カシツキリサイタル

NTN

俺の喉を潤せ

 最近、喉が悪い。咳が出て、呼吸をするたび引くっかかるような感じ。調子が悪いこと、この上ない。


「あー。それさ、冬になったからだよ。乾燥」

「なるほど?」


 高校の友人というのは面白いやつばかりだ。生きてきた場所からして大きく異なる彼らとは全く話が噛み合わない。それでもなんとか必要なコミュニケーションを取るために「ヤベエ」とか「チコク」とかの、いわゆる”高校生語”を使って相互の理解を図る。それが楽しい。


 なんやかんやして、話しているコイツとはけっこう長い付き合いになってきた。今では普通の会話もできる。やっぱり、慣れた言葉でコミュニケーションを取るのは落ち着く。頭をフルに回転させなくても気の利いた言葉を返せる。気楽だ。


「オマエんち、乾燥対策とかしてんの?」

「してないな。実家も乾燥とは無縁の場所だったし、こんなことになるのは今年が初めてだ」

「あー、……前、兄貴に聞いたんだけどさ、この学校周辺って、特に空気が乾燥する環境なんだって」

「なる。というかお、兄さんいたのか」

「ウン。今は地元だけどね。ここの卒業生」


 その時、ベルが鳴った。始業のベルだ。____それと共に、多くの足音が聞こえてくる。教師と、日々限界を追い求める奴ら。

 

 一日が、始まった。



ーーー



 思い出したようにアイツがその話を持ちかけたのは、その翌日を跨いだ日の放課後だった。


「ヒマか?今日」


 遊びに誘われる程の仲かと言われれば、そこまででもない。珍しいな、と思いながらも大きく首を縦に振った。


「よかった。じゃあさ、今から俺の部屋来いよ。渡したいモノがあるんだ」

「渡したいモノ?動物は飼えんぞ、すでに寮母に怒られてる」

「違うって。動物じゃ……、あれ。えーと……、ちょっとまってな」


 不安げな顔をしたアイツはうつむきながら携帯を弄って何かを調べ、その後に言葉を続けた。


「うん。問題ない。動物じゃなかった」

「……一体、ナニ渡す気だよ」


 するとコイツは生意気そうな笑みを浮かべてこう言った。


「キミに、一つ加湿器をわけてあげるよ」


ーーー


「カシツキって?」

「ああ。……地元じゃ結構使われてる装置で、乾燥してる空間を潤すんだ。ほしいだろ?」

「なるほど。確かに欲しいな。けど、いいのか? そういうモノって結構高かったりすると思うんだけど」

「まあね。けど、兄貴がこっちに置いていったヤツを見つけたんだ。それをあげるよ」

「お兄さんのってそれ、ホントにもらって大丈夫なのか?」


 コイツは結構いい加減なところがある。提出物とか、そういう辺りでの呼び出しは傍から見ていても、絶えない。

 もしもお兄さんに無断でそういうことをするくらいなら、一応伝えておいたほうが良いのではないか____。そんなニュアンスを込めたつもりだったが、あんまり効果的には伝わらなかったようだ。


「ダイジョブ。多分怒んないって。皆ユルいんだよ、ウチの故郷トコ。」

「そうなのか……?」

「それにさ、オマエは今すぐ欲しいだろ? 今から連絡したら、返事が来るのなんて、早くても数日後だ」

「たしかに」


 事実、喉の乾燥は深刻だった。他の奴から聞いた、「糖蜜を舐める」だとか「水をこまめに飲む」なども試してみたが、やっぱりうまくいっていない。


 俺の喉を潤すには、もうカシツキしか無いのだ。どんなものかは知らないが、それでも、日を追うごとにガサガサになっていく自分の声を見過ごすよりもよっぽど良い。


「じゃあ頼むよ。カシツキ、貸してくれ」


ーーー


「これで、契約成立だ」

「……やけに仰々しいな」

「まぁまぁ。そういうモンってことで」


 ただ設置しただけなのに、仰々しいというか、カッコつけてるというか。

 俺の下宿先である狭い部屋の片隅、勉強机の隣にその白い箱”カシツキ”は置かれることとなった。

 水を入れるだけで、部屋の湿度を高くする装置……、らしい。

 初めて見たそれを眺めながら、俺はアイツにいくつか聞いてみる。


「どうやって使うんだ?」


 その箱にはボタンらしきものもなく、あるのは回転式のレバーだけ。背面についているボトルは、給水用だろうか?


「まぁ、そんな難しいものじゃないよ」


 そう前置きして、あいつは説明してくれた。

 

「ボトルに水入れて、それからこのレバーを回す。……それだけだ」

「……なるほど。それだけ、本当に?」

「ウン。それだけ」


 簡単だ。それだけの操作で、湿度が快適になるなんて、最高だ。


「丁度ボトルに水も入れたし試しに使ってみようか」


 そう言って、アイツがレバーを軽く動かした瞬間、箱の内部から何やら音が鳴り始めた。


 ____カサカサカサカサ……。


 内部で、何らかが動くような音。嫌悪感で耳がむずがゆくなるような、軽くて耳に残る音。


「……なんだよ、これ」

「アンマ気にすんなよ。……ずっと使ってなかったからな、久しぶりに水を流したからなー。もしかしてビックリしたのかな?」

「ビックリ……?」


 いい加減な奴だ。


 まあ、気にするなよ。

 最後にそう言ってアイツは帰った。

 俺とカシツキ、それと順調に潤い始めた部屋が残された。

 奇妙な音は、もう聞こえない。


ーーー


「なあ、なんか調子悪いんだけど」


 俺はそれから一週間後の夜中に電話をかけた。相手は、カシツキをくれたアイツ。


「どうしたんだ?」

「湿度が足りないんだ」

「……ワリぃ、もうちょい詳しく」

「カシツキがおかしい。部屋の中が乾燥してるんだ。昨日までは、ちゃんと潤ってたんだが」

「水はちゃんと補充してる? あれは水がなきゃ、働いてくれないよ」

「もちろん。さっきも水を補充してみたけど、やっぱり全然良くならない」


 すると、電話の向こうでうめき声と、頭をポリポリと掻くような音がして、言い訳をするように、アイツは言葉を続けた。


「まぁ、結構古いからな……」

「お兄さんの、って言ってたもんな」

「ウン。弱ってきてる頃合いではあるね」

「そうだとすると、対処のしようは無さそうだな。諦めて新品を買おうか____」

「いや。その必要は、ないよ」


 その否定は、電話越しなのに妙な緊張感を持っていた。

 彼なりに責任を感じたのだろうか、それとも、地元産の装置なだけに、ちょっとしたプライドでもあったのかもしれない。


「本当か」

「ああ。いくつか対処法を教えてやるよ。……それでも良くならなかったら、俺がお前ん家に行って、直してやる」

「まぁそこまではしなくてもいいけど……」


 アイツはいくつかの対処法を教えてくれ、そして最後に、こう俺に言った。


「装置の中身をどうこうしようとしなかったらダメになるってことは……。あいや、もうおかしくはなってんだったな。とりあえず、直せなくなるってことは無いから」

「分解とか、そういうのはナシってことか」

「そういうこと。それじゃあ」



ーーー


 たまたま手元にあったプリントの裏に書きなぐっておいた内容を頼りに、言われたことを上からやっていくことにした。


「まず、機械の側面を軽く叩け……、ゼッタイ強く叩かない事」


 側面と言われても、この直方体の四面、厳密にはどのあたりを叩けば効果的なのだろうか。……とりあえず、給水ボトルの付いている面とは反対側を、ノックしてみる。


 石でも木材でもない、無機質で軽い衝撃が伝わってきた。


「効果あるのか……?」


 そもそも、湿度は目に見えない。一体どうやって、機能が元通りになったのかを確認すればいいのだろう。


 よくわからないので、一旦、全部試してみることにした。


「二つ目、軽く揺らす」


 強く叩くなと言っておきながら、揺らすのは良いのか。そう思いながらも、両手でしっかりと、倒さないようにしながら遠慮がちに揺らしてみる。

 チャプチャプと水が揺れる音と、部品だろうか、中で何かがぶつかり合う音が混ざって聞こえる。……ぶつかる音は、妙に軽い。紙とか、木の葉が自由に擦れ合うような、軽薄な音。

 もしかして、中で何かの部品が外れてしまっているのではないだろうか。……とは思うものの、友人の言いつけを守るなら、解体してはいけないらしい。

 


「えーと、三つ目。……タンクの中に熱湯を入れて、ちょっとだけレバーを回す。直火で温めるのはダメ、もえちゃうから」


 アイツの地元では、そういうことが原因の火災でもあったのだろうか。

 しかし、熱湯。……机の上に湯沸かし器がある。主に夜食を作る用のそれには、昨日使った残りの水がちょうど給水ボトルに入りきるくらいだけ入っていた。

 湯を沸かし直している間、暇なのでメモに書かれた最後の指示を先にやることにした。

 書かれている内容。それは、


「____踊れ」


 ヤケクソか? 

 指示もやけに細かい。


「服を脱ぐこと。ズボンも。下着くらいならまあOK。……白衣などの白い上着があるなら、全裸の上から着ておくと最高」


 ……つまり、恥をかけということだろうか。ついでに汗もかけと……。


 普段なら、これをくだらない冗談だと判断していたことは間違いない。

 しかし、それ以上に今俺の中で乾燥というものは深刻だ。

 俺には、踊り、沸かす以外の選択肢がなかった。


ーーー


 脱ぎ終わると、ちょうど今日の授業で使っていた白衣を学生カバンから引っ張り出し、着る。冷たい布地が、恥ずかしさと馬鹿らしさで火照る体には心地よかった。


「……いくぜ」


 ここまでくれば、踊りきるしかない。

 掛け声とともに、生まれて初めて激しいタップを披露した。


 __前後左右だけじゃない。……まだ、何かが足りない。そうだ、上下だ。

 踊りきれないなと、思う。故にジャンプを追加する。

 ターン、ステップ、手を振りウィンク。ジャンプ、ジャンプ、ターン……。


「ッハァッッ!!」




ーーー


 湯が沸いていた。


 思っていた以上に熱中してしまったようだ。隣の部屋から鋭い一撃を貰うまで、俺はダンスフロアにいた錯覚すら覚えていた。

 早くも痛み始めた肩をさすりつつ、残されている例の指示、「熱湯をボトルに入れる」というものを終わらせてしまうことにした。


 ____その前に、深呼吸を一回。息の上がったカラカラの喉に、冷たい空気が心地よい。……一通り終わらせたら、なにかジュースでも買いに行きたいな。


ーーー


 口の狭いボトルになんとか熱湯を注ぎきると、恐る恐る持ち上げてみる。……こんな使い方にも対応しているということだろうか、薄くて硬質な容器からは全くと言ってよいほど熱気を感じなかった。冷水を入れたときと何ら変わらない手付きで、この容器を扱うことができた。


 あとは、これをセットして、戻しておいたレバーを再び開けばおしまいだ。


「……上手くいってくれよな」


 第一、汗だくの体をどうにかするために早いところ風呂屋へ行きたかった。この家にはシャワーすらない。だから一刻も早く、やり終えてしまいたいと思った。


 思いは、かすかな焦りとなった。レバーを回す手はほんの少しだけ強すぎて、ボトルは装置に少し多めの湯を入れた。

 カシツキの側面は、部屋の冷気と内部の熱気によって薄く濡れた。

 カシツキが驚いたように、震えた。


「……マズったかな。これ」


 気圧され、レバーを元に戻そうと手をのばす。


「……それから、一旦、アイツに電話してみよう」


 手が滑った。

 レバーを戻そうとした手は、思いとは真逆に動作した。

 多量の熱湯がカシツキ内部に勢い良く飛び込む。__と同時、俺はカシツキ内部が大きく揺れだしたことに気がついた。


 中に小型生物がいるのではないか、と思う程に不規則で、まるで抗議の意思すらあるのではないかという内部の暴れ。それはボトルが空になったころにピークを迎え、次第に収まり、そして最後、数十秒もしたら完全に落ち着いた。


 と思った瞬間のことだった。

 ____声が聞こえた。悲鳴だ。


「ォォォ」


 はじめ、それは自分の口から出ているのかと錯覚した。この状況に驚いた自分が、意味もなく、ただ本能的に音を出して周囲を威嚇しているのではないかと。

 だがこの痛々しい叫び声が間違いなく例の装置の中から響いているという事。その事実に気がついたときには、もう、俺の手は携帯を強く握りしめていた。


「____おい、これは、なんだ」

「いきなり、どうしたんだよ。直せたのか?」

「……これは、何だよ」


 カシツキの中から、ナニかの匂いがした。昨日学食で食べた匂いにも似ていた。

 その装置の中に、生きている、__あるいは今まで生きていた、それがいることは間違いのないことだと直感した。


「……まぁ落ち着けよ」


 電話の向こうは、落ち着いていた。


「そうだな。落ち着こう」

「__落ち着けたか?」

「ああ。……わるい、失敗したみたいなんだ」

「失敗?」

「……ちょっと、湯加減を間違えたみたい」


 _____息を呑む音が、次はあちらから聞こえた。


「……中身は、みたかい?」

「見ていない。……匂いは、するけど」

「わかった。すぐ向かうよ。すぐにね。……ホントはダメだけど、空でも飛んで超特急で行くことにする。窓か、扉を大きくあけておいて」


 電話は切れた。残っているのは、温室のように蒸され、湯だった臓物の匂いが充満する部屋の中と、男。


 カシツキの中身がどんなものであるのか。潤湿な部屋の中で考えてみると容易に想像がついた。

 アイツがどのような世界で生まれたのか。この”学校”に集まる生徒は、様々な背景を持っている。



 カシツキ。湿度を生み出す、良い仕組み。

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