自剥視
2007-10-12
十代以前からか。そこまでは遡らない。二十歳。すでに繰り返していた。始まったのは十代のどこか。
水。海かどうかわからない。潮の香はない。揺れず、音も無く、光も無い。だが見える。頭を下に私が水中を墜落してゆく。底へ。ゆっくりでもなくはやくもなく。錘を結わえられた海草のようにゆうふらりすらり。水の底へ沈んでゆく。
落ちてゆく私を「あれは私だ」と知っているまなざし。まなざしのすぐ前を私が落ちてゆく。落ちてゆく私のなかに私はいない。私はまなざしとして落ちてゆく私を見送る。あれは私だ。生きてはいる。意志は無い。意思も無い。水を感じながら落ちてゆくだけ。底へ。暗闇へ。さようなら。
数秒で完結するこのフィルムを私は愛しているにちがいない。「好む」という言葉では追いつかない。私の内でこのイメージが繰り返し繰り返し繰り返されてきた。十代のどこかから。ずっと。百ではきかない、千でもきかない数で繰り返されてきた。おいで。来たね。落ちてゆけ。さようなら。またおいで。何度でも落ちるがいい。何度でも視よう。
なぜかわからない。なぜか、このフィルムが薄れ消えつつある。数ヶ月前から。
向こうから訪ねてこない。ついこの前まで、こちらが呼ばなくとも繰り返し訪ねてきたのに、何十年もの間、常に私の背に貼り付き隙あらば首筋から脳へと忍び入り額の裏でそれは映され、巻き戻され、また映され、私が飽きるまで居てくれたのに、今ときたら、おいでと呼んでもなかなか来ない。来てもひどく色褪せている。完結する前に切れてしまう。感じる。私から剥がれつつある。なぜだ。
私から剥がれないで。行かないで。
落ちてゆくあの私が現実に姿を現したとき何を起こすか、私はほとんど正確にわかっている、しかしそのような事態はまず起きないだろう、私はあまりにも自分の真の欲求に不実であるから。けれどもせめてあの落ちてゆく私をある男に託し書いてみたい。落ちてゆくに至る長い長い長い道のりを描き、落ちてゆくその瞬間のこころを私も感じ(初めて感じることができる!)、落ちきった先をその男とともに視たい(初めて視ることができる!)。
世界に感応する力がひどく乏しい、鈍な私を、深遠へと誘ってくれるただひとつのフィルム、失ってしまったら私はもう書けない。なにを書く意味もない。私から剥がれないで。消えないで。お願いだ。私は歳を取りすぎたのだろうか。それとも余計なことをし過ぎたのか。もう間に合わないのか。
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