第12話 狐憑(3)

(火と水の精霊の力を借りる…。稲荷には申し訳ないが一度封印する)

バーンは頬から流れる血を手で擦りながら立ち上がった。

深呼吸を何回かした。

自分の頭の上を縦横無尽に飛び回り、次の攻撃の瞬間を狙っている2体の狐に視線を向けた。

右手のひらを上に向けて差し出しながら、再び詠唱を始めた。

「Ils D Ialprt Soba Vpaah Chis Nanba Zixlay Dodseh Od Ds Brint TAXS Hubardo Tastax Ilsi Soba Iad I Vonpho Vnph Aldon Dax Il Od Toatar.」

魔法陣がさらに輝きを増した。

そして、右眼も。

青いコンタクトレンズから下の色が透けて見えるほどに輝きが増した。

魔法陣の中の温度が急激に上がり始めた。

いつの間にかバーンの掌には水が小さな柱のように突き出ていた。

その水はまるで生き物のようにうねうねと動いていた。

(いくら俺でも…2体を同時に封じることは無理だ。

1体ずつ動きを封じる……)

その水はどんどん伸びていき、やがてムチのようにしなり始めた。

「 Zacar Od Zamran Odo Cicle Qaa Zorge…」

バーンが右手を返すように動かすときれいに弧を描きながら水のムチが空を舞った。

ブン…と空気を裂く音が聞こえたかと思うとムチの先端が追尾装置でもついているように一方の狐に巻きついた。

狐は犬のような声を上げながら、地に落とされた。

必死にもがきながらそのムチを牙で切ろうとするが、一度切ってしまってもすぐにつながってしまい堂々巡りだった。

水には固定の形がない。

どんな形にも変えられる。

バーンの念をこらし、召喚された精霊の力が加わればいかに稲荷となった狐でもそう易々とは逃げることはできない。

もう1体がそれを見て狂ったようにバーンに突っ込んできた。

彼は正面から突っ込んでくる狐に今度は左掌を前に差し出した。

それを止めようとするように。

「 Lap Zindo Noco …」

左手から炎が上がった。

狐の勢いをものともせず、バーンは無表情でたたずんでいた。

ただ狐を凝視していた。

(できることなら傷つけたくない…が)

ヘビのような炎が突っ込んできた狐の身体に絡みついた。

「…Mad Hoath Iaida.」

もう1体も地に引きずり落とされた。

熱さに悲鳴を上げながら、のたうち回っている。

ちょっとバーンはため息をついた。

と、誰かの話し声が聞こえた。

その声の方向を見た。

「最後の片づけまで手伝ってもらって悪いわね」

「いいえ。今年も全国大会まで行けますか?」

「そうね、がんばればね。…本条院さん遅いわね。どうしたのかしら?」

旧校舎の横を歩いてきたのは、榊と綾那だった。

今ここに第3者が入るのは非常にまずい。

術を見られることよりも、それ以上の危険が伴うことは必死だった。

「臣人!」

バーンは彼女らを守れと叫んだ。

その声に臣人はバーンを守る結界を解き、彼女らのいる方向へと走った。

その一瞬の隙を2体の狐が見逃すはずがなかった。

バーンの意識がそれ、彼らを拘束する力が弱まった瞬間を。

2体は傷ついた体でバーンの魔法陣を内部から破壊した。

「なっ!?」

(まだ、そんな力がっ)

ある方向を目指して飛んでいた。

バーンも全力で狐のあとを追った。

2体は猛スピードでバーンや臣人のように『力』のない榊と綾那を襲おうとしていた。

臣人は榊の前に走り込んできた。

「あら、また葛巻先生」

バーンも綾那の横から駆け込んできた。

何も知らない二人はただその様子に驚くだけであった。

「? バーン先生まで、どうしたんですか? こんなところで?」

バーンも臣人も後ろを振り返った。

一瞬早く彼女らのところに辿り着きはしたものの、2体の狐は怒りで我を忘れ突っ込んで来ていた。

「くそっ」

臣人は榊の腕を引っ張り、抱きかかえるように自分の胸に引き寄せた。

数珠を両手でピンと張るようにして持ち、何かに耐えるようにそれを前に押し出すようにした。

早口で真言を唱え、結界を張った。

「ナウマク・サラバタターギャテイビヤク・サラバボッケイビヤク・サラバタ・タラタ・センダ…ランッ!!」

バシィィィィッ。

何かが目の前にある透明な壁にぶつかったような音がした。

「きゃぁっ」

榊は訳もわからず悲鳴を上げた。

「破っ、撥!!」

臣人は持っていた数珠を何かに巻きつけ、ぐっと引っ張った。

1体は封じられた。

「バーンッ!!」

臣人はバーンの方に振り返った。

「オッド先せ…」

バーンも綾那の前に立ちはだかり、右手を前に出した。

炎をまとった狐が彼女の方を目指していた。

『邪魔だてするな、人間!』

「Ils D Ialprt Soba Vpaah Chis Nanba Zixlay Dodseh Od Ds Brint TAXS Hubardo Tastax Ilsi Soba Iad I Vonpho・・・」

(詠唱が間に合わない!?)

狐は前に差し出された彼の腕に噛み付いた。

「ぐっ…Vnph Aldon Dax Il Od Toatar.」

顎を左右に振りながら、バーンを引き倒した。

バーンは鋭い牙に痛みを感じながらも歯を食いしばった。

「 Lap Zindo Noco …」

『無防備だ。だが、我が恨みを晴らさせてもらうぞ』

そう言い残すと狐はバーンの後ろにいた綾那を目指し、また、ひとっ飛びした。「え?」

「劔地!」

(しまったっ! カードよ!)

引き倒された体を起こしながら、バーンは心の中で叫んだ。

音もなく彼女のポケットからタロットカードが空中に散乱した。

まるで綾那を守るように円を描きながら、地にゆっくりと落ちていった。

綾那の目には紅い炎が渦巻きながら自分の身体を直撃し、引き込まれるように消えていくのが見えた。

「綾那ぁっ!」

遠くから息をせき駆けてきた美咲が叫んだ。

この様子を目にするや悲鳴を上げた。

綾那は力無くその場に倒れ込んだ。

バーンが急いで起き上がると、彼女のそばに駆け寄った。

タロットカードの一枚が炎をあげ燃えていた。

『星』のカードだった。

(タブレットの発動が間に合わなかった…)

臣人がディフェンスをしている理由のひとつがこれである。

バーンが法術を発動させるにはある程度の時間が必要なのだ。

呪文を全て詠唱するための時間が。

それをカバーするために臣人が真言で結界を張っていたり、先に攻撃したりするのだ。

バーンは綾那を心配そうに抱き上げ呼吸を確認した。

悪夢が甦っていた。

7年前、眼の前で逝かせてしまった彼女ラシスのこと。

同じ年頃の綾那が今、自分の腕の中にいる。

バーンの腕が震えていた。

あのことと重ねずにはいられなかった。

息はあった。

少し安堵すると同時に右眼で綾那の状態をくまなく見ていった。

(タロットの守護で肉体的に傷つけられはしなかったか。

だが…稲荷が憑依してしまった。このままじゃ…)

彼女の額に手を当ててみた。

身体が異様に熱くなっていた。

「オッド先生っ、綾は一体どうしたんですかっ!?」

半べそをかきながら美咲が彼女の身体にすがりついた。

「臣人っ!」

バーンのその声に榊がおそるおそる目を開けた。

臣人の腕の中だった。

彼女は視線を移していった。

黄色いYシャツ、腕まくりされた袖、鍛え上げられたたくましい筋肉質の腕、そして右手で数珠を握りしめているのが見えた。

「…葛巻先生?」

(お坊さん!?なの?)

彼女の声が聞こえていないように、臣人は独り言をつぶやいた。

「最悪な展開やでぇ」

バーンのいる方に目を向けた。

「準備室に!早く!!」

バーンは叫んだ。


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