ヴァニタスの箱庭

湖城マコト

第1話 崩壊

「西暦2051年。人類を未曾有の危機が襲いました。人工知能の自己進化の末に自我を体得したアンドロイドが人類に反旗を翻したのです。これが世にいう、技術的特異点に端を発する『第一次だいいちじ人機じんき大戦たいせん』の始まりです」


 2年A組の教室では、担任でもある九頭竜くずりゅう先生の授業が行われている。

 意味もなく教科書のページをパラパラと送ったり、興味無さそうに窓から校庭を眺めたりと退屈そうな生徒も少なくない。


「2年間に及ぶ激戦の末、人類連合軍はアンドロイド軍を統率するマザーコンピューターの破壊に成功。『第一次人機大戦』は人類側の勝利で終結しましたが、勝利した人類側の被害も甚大なものとなりました――では王守おうかみくん、『第一次人機大戦』の教訓を経て制定された国際法とは何でしょうか?」

「俺すか?」


 窓の外を眺めていた王守おうかみケンセイは突然のご指名に面食らった様子だ。


「中間考査にも出たはずですよ」

「すみません、分かりません!」


 板書に目をやった瞬間、ケンセイの返答に肩を竦める九頭竜くずりゅう先生と目が合った。


「では鎖託さたくん。代わりにお答えください」

技術的ぎじゅつてき特異点とくいてん抑止法よくしほうです」


 人工知能搭載のアンドロイドによる新たな反乱を防ぐべく。社会は既存の全てのアンドロイドを廃棄、新規製造も全面的に禁止した。


 アンドロイドだけに留まらず、2076年現在、社会は高い技術力を有しながらも新たな機械の反乱を恐れ、あらゆる機械の性能を意図的に低く設定。一つの目安として文明レベルは21世紀初等程度に抑えられている。


 連絡ツールは通話とメール機能だけが付いた携帯電話が主流だし、交通手段も自動運転車ではなくドライバー自ら運転する旧来の形式が復活。ロボットが担っていた一部の業種も人の手に戻り、全世界で雇用が爆発的に増加した。


 文明レベルは数十年分後退してしまったけど、その甲斐あって「第一次人機大戦」以降は機械の反乱は発生していない。


「正解です。流石ですね」


 お褒めの言葉と同時に授業終了を知らせるチャイムが響いた。


「それでは今日の授業はここまで。ホームルームに移ります」


 〇〇〇


九頭竜くずりゅうの授業って淡々とテキスト読み進めるだけだから退屈なんだよな」


 ホームルーム後、身支度しながらケンセイが苦笑を零す。

 ケンセイは大柄で目つきも悪くて迫力があるけど、実際に接してみると気さくで愛嬌に満ちた好青年だ。


「まあまあ、淡々としている分、偏屈な教師よりはマシじゃない?」

「それもそうか――それじゃあ、俺はそろそろ行くわ」

「部活頑張ってね」

「おう、また明日な」

 

 〇〇〇


「おはよう、エイジ!」


 翌日。学校に到着するなり同級生の魅幸みゆきマツリカが背後から僕の両肩に触れた。マツリカと僕は幼馴染で昔から距離感が近い。


 正面に回り込んだ瞬間、マツリカの栗色のポニーテールと夏服のセーラーの襟が微かに揺れた。何気ない光景に僕は目を奪われる。


「どうしたの?」

「いきなりだからビックリして」


 気恥ずかしくて、思わず見惚れていたとは言えなかった。


「もうすぐで夏休みだね。エイジは何か予定ある?」

「今のところは何も」

「だったら海に行こうよ」

「いいね、可愛い水着を選ばなきゃ」

「それって普通、女の子側の台詞じゃない?」


 談笑を交わしている間に教室まで到着。廊下側最前列の席の朱鷺都ときつヒカリさんと目が合った。


「おはよう、朱鷺都ときつさん」

「おはようございます、鎖託さたくん」


 朱鷺都ときつさんはおさげ髪が印象的な眼鏡っ娘で、学級委員長を務めている。


「ねえねえ、委員長も夏休みに一緒に海に行かない?」


 マツリカは何の前置きも無しに朱鷺都ときつさんを誘った。マツリカの行動力にはいつも感心させられる。


鎖託さたくんも参加されるのですか?」

「そのつもりだよ」

「……でしたら参加します」


 俯きがちにか細い返答が漏れた。


「……罪な男ですな~」


 朱鷺都ときつさんに聞こえないよう、マツリカが小声で僕に耳打ちしてきた。

 可愛いけど微妙にイラっとくるそのにやけ面は止めてほしい。


 〇〇〇


 ホームルームのチャイムが鳴ったにも関わらず、九頭竜くずりゅう先生はまだ姿を見せない。何時だって余裕を持って教室に到着する先生にしては珍しい。


 教師のいない教室が賑やかになるのは必然。友人同士が雑談に走り、右隣のマツリカは、友人の古牙こがアカネコさんと海行きの話で盛り上がっている。


「流石に遅すぎないか?」

「確かに、何か様子が――」


 ケンセイの疑問に同意しようとした瞬間、異変は何の前触れもなく発生した。

 突然、階下から轟音と衝撃が発生し、僕達の教室も激しく揺れる。


「な、何!」

「爆発?」


 怪我人は出なかったが、突然の出来事に教室内はパニック状態。学校側からの指示を仰ごうにも放送などが行われる気配はない。


「足音だ。きっと先生だよ」

 

 口々に安堵の溜息が漏れたのも束の間、教室前方のドアはスライドされるのではなく、荒々しく蹴破られた。


 姿を現したのは、上下ミリタリー調の衣服に身を包み、大きなスコープと一体化した黒いマスクで顔を覆い隠した人物であった。


 静寂が教室内を支配し、全員の視線がマスクの男へと注がれる。まさか九頭竜くずりゅう先生の仮装ということはありえないだろう。


「……先生はどうしたんですか?」


 沈黙を破ったのはマスクの男の一番近くにいた朱鷺都ときつさんだった。


「どの先生か知らないが、職員室にいた者は全員殺した」


 変声された無機質な音声が残酷な真実を告げる。

 外見に加え声まで秘匿されている。僕の目にはマスクの男が無機質な殺人ロボットのように映った。


「お前たちも直ぐに同じ運命を辿る」

「えっ?」

「止めろ!」


 マスクの男が直線的な形状のライフル銃のような物を取り出し、銃口を朱鷺都ときつさんへと向ける。僕が堪らず叫んだ瞬間には、無情にも引き金が引かれていた。


 発砲音と同時に朱鷺都ときつさんの頭部が跡形もなく吹き飛んだ。頭の中身と原型を留めぬ眼鏡のフレームが宙を舞う。


「いやああああああああ――」

「……い、委員長」


 頭部を失った朱鷺都ときつさんの体は力なく床へと倒れ込む。

 同級生の凄惨な末路を目の当たりし、教室内には叫喚きょうかんが木霊した。


 僕は完全に言葉を失っていた。朱鷺都ときつさんが突然頭を吹き飛ばされたこと以上に、朱鷺都ときつさんの正体に衝撃を受けていた。


 朱鷺都ときつさんの頭が吹き飛んだ瞬間、飛び散ったのは血肉や脳漿のうしょうなどではなく、薄緑色のオイルと無機質な金属パーツの数々。機械部品で構成された体を持つ存在など、「技術的特異点抑止法」で製造が禁止されたアンドロイド以外には有り得ない。


「次」

「ま、待ってくれ――」


 マスクの男の殺戮は止まらない。黒板の前で腰を抜かしていた二十六木とどろきケイイチくんの顔面を凶弾が直撃。鮮血の代わりにオイルが、頭蓋の代わりに金属フレームが飛び散った。


「次」

「嫌! 助けてお母――」


 隅で震え上がっていた白亜はくあコトノさんが凶弾に倒れる。頭部を失った彼女の首からは、黒いチューブが露出している。

 朱鷺都ときつさんだけじゃない。二十六木とどろきくんも白亜はくあさんも人間ではなくアンドロイドだ。


 疑問は尽きないが今はそれどころじゃない。このまま教室で怯えていても、ただ死を待つだけだ。


 マスクの男が何かを確認するように窓の外を見た。チャンスは今しかない。

 僕を意を決して、愕然とした様子のマツリカの手を取った。


「エイジ?」

「このままじゃ殺される。みんな逃げるんだ!」

「うおおおおお!」

「ケンセイ!」


 僕以上に勇敢な男がいた。叫ぶ僕へ銃口が向いた瞬間、力自慢のケンセイが椅子をマスクの男目掛けて投げつける。男は咄嗟に銃身で椅子を受けたため、発砲が阻止された。


「みんな! 僕とケンセイに続いて!」

「アカネコも早く!」


 マツリカに叱咤された古牙こがさんや生徒会の九季くきアキラくん、柔道部の遮那王しゃなおうノブチカくんら数名が後に続いたが、恐怖で動けずにいる生徒も少なくない。


 マスクの男は僕達を追ってこない。代わりに教室内での殺戮が続いている。今の僕達にはただ逃げることしか出来ない。

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