#3.5 変わるお嬢様

第37話 イライラいろは 前編

  八神いろはは苛立っていた。


「八神、お前は優秀だと思っていたんだがな」

「はぁ……」


 ガヤガヤと騒がしい放課後の職員室。担任の寺岡に呼び出されたいろはは、彼のデスクの前で説教をくらっていた。

 左目と右目が大きく離れたカエルのような顔をした担任は、孫の手にゴムボールがついた肩叩きでポクポクと肩を叩きながら眉を寄せる。


「桧山と付き合うのはやめろと言っているだろう。これで何度目だ?」

「お言葉ですが先生、素行に関して桧山君に何か問題があるとは思えないのですが? 成績に関しては普通レベル。委員会にも真面目に出席していますし、遅刻欠席もそこまで……」

「そんなことを聞いてるんじゃない。お前みたいに賢い人間が桧山と話をしていると、他の生徒が勘違いするだろう」

「勘違い? ……すみません意味が」

「ウチの生徒会は優秀と父兄から評判なんだ。事実お前の成績は3組の天才レオ・ブルーローズの妹を抑えて1位」

「彼女は留学生で国語や古文が不得手ですし、そこで誇ってもなんら意味が」

「それでもだ。2年でお前に敵う生徒はいないし、下級生からも人気がある。だからこそお前と桧山が一緒にいると目立つんだよ」

「はぁ?」


 いろははだから何がやねんと言いたげに首をかしげる。


「お前と一緒にいると桧山が良い奴みたいに見えるだろう?」

「それの何が問題なのかわからないのですが? 彼は元から悪い人間では……」

「わからんやつだな」


 寺岡は言葉を遮ると、察しろよと言いたげに舌打ちをする。


「勘違いした下級生が桧山のところにいってケガしたらどうするつもりだ?」

「すみません先生、桧山君を狂犬か何かと勘違いされているかもしれませんが、彼から喧嘩を仕掛けることなんて絶対ありません」

「わかっとらんのはお前だ八神。大声では言えんが、あいつには前科がある。そんな奴とお前たち生徒会がつるんでると知られたら、父兄からクレームがくるのはわかるだろう? ウチはただでさえ問題を起こしてるんだ。二度同じ過ちを犯すわけにはいかんのだぞ」


 何が大声で言えないか。教室で彼を犯■者と怒鳴りつけておいて。

 要は学校側が黒塗りした祐一に、白を塗らせたくないと思っているだけのこと。つまりまた何か学校で不祥事が起きれば、彼に罪を被せる気満々でいるということだ。


(スケープゴートはいつまで経ってもスケープゴートってことね……)


「お前の両親もあんな不良品と一緒にいると聞けば心配するだろう。わかったなら今後奴との接触は極力避けるように」


 まるで祐一が新型ウイルスでも保菌しているかのような言いようである。


 ようやく解放されたいろはは職員室を出ると、冷静な仮面の下は苛立ちでひどく歪んでいた。出来ることなら今すぐ何か物に八つ当たりしたい、そんな気分だ。


 早く帰ろう。帰ってゲームしよう。

 良かった、このまま誰もいない自宅に帰れば200万ほどするデジタルHGホログラフテレビに花瓶を投げて破壊していただろう。でも今は人のいる桧山宅に帰れる。

 そう思いながら昇降口で下駄箱を開けると、一通の手紙が入っていた。

 淡い赤色の便箋、そこそこ高級感のある紙は微かにバラの香りがするオシャンティーさ。

 八神いろは様と書かれたそれは、予想通りラブレターだった。


「…………チッ」


 無意識のウチに舌打ちがこぼれた。イラついてるときにこんなものを贈ってこないでほしい。

 ラブレターの主には彼女の機嫌などわかるはずもないのだが、いろはからするとラブレターはテンション下がるアイテムの中でもトップ3に入る。

 なぜなら告白する方も度胸がいるだろうが、振る方も体力がいるのだ。


 この前似たようなラブレターを贈ってきた下級生に、無理だと断ったが「何故? どうして? 俺頑張ります」などとしつこく付きまとわれて、非常に手を焼かされた。

 やっとの思いで諦めさせたら、そこそこ人気のある男子だったらしく、同級生らしき女子から「お願いします、彼と付き合ってあげてください」などと頼まれて更に困らされた。

 故にラブレターは彼女にとって不幸の手紙に近い。


 いろはは軽く周囲を警戒して、誰もいないことを確認すると手紙を開封する。

 内容には微塵も興味はないが、たまに『これを読んだら屋上に来てください』とか言う、こちらの予定を全く考えない呼び出しが書かれている時がある。

 内容を確認すると、やはり予想通り面倒なタイプだった。


『八神いろは君。僕の高鳴る鼓動と共に、この気持を伝えたい。今日の放課後体育館裏で君を待ち続けている。永遠とわに――』


 そんなポエム的な内容が書かれていて、いろはは若干引く。

 特に永遠のところに”とわ”とルビが振られているところに寒気を通り越して怖気おぞけが走る。

 しかもこの手の感情だけ先走ってしまうタイプのラブレターにありがちな、名前書いてないパティーン。お前誰だよと言いたい。


 無視してもいいが、こういう感情先行型で告白したがってる人間はちゃんと想いを聞いて気持ちをへし折ってやらないと、告白できるまで愛を囁いてくることが多い。


 無反応イコール脈なしというのは世界共通言語にしてほしいのだが、無反応→答えもらってない→まだフられてない→ワンちゃんある→イケる! となってしまうらしい。

 イケねぇからと思いつつ、指定された体育館裏へと向かう。


 せめて同級生か下級生にしてくれと思いながら体育館裏に着くと、そこで待っていたのは道着に袴姿の少年。剣道部の副部長茂杉もてすぎ碁面ごめんだった。

 剣道部次期部長確実で成績はいろはに次ぐ学年3位か4位くらい。茂杉食品のボンボンとしても有名。

 いろはは悪いとはわかっていても大きなため息をついてしまう。


「八神君、突然の呼び出しに応えてくれてありがとう。その悩ましいため息は恋のため息かな?」


 ナルシスト気味の茂杉はナチュラルヘアの髪をかきあげると、いろはに流し目を向ける。

 何言ってんだ頭に花でも咲いてんのかコイツはと言いかけたが、多分ほんとに咲いてるんだろうなと思い言葉を飲み込む。


「違うわ。ただ同級生で良かったって思っただけ」

「おぉ! それはつまり君も僕のことを憎からず想っていたということかね?」


 しまった今のは断りやすくて助かるという意味だったのだが、確かに脈アリに聞こえるセリフだったと反省する。


「誤解よ。悪いけどそういうわけじゃないの」

「ふむ、やはり奥ゆかしいな八神君は。だからこそ僕に相応しい」

「自分の世界に入ってるところ悪いんだけど」

「あぁ! 良い良いみなまで言わずとも……君が素直になれない気持ち、僕にはよくわかる」


 なんにもわかってなくてほんと困る。

 茂杉は顔も成績も家柄も優秀だが、人の話を聞かないことに定評があると知り合いから聞いたことがある。どうやらその話は本当らしい。


「まぁいいわ、茂杉君とりあえず話聞くわ」

「では単刀直入に言おう。八神君、僕と付き合――」

「ごめんなさい。私ナルシストほんとダメなんです無理です、さようなら」


 秒で茂杉をフると帰ろうとするいろは。


「ちょ、ちょ待ちたまえ!」

「何?」

「君も罪な女性だ。真面目な八神君のことだ、不純異性交遊などできないと言うのだろう?」

「全然そういうわけじゃないけど。ナルシストが嫌……」

「言うな言うな。真面目で誰からも頼られる君のことだ。きっと在学期間中は完璧で通したいと思っているんだろう? だが、今どき男女交際の一つや2つ、社会経験の範疇だろう。いや、むしろ2年でも有名な僕と君が交際することで、砂倉峰生の希望になれ――」

「ごめんなさい、私少し強面だけど根は優しくて、感情表現が微妙に乏しくて悪魔とか勘違いされてるけど、その勘違いされてることを背負って尚頑張れる人にしか興味がないので。あなたじゃトキメキません、さようなら」

「え、えらく具体的だな……」


 怒涛の断り文句を並べ、再び帰ろうとするいろはの前に回り込む茂杉。


「ゴホン、模範生徒の君が誰かと付き合うというのは抵抗があるかもしれない。しかし優等生だからこそ、そういった経験を積んでおくのも重要だとは思わないかい?」

「別にそれは人それぞれだと思うから」

「いやいや、頭から否定するのはよくない。君のような格上の上流階級の女性には僕のようなブランド力の高い男が相応しい。そうだ、交際を開始したら君のご両親のもとに挨拶しに行こう。僕のような快男児と付き合えてきっと喜ばれるに違いない。ハーッハッハッハッハ!」


 ギャグのように見えるが、本当にそう思っているところが彼の恐ろしいところである。

 いろははただでさえ寺岡に捕まって苛立っているのに、更に会話の通じない自意識過剰な男子生徒の相手をすることになり、フラストレーションが溜まり続ける。

 それともう一つ言われて腹立っているのが、真面目、優等生、上流階級という言葉。まるで真面目な人間はヤンキーと付き合ってはいけないみたいではないか。


「ごめん茂杉君の気持ちには応えられないわ。悪いんだけど、私急いでるから」


 最後はシンプルに気持ちを断ち切る。これ以上会話する必要はない。そう思って体育館裏を後にしようとすると、茂杉は彼女の背に質問を投げかけた。


「……これは噂なのだが、実は桧山と付き合っているという話を聞いたのだが……それは本当だろうか?」

「えっ?(歓喜)」

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