7話「闇にうごめく」

 男の子が立ち去った後、雫と男性教師そして男子学生の3人はただ波の音を聞いていた。時折やってくる死者を見ながら。


「後悔先に立たず・・・だな」


 男の言葉が聞こえてわずかの後に、


「知ったかぶり」


 学生の声が聞こえた。彼らの会話を耳にして雫が目を向けると、ふたりして砂の上に並んで腰を下ろしていた。


「逃げるが勝ちって事は確かにある・・・が、逃げ方を失敗したなぁーって後悔してるだろ」


「何もしらないくせに、大人は皆知ったかぶりだから嫌いだ」


 笑いかける男に学生は顔も向けずそう言い放ち、男は苦笑いを浮かべる。


「そうでもないぞ」

「僕のことなんか知らないだろ! どんだけ考えてここに来たか!」


 声を荒らげて学生が砂を叩く。


「分かるよ」

「分かるもんかッ!」


 怒りに立ち上がる学生を男は眩しそうに見上げて渋い顔を向けた。


「自殺なんて気軽にするもんじゃない、今までにも何度も踏み止まってきたんだろ?」


 その質問には答えず、両手を握りしめたまま男子学生が海を睨みつけている。


「踏切で、ホームで考えただろ? ーーー今飛び込んだらって・・・。高い場所から下を見下ろした時にも、引き出しの隅にカッターを見かけたときにも・・・・・・楽になれるかな・・・って」


 学生は何も言わず歯を食いしばり涙を堪える。


「図星だろ? 俺も何度も押し込んで知らぬ振りしてやり過ごしてきた。自分の事だけ考えてたら自殺するのも気楽だろうになぁ・・・。家族の事とか、考えただろ?」


 黙ったままの学生の鼻が赤くなるのが分かった。


 自分が死んだらお母さんは泣き続けるだろう、お父さんはどう思うだろうか。自分のいない家の中で両親がどう過ごすのか・・・。

 自殺を取り上げた番組を見ぬ振りしながら気になり、自分の両親のことを思わずにはいられなかった。死にたいと思いながら負けるのが嫌だったし、それ以上に両親を悲しませるのが嫌だった。


 自殺した子供の事を話しながら自分を責める親の姿を見ると、自分が行動に移せば自分の両親も・・・と何度も思って踏み止まってきた。


「他の逃げ道探してみたか? 相手や先生、親とは話をしてみた?」


 ただ黙って涙を堪える学生を前に、男も黙って頷きそれ以上は質問をしなかった。


「言えないよな・・・俺も黙ってた、人のことは言えない」


 男の乾いた笑いに学生の頬を涙が駆けた。目の端に男を捉えて質問する。


「ーーー自殺したの・・・?」


 学生のかすれた声に、男が静かに答える。


「・・・したよ、俺は飛び降りだ。お嬢さんは?」


 雫は不意に話を振られて慌てた。


「私は・・・自殺した訳じゃ・・・・・・」

「そうか、すまない。皆が皆自殺な訳ないよな」


 少し嘘をついた気がして雫は後ろめたかった。


「飛び降りた時は発作的だったけど・・・、でも・・・いつも踏み止まれてたのは家族がいたからだと思う。 ーーーあの時は、妻の顔も子供の顔も浮かばなかった・・・・・・」


 眉間にぐっとしわを作った男が顔を落とす。少しして上げた顔は笑顔だった。


「折角ここで出会ったんだから、自己紹介でもしようか。俺は教師をしていた相沢、君は?」


 指名された男子学生が眉をひそめる。教師が居て学生服姿の男子と女子がいるこの状況でこの質問、雫も少し引き気味で男に目をやった。


「自己紹介って」

「新学期かよ」


 雫と男子学生の言葉が奇しくも繋がって、互いに目を合わせてくすりと笑った。


「あぁ、すまない。教師の悪い癖だな」


 学生服姿の若者を前にするとつい指示を出してしまう。大人らしく振る舞い指示をし、いつの間にか説教を垂れ流す。


(嫌な大人になったな・・・)


 相沢は頭を掻いて立ち上がった。


(こんな教師になりたくなかったはずなのに、ミイラ取りがミイラだ)


 ふと気づけば、話をする彼らの周りに人が幾人か集まってきていた。気にしているようで気にしていないような微妙な距離で立ち尽くしている。その中に、雫が初めて見た死者の女性もいた。


 話しかけてこない彼らにこちらから話しかけることはせず、ただぽつりぽつりと3人で話したりしなかったりしながら時間を過ごした。





 夕日を眺めていると雫には既にお馴染みの男の子の声が聞こえてきて、数人が男の子に視線を投げる。同じ台詞を言いながら近づいて来た彼は、今度は雫にではなくあの女性に向かっていつもの台詞を言うのが聞こえた。


 男の子の声に直ぐに行動し始める者と気にせず景色を眺めている者に分かれた。


 だいぶ日が落ち草原の向こうに光が見え始める頃、景色も見飽きた若者達が興味をそそられて歩き始め、男性教師も立ち上がった。


「さて、三途の川でも渡ってみるか」


 男の後に数人が付いて歩き始め、渚に残ったのは雫と男子学生と悲しげな顔のあの女性くらいだった。男は学生2人を気にしている様子だったが、あえて声をかけずに立ち去って行った。


(今度も渡れなかったら・・・)


 それこそ取り残された気分になって悲しくなるだろう。そう思うと雫は直ぐに川に向かう気になれなかった。





 とっぷりと日が暮れて、草原の向こうの光が漁り火のように強くなる頃。


 それは現れた。



 少し離れた所からサラサラと砂の音が聞こえてきたのだ。

 何だろうと頭を巡らせて暗い浜辺に目を凝らすがよく見えるはずもなく、男子と共に雫も腰を浮かせた。


「・・・何かいる」


 そう言ったのは男子学生だった。

 鈍く星を映した大きな何かがいるように見える。闇に黒く溶ける体がメタリックに星を映し込んでわずかに動いて見えていた。


 よろいれるような微かな金属音を耳にして体中の毛が立つのが分かる。


「怖い・・・」


 雫が呟いた直後、


 カシャカシャ・・・

   ざり、ざりり・・・


 音を立てて体を起こした物のシルエットを、夜空が浮き彫りにした。


「サソリだ!」

「待って!」


 大声を上げた男子が即座に草原へと走り出す。


 雫は声を上げはしたものの動けずサソリを見つめて立ちすくむ。真っ黒な体にぼやけながら映り込む星がてらてらと光っていた。

 サソリの奥行きは乗用車荷台分位だろうか。大きく振り上げた尾は2階の屋根に届きそうに見える。


 サソリはそろりと向きを変え、あの女性へと大きな爪を振り上げるのを雫は見た。


 砂を蹴る音を耳にした途端、雫も駆けだした!

 女を追うサソリが離れて行く。雫の向かう先とは逆に走る女を追ってサソリが遠ざかって行き、金切り声が辺りに響いた。


 驚いて立ち止まり振り返る雫の目に、高々と空へ掲げられる女性の姿が映った。


「ああぁぁ・・・・・・」


 抑える手の隙間から雫の声が漏れる。

 自分の声を他人のそれの様に聞きながら目が外せなかった。腹を串刺しにされた女性が何かを言っているようだった。


 大きなサソリの爪が毒針から女性を引き抜いてもう一方の爪で彼女の腕を引きちぎるのが見えた。潮風に乗って血の臭いが漂ってきて雫は再び駆けだしていた。草に足を取られて転がっては立ち上がりサソリから遠い場所へ遠い場所へと駆けて行く。


 しかし、雫の向かった方角は川ではなかった。


 息が切れて立ち止まり膝に手を突いている雫の耳に虫の音が聞こえていた。その耳に聞こえていた虫の声が、突然ぱたりと止んだ。


(何・・・?)



 ガサッ・・・

   ガサリッ・・・



(何かがいる、動いている!)


 音のする方に顔を向け息を整える。雫の見つめる先にクレーンが立ち上がる様に音の主が姿を現した。


 鈍色にびいろの巨大な物の正面を避けてゆっくりと横に雫は移動する。中心の細い部分から両脇に九の字に突き出た曲がった物があり、三角の頭と思しき所に巨大な目が一対こちらを見据えていた。


 月明かりに照らし出された部分が見える位置まで移動して、それが銀色の巨大カマキリであることがハッキリと確認できた。

 そろりそろりと動く雫にあわせて頭部がゆっくりと角度を変えて、確実に雫がターゲットにされている事が分かった。


『あまりゆっくりしていると・・・喰われますよ・・・・・・』


 男の子の言葉を思い出してゾッとした。


(何で? どうして? 昨日は出なかったじゃない・・・)


 タイムリミットと言うことだろうか、先程の女の人も襲われていた。あの女性と雫は同じ頃にここにやってきている。


 腕を引きちぎられる女性の姿を思い出して血の気が引き、後ずさった。その動きに合わせてカマキリの長い足がそろりとこちらへ動く!


 脱兎のごとく雫は走った!


 ・・・が、草を蹴散らす音が回り込み雫の進む先に立ちはだかる。


 右へ逃げ左へ逃げ、迷宮を逃げまどうように走り回る雫だが、どこへ逃げても直ぐに先回りされ先を塞がれた。


(何処に、どこに逃げたらいいの!?)


 唐突に足を払われた。飛ばされた雫が高く弧を描いて離れた草地に落ちた。

 ボキリと腕の骨の折れる音がして遅れて痛みがやってきた。雫は悲鳴を上げてうずくまり、痛みを堪えてカマキリを見据え立ち上がった。


 雫が立ち上がるのを待っていたようにカマキリが動き出す。


 痛みを堪えて雫は走った。

 その目に見えていたのは篝火の様に光る横並びの明るい対岸。


 カマキリは獲物を追って猟を楽しむ獣のように、つかず離れず付いてくる。時折、足下に近い草を横凪に払って脅してくるカマキリを交わしながら必死で走った。


 足下から玉砂利の弾かれる音がして川を渡る人が見えて三途の川へやってきたと分かった。


 砂利を蹴ってなおもカマキリが追ってくるのが分かる。

 雫は川へ走り込んで振り返った。


 カチカチカチ・・・・・・


 雫の前にそびえ立つ巨大なカマキリが、大鎌おおかまを振り上げて歯を鳴らす。巨大な瞳に見下ろされ身動きも出来ず立ち尽くす雫は、足を川に浸して恐怖に震えていた。


 前門の虎、校門の狼。


 カマキリに喰い殺されるか川の主に喰われるか・・・・・・。


 こちらを見据えていたカマキリが、ふいに頭を回し草地へと戻っていった。


「た・・・助かった・・・・・・」


 雫はへなへなと川に座り込み体を浸しながら遠ざかるカマキリの姿を見つめていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る