scene32 お陽さまの匂いは甘い香り

「着替えてきましたー」

 

 山本さんが制服から部屋着に替えて居間に戻ってきた。

 白いTシャツに例のオレンジ色のショートパンツだ。

 服から伸びた手足が白くまぶしい。

 そして、ちゃぶ台の向こう側に足を崩しながら座った。

 

 逆に僕は二人のグラスをもって台所へと立ち上がる。

 

 僕の背中に山本さんの声がかかる。

「ゆーとさんと出会ってから、まだ二日なんですねー」

 

 僕は振り返らずに応える。

「ですねえ」

 

 軽くグラスを洗って、冷蔵庫から氷を取り出す。

 グラスへ氷を入れると、カラカラと涼しい音がした。

 

「二日でこんなにたくさんの楽しいことあったら、この先どうなっちゃうのでしょうー?」

 僕が居間に戻ると山本さんはそんな事を言った。

 

 頬杖をつきながらにこにこと僕を見ている。

 上手な言葉が出てこない僕は、無言という選択しかできず、グラスに視線を落として黙ったまま麦茶を注ぐ。

 

 そんな僕に山本さんが声をかける。

「ねえ、ゆーとさん?」

 

「はい?」 

 僕はグラスから山本さんへと振り返り視線を戻す。

 

 目が合った山本さんは、

「どうなっちゃうのでしょう?」

 と、頬杖をしたまま首を右に傾けて、

「ね、ゆーとさん?」

 と、にっこりと表情を緩めた。

 

 っ!

 おっと。

 きた。

 きましたよ、これ。

 

 わかってはいるんだけど、一つ一つの仕草の破壊力が半端なさすぎて。

 

 パンダが甘噛みしたつもりでも、人間にとってはl凶器となるわけで。

 きっと本人はわかってないとは思うけど。

  

 目の毒ってのは「目の保養は純粋な心の毒になる」っていう意味なのだと実感する。

 

 へたれな僕は、

「ど、どうなるって、楽しい毎日が続くと良いと思います」

 と、なんの変哲もない言葉を返し、また目をそらす。

 

 そんな僕に山本さんは、

「そうですよねー。はいっ」

 と、さらに笑顔になってうなずいた。

 

「ゆーとさんがいれば、毎日きっと楽しいですっ」

 

 はい。

 いろいろありがとうございます。

 

 でも&しかし。

 なんだって山本さんはこんなに僕にあまあまなんだろう?

 特段何をしたわけでもないし、昨日が初対面なわけだし。

 

 うーむ。

 

 視線を戻すと、山本さんは笑顔のまま僕を見ていた。

 

 ……目が合ってしまった。

 

 やましいことは何もないけど、僕は目を縁側にそらす。

 

 ああ、そうだ。そうでした。

「そろそろ布団を片付けましょうか」

 僕は膝に手をついて立ち上がる。

 

「わたしもお手伝いしますっ」

 山本さんも縁側へとやってくる。

 

「ああ、何とかふかふかになってますね」

 僕はしゃがんで布団の感触を確かめる。

 

「ふかふか?ですか?」

 山本さんは怪訝な顔をしている。

 

「はい。ふかふかになってますよ。触ってみてください」

 

 山本さんもしゃがんで布団にゆっくりと手を伸ばした。

「あ!あーっ!ふかふかです!本当にふかふかしています!」

  

 テンションが高くなりはしゃぐ山本さん。

 

 僕がふかかにしたわけでもないのに、喜んでもらえることに照れてしまう。

 

 山本さんが布団をぽすぽすと押しながら言った。

「イギリスではお布団干したりしないもので」

 

 僕はそんな山本さんの指先を見ながら応える。

「そうなんですか?」

 

 山本さんは僕を振り返り両腕を広げた。

「初めて見ました!」

 

 湿気を取り除くときどうするんだろう?

「じゃあ、乾燥機を使ったりするんですかね?」

 

「そうです」

 山本さんはうなずくと、

「このお布団は乾燥がついているみたいですー」

 と、まあ布団をぽすぽすした。

 

 ……いや、入ってないです。

 

 「日本のお布団はハイテクですー」

 

 ……ハイテクでもないですから。

 

「あ、IoTというものですか?」

「わかってて言ってますよね?」

「えへへー」

 

 山本さんが後ろ頭を掻きながら言うものだから、二人して笑った。

 

 夏の縁側の風が心地よくて、山本さんの笑顔がまぶしくて。 

 気がつくと僕はまた山本さんを見ていた。

 

「ぱふっ」

 山本さんはそう言いながら布団に倒れこんだ。

「温かいですー」

 

「っていうか、暑くないですか?」

 

「気持ち良いですー。太陽の赤ちゃんってこんな感じですよ、きっと」

 そういうと山本さんは身を起こした。

「ゆーとさんも一緒に寝ころびましょうよー」

 

「え?」

 

「気持ちいいですよー」

 

「いや、その」

 

「えいっ!」

 と、山本さんは、僕を布団へと押した。

 

 僕の身体はされるがまま布団の上に倒れた。

 

 まあ、いいか。

 

 僕はそのまま布団に顔をうずめる。

 目を閉じて息を吸い込む。

 うん。太陽の匂いがする。

 

 ばふっ。

 ぱふ?

  

「何をしているんですか?」

 山本さんのささやくような声が聞こえた。

 

「太陽の匂いがするんです」

「お日さまの匂いですか?」

 

「そうです、こうやって吸い込むと」

 僕は目を閉じたまま、深く息を吸い込んだ。

 

 ん?

 何だか甘い香りも?

 

「本当ですねー。なんだか温かい匂いがしますー」

 山本さんの小声が近くで聞こえる。

 

 え?

 小声なのに近くで聞こえる?

 

 顔を横にして目を開ける。

 すぐ横には山本さんの大きな目。

 

 お?

 おー?

 

 すぐそこには山本さんの顔。

 

 

 

 

 

 

 山本さん……。

 太陽は甘い香りなんてさせてませんからー!

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