scene18 祖母に願いを

 障子越しから朝特有の明るい太陽光が透けてにじんでいる。


 僕の頭や身体といえば、まだ起きることに抵抗している。

 あちこちが重く、睡眠を欲しがっている。


 そりゃそうだ。

 あまり眠れていないのだ。


 隣に同年代の女の子が寝ていて、いつものように熟睡なんてできっこない。

 寝返りうつその柔らかな音や、そのたびにふわっと漂う良い匂いとか、安らかな中にも強弱がある呼吸とか、いろいろ気になってしまう。


 でも、眠れず眠れないに関わらず朝はやってくるわけで。

 まずは、意志をまぶたに集中して無理やり目を開ける。


 なぜなら僕は高校生。

 そして今日は始業式だからだ。


 壁に掛けた時計にピントがあってくる。

 針が縦に真っすぐになっている。

 時間は六時らしい。


 と、今まで聞こえていた音に明確な意味を見出す。


 あれ?

 これってまな板をたたく包丁の音では?


 慌てて左を見る。

 布団の上に山本さんの姿がない。


 起き上がり、ふすまを開け廊下から台所に向かう。


 味噌汁の香りが漂ってきている。 


「おはようございます」


 僕が声をかけると、おたまから小皿に味噌汁を移して、味見をしている山本さんが振り向いて、

「あ、ゆーとさん、おはようございます」

 と、朝日に負けていない明るい笑顔が返ってきた。


「ひょっとして、うるさかったですか?早く起こしすぎちゃいました?」


「いや、いつも、こんなもんですよ」


 なんて話しているが、実はいつもの起床時間は七時二十分くらいだ。

 四十分ほどで支度をして八時に家を出れば、ゆっくり歩いても始業時間に間に合う。


「ひょっとして、本当に朝ごはんも作ってくれているのですか?」


「はい、もちろんです」


 山本さんは昨晩と同じタンクトップとショートパンツという格好で調理をしてくれている。


 ふむ……。

 これは、ちゃんと話しておいた方が良いかもしれない。


「山本さん……一つお願いがあるのですが」

 というと、

「なんでしょうか」

 山本さんは作業の手を止め正面を向いた。


「料理するときにその格好はやめてもらえませんか?」


「え?な、わたし、なにか不衛生とかありましたか……?すみません……」


 ……あれ?

 ……神妙な顔で謝られてしまった。


「そうではなくてですね」

 僕は手を振り続ける。

「そんな軽装で火を扱ったりするのは危ないと思ったもので」

 

 山本さんの顔が明るくなる。

 

「あ、ありがとうございます、ゆーとさん」

 と、すぐ、深々と頭を下げられてしまった。

 

「いや、その、僕はTシャツと短パンで料理しますが、その、山本さんは女の子だし、万が一何かあったらと思いまして」

 

「ご心配ありがとうございます。ただ……料理のたびに着替えるのは大変かもしれないです……」

 

「ちょっと待っててください」

 

 僕は脱衣所のタオル入れに向かい、ごそごそと引き出しをあさり、底の方からエプロンを手にして戻ってくる。

 

「今だけでもこのエプロンを使ってください。さすがに腕まではカバーできないですが」

 と、山本さんに手渡した。

 

 アイボリー地に細かい花が散らしてあり、薄い緑色のラインで縁取られた、オーソドックスなエプロンだ。

 

 受け取った山本さんが怪訝な顔をしている。

 

「ゆーとさん?いけませんよ……これ彼女さんのでは?」

 と、頬を膨らませた。

 

「な、なにを言ってるんですか、山本さん」

 僕はしどろもどろに反応をしてしまう。

「これは、祖母のです」

 

「本当ですかぁ?こんなにかわいらしいデザインですよぉ?汚れもなくて綺麗ですしぃー」

 

 ……何やら横目で見られる僕。

 

「本当ですって。プレゼントしたのですけど、汚れたらもったいないと、使用してもらえなかったのです」

 

 信頼度を高めようと、行った後にうなずく僕。

 

「あ……。そ、そうだったのですか。わたし、その、すみません」

 と、急にトーンダウンしてしまう。

 

 違う違う。

 これはこれで失敗する僕。

 

 そんなエピソードを話す必要なんてなかった。

 

「いや、気にしないでください。まあ僕が持っていたらちょっと不自然ですからねえ」

 

 僕はあえて何事もなかった声色で続ける。

 

「……本当にすみません。でも、そんな思い出の品、わたしが使う訳にはいきません」

 

 山本さんは首を軽く左右に振り、渡したエプロンを僕の胸に押し戻した。

 

 やはり僕はうまく空気を作れない。

 

 なので、きちんと話すことを試みる。

 

「山本さん。それは確かに祖母との思い出の品です。でも、使ってくれませんか?せっかく祖母を訪ねて日本まで来られたのですし。祖母も喜ぶと思います」

 

 山本さんは僕から目を離さない。

 

「それに、確かに祖母には少し若すぎるデザインだったかもしれないですねー」

 と、言葉じりを軽くすることも忘れない。

 

「山本さんの方が似合いますよ、きっと。だから、ね、嫌でなかったら使ってください」

 

「ゆーとさん……」

 山本さんはエプロンを両手で抱えた。

「ありがとうございます。せっかくなので、ぜひ使わせてもらいます」

 

 そしてエプロンを広げると、後ろを向きになり着け始めた。

 腰のところで紐をぎゅっとしめる。

 

「どうですか?」

 山本さんが僕を向き直して、

「似合ってます?」

 と、首を横へ傾けた。

 

 僕は向き合っている山本さんを見る。

 何か言おうと、笑顔から順番にエプロンへと下に視線を落とす。

 

 おぅっ!

 僕は思わず後ろに下がってしてしまう。

 距離ができたことで、余計に全貌が目に入ってしまう。

 

 ばあちゃんっ!

 ごめん!

 下心なんてなかったから!

 ばちなんて当てようと思わないで!


 なんと言うか。

 山本さんは……。

 

 

 

 

 

 

 タンクトップにショートパンツで祖母へのプレゼントを身にまとった山本さんは、それはそれは……、裸エプロンのように見えてしまうのでした。

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