デーダラボッチ

ヤギサンダヨ

デーダラボッチ

 昔々、埼玉県の笠幡という所に、大きな大きな大男が住んでいました。村の人たちからは、デーダラボッチと呼ばれていました。村の人たちは皆発知(ほっち)という名字で、デーダラは大きいと言う方言ですから、デーダラボッチは、大きな発知さん、という意味です。 


デーダラボッチは身体が大きい上に力持ちで、とても働き者でした。村人が畑を耕しているときに大きな岩が出てきて困っていたりすると、デーダラボッチがやって来て、まるで鼻くそをとばすように岩をどけてくれました。田んぼの水が渇れそうになったときは、デーダラボッチがその大きな太い指で、入間川からズズーッと水路を作って水を引いてくれたこともあります。お庄屋さんの屋敷の大きな大きな屋根を葺き変えるときも、デーダラボッチは、葉煙草でも揉むかのようなしぐさで、あっという間に仕上げてしまいました。何にしてもこの調子ですから、デーダラボッチは村の人たちからとても好かれていましたし、自分が村の人たちのために働くことを誇りに思っていたのです。

 

ところがある頃から、デーダラボッチは背中に少し痛みを感じるようになりました。長年の力仕事が祟ったのでしょうか、ズキズキとした痛みは、しだいにひどくなっていきます。しまいには仕事どころか、立つことも座ることもままならない状態になってしまいました。仰向けに寝て背筋を伸ばせば、少し痛みがひくようです。

 

でも、春になっても痛みは取れず、デーダラボッチは蓮花の野原に横たわって、うめき声をあげていました。村人が心配そうに言いました。

 「デーダラボッチさん、大丈夫かね?この村には医者もいないし、困ったものだのう。それからこんな時なんだが、そろそろここを耕して麦を植えなきゃならんで。」

 「おお、それはすまない。すぐ他へ移るで。」

 デーダラボッチはそう言って、背中をさすりながら隣の田んぼによたよたと歩いていきました。


 夏になっても背中の痛みは続きました。村人が来て言いました。

 「デーダラボッチさん、大丈夫かね?そろそろわしら、ここに水をはって稲を植えなきゃなんねえで。」

 「おお、それはすまない。すぐ他へ移るで。」

 デーダラボッチはそう言って、背中をさすりながら今度は入間川の河川敷に来て寝転びました。


 秋が来ても同じでした。河川敷に仰向けになったまま、痛いよ痛いよとうめいていました。その両目からはなみだがあふれ、入間川の水位があっという間に増しました。村の人たちがやって来て、心配そうに言いました。

 「デーダラボッチさん、大丈夫かね?お前さんがそこで泣いてると、水かさが増えて川が氾濫してしまう。それでなくてもそろそろ二百十日だしの。」

 「おお、それはすまない。すぐ他へ移るで。」

 と、言ったものの、もう村中には居るところがありません。デーダラボッチは何とか立ち上がると、背中をさすりながら夕焼けの方へ夕焼けの方へと、どこまでも歩いていきました。


 村を出て何里歩いたか、背中の痛みは限界です。すっかり日も暮れて、季節もいつの間にか冬になっていました。でも、ここなら誰もいませんし、何もありません。いつものようの仰向けになると、背中の痛みが少しやわらぎました。静かに目を閉じると、村の人たちと仲良く暮らしていた昔が思い出されました。もう背中の痛みもありません。少し微笑んだデーダラボッチの頬に、白い一片の雪が舞い降りました。そしてまた一片、また一片。

 

雪はデーダラボッチを覆って、明くる朝には立派な雪山になりました。なだらかな稜線は朝日に染まって輝きました。


 今でも笠幡からは、よく晴れた冬の朝に、この山が輝いて見えます。

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