8.25.撤退


 丈と襟の長いマントを羽織った一人の悪魔、イウボラはそう言った。

 肩にはオレンジ色の髪をした悪魔、イーグルが担がれており、彼は気絶しているということが分かる。


 イーグルの強化魔法で、イウボラの能力を強化し、敵である鬼を血という媒体を使って洗脳したわけなのだが、あっさりウチカゲと血のかかっていない鬼たちに看破されてしまった。

 流石戦闘経験豊富な鬼だと称賛せざるを得ない戦いぶりであり、今回はお手上げ状態である。


 もう少し時間を稼いでおきたかったが、そもそも今回の作戦の要であるヤーキの仲間たちは全滅し、その死によって強力な攻撃を繰り出したのにも関わらず、敵のほとんどはまだ活動ができる状態にある。

 その事を考えてみても、今回は負けである。


 悪魔側にはもう戦力と呼べる部隊はここにはいない。

 違う方面へと戦力を集結させているので、援軍も見込めないのだ。


 ウチカゲという鬼が今回は厄介であった。

 目に見えない速度で動き回り、持っている熊手で全てを防ぎ、全てを切り裂く。

 あの速度には、ここにいるメンバーでは対処することができないだろう。


 それに生まれ変わりの回復魔法。

 あそこまで高度で効力の高い範囲回復魔法など、見たことがない。

 日輪とは違う技能。

 まったく厄介なものだと頭を悩ませるほかない。


 あれだけの大技を使ってまだケロッとしているあたり、彼の魔力は悪魔以上にあると思って差し支えないだろう。

 実際、常時展開している操り霞に加え、今回領民に支給した水弾ガントレット、天割に空気圧縮での爆発、更に最後に使用した広域治癒で使った魔力だけを差し引いても、応錬には1000以上の魔力が残っていた。

 進化により使用魔力が大幅に減っただけのことなのだが、本人は勿論悪魔たちもこの事は知らないことである。


「ヤーキ、大丈夫か? 反転は使えないのか?」

「もう魔力が残ってない……」

「なんだ裏か」

「なんだとは失礼な! でも回復はできるよ。『自身反転』」


 ヤーキは腕に力を入れ、なくなった部位を再生させる。

 服も欠損前に戻っているようだ。


 状態を確認したあと、ヤーキは表人格に戻ってしまう。

 最後の魔力を再生に使用してしまったので、もう裏人格を引き出すための魔力すら残っていないのだ。

 本当に妙な性格をしている裏人格だと思いながら、イウボラは帰還の準備をする。


 ポケットに入っていたダイスを取り出し、それを握りつぶした。

 すると、後方にゲートが出現する。

 とりあえず肩に担いでいるイーグルを放り投げた後、腕を変形させて後方から迫ってきていた槍を掴んだ。


 飛んできたのは小さな体をした赤毛の男。

 力強い形相をしているが、その背中から生えている炎は危険だ。


「奄華の生まれ変わりか」

「この体だと力が出ない……! それにこいつぅ……!」


 子供鳳炎の槍は簡単にいなされ、投げ飛ばされる。

 槍を炎にしようとも思ったのだが、イウボラの変形した黒い塊のような触腕はその炎に使う魔力を吸いつくした。


 予想外の攻撃に、身を引いて態勢を整える。

 その間にも、ヤーキがゲートをくぐってしまった。

 後はイウボラが残っているだけだ。


「逃げるな!!」

「俺たちは死ぬわけにはいかないんだ。すまんな生まれ変わりよ。ここでの目的は達成できなかったが、また会おう」

「お前たちの目的は何なの!? 何故このようなことをするの!! 答えて!」

「幼児化しているのか。だがそれは教えられない」

「アトラックは伝えたいけど伝えられないって言ってた! その理由は!?」


 その瞬間、イウボラの表情が変わった。

 帰還しようとしていたが、それを止めて鳳炎に向きなおる。


 アトラック……。

 最年長の悪魔。

 イウボラも一度あったことがあるだけの、魔神である。

 魔王の一つ上の階級であり、魔王の前にすらほとんど姿を現さない魔神アトラックが、生まれ変わりにあの事を伝える為だけに出現したらしい。


 アトラック程の魔神であれば、できるだけ長くのことを伝えることができただろう。

 普通の悪魔が伝えれない程の情報を。

 イウボラがあの事を伝えようものなら、息を吸っただけで死んでしまう。


「アトラックは死んだよ! 呪いだって言ってた! お前たちは呪いを解くために、人間を殺しているの!?」

「アトラック様はそこまで……!」

「……様?」


 様付けに対して、鳳炎は首を傾げる。

 あれがイウボラという悪魔よりも上の存在だということに、違和感を持ったのだ。

 そんなふうには見えなかっただけかもしれないが。


 だが、言えない。

 アトラックでさえそこまでしか伝えられなかったのだ。

 それ以上違う事を教えるなど、イウボラにできるはずもなかった。


「これだけは言える。俺たちは、お前たちために動いている」

「もっと詳しく話せないのか!!」

「すまない。だが」


 そう言うと、イウボラはマントの裏からカードを取り出し、それを鳳炎に向かって投げ渡す。

 鳳炎はそれに反応したが取り損ね、小さな甲冑の隙間にカードが刺さった。


 手に取ってみれば、そこにはトランプのジョーカーが描かれている。

 道化師か何かの真似事だろうか。


「ルリムコオスという魔神を探せ。なにか、分かるかもしれないぞ」

「!? 何故……」

「ではな」


 そう言い残した後、イウボラはゲートの中に入り、そのゲートはふっと消えてしまった。


 また腑に落ちないことができてしまった。

 何故、悪魔は情報を提供したのだ。

 一体自分たちに、何を伝えようとしているのか。


 未だ分からないことが多い。

 だが、また一歩進むことができた気がする。


 地上では大歓声に溢れており、今度こそ勝利に浸っている者が多くいた。

 悪魔の撤退を見て、勝利を確信したのだろう。

 だが鳳炎は、やはりこの勝利にも喜ぶことができなかったのだった。

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