香りと酔いが、彼女に備わる礼儀作法を曇らせてしまった。
「ゴロツキは……言い過ぎました」
無言でジョッキを傾けるヒナシア。やがてシーミィの方へ椅子を動かすと、「こちらこそ」と語り掛けた。
「いくら憎たらしい貧乳チビ魔女とはいえ……唯一、気を張らなくてよい時間を邪魔してしまいました。これは私の落ち度ですね、どうもすいません」
顔を上げたシーミィは、怒る事無く――申し訳無さそうに微笑むヒナシアを認めた。
「『誰しも侵されたくない聖域を持つ』……そう言えば昔、まだ魔女宗にいた時に師匠がバカみたいに連呼していましたよ。その言葉を忘れるところでした。危ない危ない。さて、と……」
残りのホーデンドライを飲み干したヒナシアは、カウンター奥で鍋を掻き混ぜるラーニャに「ご馳走様ですラーニャさん!」と言った。不意に声を掛けられた店長の魔女は「えぇっ!?」と目を丸くして駆け寄って来る。声こそ出さぬものの、シーミィも不安そうに眉をひそめた。
「いやぁラーニャさん、今日はとっても美味しかったです。申し訳無いんですが、今日はお財布を忘れてしまって……お代は今度、配達の時に――」
「お代は要らないって言ったでしょお! それより……その……立ち入った事を聴くけど――」
カウンターから身を乗り出し、ラーニャは「喧嘩した?」とヒナシアに耳打ちした。
「いえいえ、唯……シーミィさんから、魔女として大事な事を学んだだけでして。今日は自宅で、今一度、魔女とは何かについて勉強でもと」
あ、あの――シーミィがヒナシアの名を呼ぼうとした瞬間、店の外からゲラゲラと下品な笑い声が聞こえて来た。店員や客達が不安げにドアの方を見やるとほぼ同時に、乱暴にドアが開かれた。
「よぉ! 可愛い店長さん! 悪いが酒をくれねぇか?」
薄汚れた衣服(国外のものだった)を纏った大きな男は、二人の供回りを連れてドスドスと無礼な足音を鳴らしながら、カウンターのすぐ傍へやって来た。ラーニャは不快そうな表情を浮かべ、黙して彼を見つめていた。
「貴方達には、二日前に『もう来ないで下さい』と言った気がします」
男は供回りの方を振り向き、大袈裟に肩を竦めてみせた。
「そりゃあアンタの勘違い……だろうなぁ。俺達ぁそんな事言われていねぇぜ」
すっかり萎縮した客達は、そそくさと席を立って店の奥まった位置に逃げて行った。しかし彼らなど意に介さず、男達は許可も貰わずにカウンターへガタンと座った。
『魔女は一般人に対し、肉体的精神的を問わず、魔術による有害行為を行ってはいけない』
酒場の店長、ラーニャ・ヴィニフェラの脳裏に――この禁則がふと、過った……。
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