23話「夢の波間にほどける心」
「舞鈴、起きなさい。今日は学校に行くって言ってなかった?」
母親に声をかけられて舞鈴が目をこすりながら目を覚ます。
「・・・お母さん」
「ん?」
カーテンが開け放たれ、窓から差し込む眩しい光に舞鈴が眉間にしわを寄せる。
「お母さん、私ね・・・。お姉ちゃんに会った」
「え!?」
「お姉ちゃん、ドジっちゃったって」
舞鈴はまだ起き上がらず、母は彼女のベッドの傍らに膝を着き舞鈴の顔をのぞき込む。
「夢に出てきたの!? 本当に?」
「う、うん」
母の食いつきぶりに舞鈴が目を丸くする。
「お母さんもお姉ちゃんと話をする夢、見たの!」
「嘘ぉ!」
がばっと起き上がった舞鈴と母が両手を組んで見つめ合う。
「本当!?」
「本当よ、お母さんも見たの」
「きゃあーーー!」
母の言葉に舞鈴の歓喜の声が重なる。嬉しさに目を輝かせ互いに笑顔で顔を見合わせた。
「お姉ちゃんうっかり足を滑らせたって」
「失敗したって、ドジったって言ってたわ」
2人して驚き、そして笑った。
「本当に見たんだ」
「本当よ! 同じ事言ってた」
母の言葉に舞鈴が続ける。
「お姉ちゃん、自分のこと馬鹿だなって笑ってたよぉ」
お互いに自分の見た夢を事細かに話して、雫としたように笑って泣いた。ふたりして「お姉ちゃんらしい」と何度も言って心弾ませて笑顔でいた。
嬉しさと切なさが入り交じる感情が落ち着いて、沈黙が訪れた後に舞鈴が居住まいを正して母に問う。
「お母さん、私お姉ちゃんの通った学校行っても良いよね」
ベッドの上で正座した舞鈴が母の返事を待ち、母は目を伏せて逡巡していた。
「お姉ちゃんがね」
舞鈴の言葉に母が顔を上げる。
「自分の替わりに卒業してって、制服着てほしいって。そう言ってたの」
口元を手で押さえて嗚咽を漏らす母の目を舞鈴は真っ直ぐ見つめる。
「私、勉強頑張る。絶対受かってお姉ちゃんの制服着るよ。さっ、学校行かなきゃ!」
聞かない答えを決め込んで、舞鈴が両手を握りながらファイティングポーズを取って見せた。
ベッドから跳ねるように飛び出ていく舞鈴の背が、元気な雫の後ろ姿に見えた。血が繋がっていないなんて嘘みたいに似ているその姿に母は元気をもらって立ち上がる。
「太ったら着られなくなるわよ」
「嫌だなぁ! お姉ちゃんと同じ事言ってる!」
元の2人っきりに戻ってしまったけれど以前とは違っていた。
雫と父に毎日声をかけ事ある毎に話を聞いてもらう2人の日々を雫が知るのはもう少し後のこと。
舞鈴や母と話を終えて、その姿が消えた後も雫は川の上を歩いていた。川が見せる映像は徐々に小学校低学年の出来事が増え、幼稚園や保育園の頃が混ざりだす。
「ここら変は覚えてない事多いなぁ・・・」
保育園でおもちゃの取り合いして泣いたり、上手く伝えられないもどかしさに大泣きしたりする自分がいる。幼い自分が可愛く見えたり恥ずかしかったり。
若い父の顔を見て驚きママの笑顔に母の笑顔を重ねて嬉しく思いながら歩く。
ふと顔を上げると少し先で悠斗が座り込んでいるのが見えた。その背から泣いている気配が感じられて目が止まる。
悠斗はドラゴンへ転生した日々を歩ききり、今やっと自分の最初の死にたどり着いていた。彼が目にした物は自分の知っている事とは少し違っていて、様々なことが心に刺さって悲しかった。
「兄ちゃん、暇だよね? これ気が向いたら読んでみて」
弟の持ってきたマンガを受け取らず、悠斗はその時そっぽを向いたまま弟の顔を見ることはなかった。
「来なくて良いよ、どうせ1度は行けって父さんにでも言われて来たんだろ?」
悠斗が見なかった弟の顔が悲しく曇るのを今になって目の当たりにして心が疼いた。
「また来るよ」
そう言ったきり二度目はなかった。
夢の場面が切り替わるように、流れる川が見せる面が変わる。
「お兄ちゃん、痩せてた・・・」
「行ったの? 行かなくていいって言ったのにッ」
悲しそうな弟の表情に母が心配そうな顔を向ける。
(いつだってあいつの事ばかり)
悠斗はそう思いながら、高校生になってもまだ母の愛を欲している自分を少し恥ずかしくも思う。
幼かった頃「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」そう言われ、悠斗は家の中ひとりで過ごす日々が続いた。健康な悠斗とは違い病弱だった弟は入退院を繰り返し、熱が出たと言っては家を空け寂しそうだからと言っては足繁く病院に向かう母が遠く感じれた。
入院した兄の姿を見て弟の心に影響はないかと彼の顔を伺う母に悠斗は歯噛みした。流れる川がひらりと面を変え別の映像を見せる。
悠斗の祭壇を置いた隣の部屋で、遺影を見つめる母の力ない姿が悠斗の前に現れた。その母の背を見つめて弟が立っている。
「お母さん、どうして毎日行ってあげなかったの?」
「忙しかったから・・・」
「僕が入院していた時には毎日来てたじゃないかッ!」
壁を叩き弟、
「あ、あの頃ははる君小さかったし・・・、淋しそうだったから・・・」
「皆淋しいよ・・・。病気で入院したら大人か子供かなんて関係ない、皆不安で淋しいんだ!」
悠斗の足元に波が晴斗の心を寄せてくる。彼の心に黙り込み我慢している悠斗の姿が浮かんでいた。それは入院した高校生の悠斗と幼い悠斗だった。
「僕を心配して一緒にいてくれたように、どうしてお兄ちゃんにはしてあげなかったんだよ!」
病院で1人になる淋しさよりも、悠斗が淋しそうにしている姿が晴斗の胸を刺した。その痛みが悠斗の心に染み込んで思わず涙がこぼれる。
(僕が母さんを独り占めしてた、お兄ちゃんから母さんを奪ってた・・・)
(晴斗・・・)
晴斗の心の声が切なく痛い。
「あなたは大事な時期だったし、食事もちゃんとしなきゃ・・・」
「お兄ちゃんだって大事な時期だったんじゃないのかッ!?」
詰め寄る晴斗に絶句して母が口ごもる。
受験勉強と死に向き合う時間とどちらが大切なのかと、喉元まで出かかった言葉を飲んで晴斗は別の言葉を探す。
「晴斗はるとって色々してくれて嬉しかったよ、嬉しかったけど・・・。あの時、お兄ちゃんだって小さい子供だったでしょ? 僕はもうほとんど病気しなくなったし、お兄ちゃんが入院した時ぐらいお兄ちゃんの事だけ考えてあげられなかったの!?」
晴斗の優しさが選ぶ言葉に悠斗が崩折れる。
(あんな別れになるなんて・・・、大丈夫とか元気だとか嘘つかれて死に目に会えないなんて)
言葉に出来ない思いを心の中で吐露した晴斗の声が悠斗の心を揺さぶる。
母に連れられて病室に来た悠斗の俯き加減な顔、母の前で晴斗に声をかける時にだけ見せた笑顔。晴斗の世話をする母の背後で淋しそうに母を見つめる悠斗の姿。
「見て、お兄ちゃんがお手紙書いてくれたんだよ」
嬉しそうな母の笑顔は晴斗に向けられていた。
それでも母の口から自分の話題が出た事に嬉しそうな表情を見せる悠斗。彼が母を振り向かせたいと思う気持ちを晴斗は感じていた。そんな些細な日常が、晴斗の心にうっすらとした罪悪感を落としていくのを悠斗は今知って涙がこぼれた。
「僕が見たときにはもう痩せてた。死んだときにはもっと痩せてたでしょ? 元気そうだった、大丈夫って嘘ばっかり。 ーーーせめて最後はお兄ちゃんの側にいたかった。お兄ちゃんに謝りたかった」
晴斗は声を尖らさないように、ぐっと気持ちを抑えて母にそう言って背を向けた。
「はる君!」
部屋を出て行った晴斗の言葉が母の記憶をかき混ぜる。
謝りたかったというその言葉が何を指しているか知っている気がした。見ないようにしてきた悠斗の淋しさが心に刺さり、元気な子だからと手放してきた事を後悔して涙が出た。
(ごめんね、ゆう君。 ーーー怖かったの・・・)
この子がまさか病気になるなんて、それも死に直結する病気だなんて信じられなかった。
信じたくない思いが「あの子は大丈夫」と自分に嘘をつかせて、現実を受け入れたくない思いが病院を遠ざけさせた。
「ゆう君、ごめんね・・・ごめん・・・・・・」
泣き崩れる母の姿を見る悠斗の心に何かがサクリと刺さる。
何事もなく順調に生まれた悠斗と、流産しかけてやっと生まれた後も病弱だった晴斗。必要以上に晴斗を気にかけ過ぎたと彼女自身感じていた。悠斗に負い目を感じながら晴斗を気にかけずにはいられなかった。
(やせ衰えていくゆう君の姿を見たくなかった)
彼女の心が切なく響く。
大切な物を失うことへの恐怖、見たくないと避けてしまう自分の心の弱さを責める彼女の姿が小さく見えた。
「ゆう君、お母さんを恨んでる? だから夢に出てくれないの?」
遺影に話しかける彼女に悠斗は何も言えずただ見つめていた。優しい言葉をかけたいと思いながら言葉がついてこない。
ゆらりと面を変えて悠斗の前に晴斗が映る。
「・・・晴斗、ごめんな」
体育座りの晴斗が顔を上げて悠斗と目線を交える。
「兄ちゃん・・・」
今にも抱きついてきそうな涙声は子供の頃と変わらない。膝を抱える手に力を込めて震えながら泣く晴斗は、大人びた事を言ってもやはり体の小さな中学生だった。
「兄ちゃん、帰ってきてよぉ・・・」
震える晴斗の声に悠斗はつい抱きしめる。生きていた頃にはしたこともなかったのに。
「僕どうしたらいいの? 僕心配かけてばかりだよ。兄ちゃんみたいにスポーツ出来ないし、父さんも母さんも笑顔に出来ないよぉ」
悠斗はぼろぼろと涙をこぼす晴斗の背を叩くしか出来ない自分が悔しかった。
「スポーツ出来なくたっていいじゃん、お前はお前だよ」
「でも、でも・・・」
嗚咽を漏らす晴斗の頭を悠斗が撫でる。
「ごめんな、父さんにも母さんにもよろしく。いつまでも泣くなって言ってくれよ、誰も恨んだりしてないから・・・さ」
笑顔を向ける悠斗に泣きながら笑顔を作る晴斗が、手に力を込めてしがみつく。
「嫌だ、行かないで」
晴斗の背を叩いて、悠斗も泣きながら笑った。
「ありがとう」
悠斗の言葉にぽかんとする晴斗を置いて、互いに見ている相手の姿が消えていく。
座り込んだまま泣いている悠斗に声をかけられず、雫は彼の背を見つめて立っていた。ただ、彼の心がすっきりした気配だけは波が伝えていた。
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