針月記

ヤギサンダヨ

針月記

 「ねぇママ、パパの書斎に変なものがいるんだけど。」

 「変なもの?」

 「うん。さっきパパにお茶をお供えしようと思って持って行ったの。机にお茶を置いてふと見ると、パパが毎日掛けていた椅子の上に、イガグリが乗ってたのよ。」

 「窓を開けっぱなしにしといたから、隣の栗の木から実が転がり込んだのね」

 「私も最初はそう思ったの。栗なら割って実をだそうと思って、机の上にあったペーパーナイフを右手に持って、左手をイガグリに近づけたとたん、『フシュッ』って音がして弾んだのよ。」

 「イガグリが?」

 「だからびっくりして、ひょっとしたらウニなのかなって思って、もう一度そうっと手を伸ばしてみたの。そうしたらやっばり「フシュッ、シュ、シュ、シュ、シュ」って言いながら弾むの。ママ、ウニってフシュフシュ鳴くの?

「聞いたことないわ。第一ウニがどこから一人で歩いてくるの?このへんに海はないわよ」


 危ナイトコロダッタ・・・。モウ少シデ、ペーパーナイフデ、ホジクラレルトコロダッタ。家族ハ、オレガ死ンダト思ッテイルノカ。モットモコンナ姿デハ、私ガ父ダトハ、気ヅクマイ。アア、マッタク、ナゼコンナ運命ニナッタノカ。


 「ママ、ただいま。」

 「誠一、お帰り。ちょうどよかったわ。あなた動物に詳しいわよね。」

 「僕の将来の夢は獣医だからね。何かあったの?」

 「パパの書斎に変な生き物がいるらしいの。イガグリみたいな、ウニみたいな。佳代が手を出したらフシュフシュ言って弾むんですって。わたしは気味が悪くて・・・。」

 「それ、どれくらいの大きさ?」

 「イガグリよりは少し大きいそうよ。とにかく見てあげて。」

 「ママ、それはひょっとすると・・・」


 ナゼコンナ運命ニナッタカト先刻ハ言ッタガ、シカシ、考エヨウニヨッテハ、思イ当タルコトガ全然ナイワケデハナイ。人間デアッタトキ、オレハ努メテ人トノ交ワリヲ避ケタ。会社ニモイカナクナリ、家族トノ会話モ絶ッテ、コノ書斎に引キコモルヨウニナッタ。今流行リノ中年ノ引キコモリトイウヤツダ。

 カツテ『山月記』トイウ本ヲ読ンダコトガアル。ソノ中デ、虎ニナッタ主人公ガ、コウ言ッテイル。

「人間はだれでも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だと言う。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これがおれを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、おれの外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。」

中島敦氏ノ理屈ニヨルト、オレノ中ノ猛獣ハ、コレダッタトイウコトニナル。人間デアッタ時、自分ノウチニコモッテ、他人トノマジワリヲコバミ、家族ニトゲトゲシクアタッテイタ。ソウヤッテ周囲ノ者スベテヲ傷ツケテイタノダ。


 「やっぱりね。ママ、こいつはヨツユビハリネズミだよ。」

 「えっ、ハリネズミ」

 「お兄ちゃん、どうしてハリネズミがここにいるの?」

 「きっと誰かが飼っていたのが逃げ出したか、飼えなくなって捨てられたか、それが窓から入り込んだんだろう。」

 「ねずみさんかぁ。丸まってるけど、手足はどこ?・・・痛ッ!」

「佳代、慣れてないのに素手でつかむと危ないよ。ハリネズミは敵が近づくと今みたいにフシュッて弾んで威嚇するのさ。」


 「フシュッ、シュッ、シュッ、シュッ」


 「お兄ちゃん、この子怒ってるのかな?」

 「いや、おびえてるんだよ。そもそも夜行性だから、昼間はずっとこの状態だ  よ。」

 「私この子飼おうかな。ねえママ、飼っていい?」

 「そうねぇ、1年前にお父さんがいなくなってから、あなた毎日寂しがってたものね、お兄ちゃんに飼い方を教えてもらって、ちゃんと面倒みるなら、飼ってもいいわよ。」

「わーい。ねぇ、ネズミさん、お顔を見せてよ。」


 「フシュッ、シュッ、シュッ、シュッ」


 「佳代、今日はこのままそっとしておいてあげようよ。少しずつ慣れれば顔を見せるはずだよ。そうだ、兄ちゃんが明日こいつの大好物を買ってきてやるよ。」


【 翌 日 】

 「ただいま」

 「お兄ちゃん、お帰り」

 「どうしてる?あれ。」

 「相変わらずイガグリ状態で、つつくとフシュッて弾むだけ」

 「でも、そろそろお腹も空いてるはずだし、このエサで釣ってみよう。」

 「ハリネズミさんのエサね。ちょっと見せて。」

 「い、いや、見ない方が・・・」

 「ぎゃーーーーーあああーーーー、きもーーーーーっ」


 「ミルワームっていうんだよ。ゴミムシダマシ科の甲虫の幼虫さ。生き餌。」

 「こんなものが大好物だなんて・・・。やっぱり飼えないかも。」

 「心配ないよ、他にも固形のエサも売ってるし、けっこう何でも食べる。ミックスベジタブルとかも」


 今カラ一年ホド前、イツモノヨウニ書斎に引キコモッテイタアル夜のコト、一睡シテカラ、フト目ヲ覚マスト、戸外デ誰カガ我ガ名ヲ呼ンデイル。声ニ応ジテ外ヘ出テミルト、声ハ闇ノ中カラシキリニ自分を招ク。覚エズ、自分ハ声ヲ追ウテ走リダシタ。無我夢中デ駆ケテイクウチニ、イツシカ道ハ草藪ニ入リ、シカモ、知ラヌ間ニ自分ハ左右ノ手デ地ヲツカンデ走ッテイタ。


 気ガ付クト、背中ヤ頭ニ針ヲ生ジテイルラシイ。少シ明ルクナッテカラ水タマリニ姿ヲ映シテミルト、既ニハリネズミトナッテイタ。恐怖デ思ワズ手足ヲスクメタ瞬間、体中ノ針ガ立ッテ、顔以外の全身を包ミコンダ。初メテノハリネズミ経験ダッタ。


 ソレカラ何日モ歩キ回ッタ。疲レタ時ハドコデモ休ムコトガデキタ。手足ヲ引ッ込メテ首ヲスクメレバ、完全ナイガグリ状態ニナルカラ、誰ニモ襲ワレル心配ガナイシ、誰ニモ干渉サレズニスム。マサニ自分ガ望ンデイタノガ、コノ状態ダッタ。引キコモッテ、引キコモッテ、ツイニハリネズミニナッテシマッタ父親ヲ家族ハドウ思ウダロウ。ソウ思ウト、ムショウニ妻ヤ子供タチニ会イタクナッタ。ハリネズミノ目ハヨク見エナイ。ニオイダケヲ頼リニ、アチラコチラト放浪シテ、結局1年ホドツイヤシテシマッタ。ソシテヨウヤク、懐カシイ我ガ家ノニオイヲ見ツケ、窓カラ自分ノ書斎ニ入リコムコトニ成功シタ。

疲レと安堵デ、スグニ眠リニ落チタ。イツモノヨウニ頭マデ針ノ布団ニクルマッテ・・・。


 オット、ソンナコトヲ思イ出シナガラ、再ビウトウトシテイルウチニ、何時間経ッタロウ。ソウ言エバココノトコロ何モ食ベテイナイ。マタ、ペーパーナイフデ脅サレルノハ御免ダガ、チョットダケ顔ヲ出シテミルカ。何トナク、先ホドカラ、イイ匂イガスルノダ・・・。


「あっ、お兄ちゃん、ミルワームにつられて、ちょっと顔を出したよ!」

「ほうら、な、ハリネズミはこれが大好きなのさ。」

「すごい勢いで食べてる。」

「一晩何も食べなかったんだから、腹ぺこだろ。」

「私、この子の名前考えたの。この書斎に来たってことはきっとパパの生まれかわりでしょ、だから『ハリパパ』。どう?」

「ハリパパ・・・。アリババみたいだけど。」

「ハリネズミのパパだから『ハリパパ』よ。」

「確かに、引きこもっている感じは、かつてのパパそっくりだ。」

「ねぇ、餌やり私にもやらせて。」

「大丈夫か?」

「もう慣れたわ。」


 目ノマエニイルノハ、我ガ子、誠一ト佳代ダ。クチャクチャクチャ・・・。ヨクハ見エナイガ、間違イナク我ガ子ノニオイガスル。クチャクチャクチャ・・・・。嗚呼、我ガ子ヨ、スマナイ。人間デイタウチニ、モットオマエタチヲカワイガッテヤルベキダッタノニ、クチャクチャクチャ。


「あなたたち、そろそろ自分のご飯の時間よ。まあ、ハリネズミってそんなもの食べるの。ママにもやらせて。」

「ママは、こういうの平気なの?」

「昔おばあちゃん家で、屋根裏におカイコさん飼ってたから。」


オオッ、我ガ妻ノ声、妻ノニオイ。スマナイ、本当ニスマナイ。クチャクチャクチャ・・・・。人間デアルウチニ、モットモットオマエヲ愛シタカッタ。妻ヨ、許シテクレ。抱キシメタクテモ、コンナ短イ手足デハ・・・届、届カナイ・・・ノダ・・・クチャクチャクチャ。


「ママ、お兄ちゃん、ハリパパの手足が出た!」

「な、言った通り、ミルワームの力は絶大だぜ。」

「まあ、こんなふうに丸まってたのね。」

「ママ、佳代、ハリネズミってのはね、体の周囲に輪筋ってのがあって、これが瞬間的に巾着みたいに縮んで丸くなれるんだ。」

「ハリパパ、リラックスしてきたのね。もともとパパの部屋だもんね。」


 ソウ、ココハモトモトオレノ書斎ダ。リラックスシテ、ココデ暮ラセバ、家族トズット一緒ニイラレル。今マデノ分、家族ニ親シクシヨウ。モウ、イガグリニナル必要モナイ。


 時に、残月光冷ややかに、白露は地にしげく、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。ハリパパは食事を終えると、普通のネズミのように四つばいになって、改めて家族を見上げた。書斎に差し込むその月影のもと、ハリパパの目から、思わず涙があふれ・・・る代わりに、なんと口から白い泡があふれ出した。


アワアワ、アワアワ、アワワワワ・・・。


 ハリパパは口から出てきたその白い泡をどうしてよいか分からず、とりあえず長い舌で背中の針先にヌリヌリした。


アワアワ、ヌリヌリ、アワアワ、ヌリヌリ・・・。


※ハリネズミは初めてのものを食べると、口から泡を出して身体にぬりつけます。この習性をアンティングと言います。(誠一)


おしまい。








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