龍神さん、お目覚めの時ですよ:妖魔神伝--紅眼の巫女--4
ごとう有一
序 始まり
正面に広がる、青い空。
遙か向こうに煙る海。
視線は下がり、緑の平野から、山々へ。
眼下には山にへばりつく鬱蒼とした森。
ゆったりと緑の木々が後ろへと流れる。
林が切れ、崩れた岩肌が現れる。
目をこらす。
岩場に、かろうじて見分けられる薄茶色の塊。
わずかに動く。
すぐさま、その兎を目指し、急降下する。
すさまじい風圧。
風を切る音が、快い…。
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紅葉の中、木々の合間を抜け、細い小枝にかろうじてとまる。
周囲を警戒する。
あそこにある、木の実。
この小鳥、どこを安全と見るのか…。
とりあえず、あそこへ行くのだろうが…。
あの、赤い実の誘惑には勝てまい…。
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森には、雪が積もり、夕暮れに、その青さが増していく。
もうじきこの雪の青みも消え、闇に包まれる。
雪の落ちる音。
狩りの頃合いだ。
雪の上を走る小さな黒い影。
羽を広げ、音もなく滑空する。
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いくつもいくつも続く、ただただ受動的な経験。
断片的な情景と、わずかな感情の記憶が、積もり重なっていく。
何年も、何年も、何年も…。
あるとき、地上に、見知らぬ生き物、人間が現れる…。
当時は、この、人間という言葉すら知らなかった。
今、ここでの話は、後で、振り返ってみたときの遠い過去の記憶。
警戒しながらも、その人間たちに近づき、観察する。
1年、2年と過ぎ、そして、あるとき、その人間の目から、ものを見ていることに気がつく。
仲間と、森に入り、獲物を追う。
言葉を使う。
作戦を練る。
そのような時が過ぎゆき、人が変わり、経験が、断片的ではあるが、さらに積み重なっていく。
言葉が増える。
心を理解する。
そして、そのときが来た。
ふとしたことから、まるで夢から覚めたように、自らを考えることが始まった。
これらは、いったい、なんなのだろう…。
そう、わたしは、だれなのだろう…。
記憶を辿れば、初め、鳥であったことはわかる。
次には人間…。
しかし、生まれ変わりではない。
そう、それらは、わたしの動きではないのだ。
今までの記憶にある生活。
それらの動きは、自分の意思ではない。
すべてが、受動的な、自分以外のもの、その動きの経験。
強く、あれを見たいと思えば、多くの場合、やがてそれを見ることにはなるが、その動きは、自分の意思ではない。
見るためには、強く念じ、その動作を誘導する必要があった。
それが当たり前だと思っていた。
どういうことなのだろう…。
それからしばらく思考が続き、やがてたどり着く結論。
それは、自分は、鳥や人間に寄り付き、その感覚を通して、ものを見、音を聞いている。
匂いを嗅ぎ、味わい、暑さ寒さ、痛みを感じるのも同じ…。
自分の感覚ではない。
それらの経験は、すべて他人のもの。
実際には、自分は、そこに、共にいるものたちのような、己の体を持っているものではない、と言うことだった。
さらに長い年月が過ぎて、今では、ある程度、自分の状態を把握している。
自分は、地上にいるのではない。
自分は、地下の、深いところに溜まり、特殊な状態に保たれたエネルギーの塊である。
そのエネルギー体が、地底に留まったまま、人や鳥、動物を通して経験している。
それらの経験を記憶している。
そして、思考している。
人間で言えば…、そう、魂のようなものなのだ。
体を持たない、魂、そのものなのだ。
それを探る長い年月の間に、人や動物などが持つ力と自分の能力の比較もした。
そして、体を持った生き物が、通常、持つことのない特別な力を、自分は、いくつも持っていることがわかってきた。
そのひとつに、そもそもの始まり…、記憶の始まりを示す、鳥や人に寄り付くことができる力がある。
初めは何気なく、しかも偶然に頼ってやっていたようだが、今では、自在にコントロールできるようになっている。
自分の一部、エネルギーの小さな塊を打ち込むだけで、遠く離れたところの情報をつかむことができるのだ。
しかし、その力は、通常の場合、ただ、寄り付いたものたちの五感から、その情報を受け取ることができるだけ。
小さなエネルギーをさくだけで、その関係を保ち続けることはできる。
その情報を得ながら、自分は、別の場所で、ほかの動きもできる。
…だが、関係は、ただ、情報が来るだけ。
寄りついた体を動かすことはできない。
こちらからできる作用としては、強く念ずれば、その思いを、相手に、漠然とした形で伝えることはができるようなのだが…、自由はきかない。
とはいえ、長い年月がたち、その経験から、希ではあるが、特別な力を持った人間がいることもわかった。
その人間との間には、特別な関係を作ることができた。
こちらの意思を、話すように、正確に伝えることができるのだ。
また、やや細工は必要であったが、さらに特別な関係を結べる人間もいた。
その人間の体を、短時間ではあるが、借りることができたのだ。
これは、後で、鳥や動物でも同じであることがわかった。
中でも、鳥とは相性が良かった。
鳥だと、孵化する前に関係を作っておくと、成鳥してからも、数週間から数ヶ月という、かなり長い期間、その体を支配することができるのだ。
さらに、大きな力…、地上で、実際に、人や動物の姿を作り、それに乗り移ることができる力もあった。
これについては、まず、地上に自分のエネルギーの一部を送り出し、それを安定した状態に保つことができる場所があることを知ったのが始まりであった。
そして、そこで遊ぶうちに、そこでは、人間でも、鳥でも、なんでも、そう、龍の姿さえ、作り出すことができた。
それは、自分でも不思議に思うことではあるが、実際に、姿を模倣する相手がいる場合には、…例えば、ある人をまねて…、大まかな姿だけでよく、細部は自由に変えられるが…、その人に近い状態…身体になれば、その身体を通して、人と同じように五感を働かせることができた。
そう、実際には、そこに、周辺の分子を集めて、本物と同じような『体』そのものができていたのだ。
場所は限定されるが、これは、鳥の場合でも、動物の場合でも同じだった。
ただ、龍のように、実物ではなく、絵をまねる場合には、それはただうわべだけのものだった。
そして、そのような多くの知識を得たことにより、動きは能動的となり、活動範囲が広がった。
その結果、この周囲の地上の状況を詳細に把握するに至った。
すると、さらに広い世界を知りたくなった。
試行錯誤の結果、渡り鳥に寄り付いて、旅をした。
素晴らしい経験だった。
だが、あるとき、何度目かの旅の中で、思いもしない危害を受けることになった。
寄り付いた渡り鳥を狙う猛禽がいたのだ。
偶然ではない。
明らかに、自分が寄り付いていることを認識して、襲ってきた。
ほかの鳥に移ると、狙いは、その鳥に変わる。
寄り付いた鳥ではなく、エネルギー体の自分を狙っているのは、明らかだった。
それで、それなら、その猛禽に移ってやろうと考えた。
移るためのとっかかりを探すべく、その猛禽を探ったところ、その中に、自分と似てはいるが、大きな違いもある、今まで遭ったことのないものが存在することに気がついた。
同時に、そのものの中に、大いなる不快さを感じた。
この不快さ、昔、人間に寄り付いていたときに、他人…皆が、『悪人』と呼んでいた人間…から受けたいやな感覚、それを遙かに濃くしたような、そう、まさに『邪悪』というものを感じ取った。
さらに、その相手が、自分を、食おうとしていることがわかった。
緊張感が湧き上がった。
が、まさにそのとき、経験したことのないような大きな痛み、強い電撃を受けた。
その一撃で、鳥に寄り付いていたエネルギーは飛び散ったのであろう、意識は、いきなり、また、地下の深いところに戻っていた。
その時点ではすでに離れたはずの体、その、全身を覆う痛みだけが、しばらくの間、残った。
おそらく、この痛みは、あの、渡り鳥の受けた感覚の残渣。
あの時、寄り付いていた鳥は死に、自分を構成するエネルギーは、おそらく飛び散ったものと思われるが…、一部は、ヤツに食われたのかもしれない。
このとき、初めて、自分には馴染むことができないであろう存在があることを知った。
そう、『敵』と呼ぶべきものがいることに気がついたのだ。
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