クラスの女子が、「メシビッチ」だった件。
及川 輝新
第1話:飯野さんと白いごはん
クラスの女子が、サトウと寝ていた。
具体的に言えば、女子中学生が、保健室のベッドでごはんと熱い接吻を交わしていた。
少女は電子レンジで温めるタイプのパックごはんに顔を埋め、微動だにしない。はじめは新手の自殺かと思ったが、耳を澄ますとすぅすぅと静かな寝息を立てていた。
ここは、公立
改めて、ベッドで白米と同衾するクラスメートを凝視する。
名前は確か、
二年の進級で初めて同じクラスになった、大人しい印象の子だ。赤に近い茶色のショートカットが、呼吸に合わせて小さく揺れている。
僕の脳内は、とんでもないものを見てしまったという動揺と、他の人が来る前に起こすべきなのではという危機感がせめぎ合っていた。
意を決して、飯野さんの華奢な身体、その肩をゆする。
「うーん……ん……?」
飯野さんはパックごはんから顔を離し、とろんとした瞳で僕を捉えた。頬や額にはごはん粒が付着している。
「あ……」
炊飯のごとく、飯野さんの顔がカーッと赤くなった。
「お、おはよう……」
僕が挨拶すると、飯野さんはあわあわと口を動かす。本人もマズいところを見られてしまったという自覚はあるらしい。
「こ、これは、その……えっと……」
寝起きだからかパニクっているからか、舌足らずな声が空回りするばかりでさっぱり聞き取れない。小動物のような小刻みな動きに合わせて、セーラー服のスカートが揺れる。
「あー、無理に話さなくていいよ。誰にも言わないし」
そう言って僕は顔を背ける。
訊きたいことは山ほどあるが、飯野さんは人見知りなのだ。
クラス替えをして1か月、まだ教室に親しい人はいないらしく、給食はいつも一人で食べている。一人だけ机を壁に向けて、まるでコンクリートとおしゃべりをするかのように、黙々と昼休みを過ごしている。そんな子がごはんと同衾しているなんて誰かに知られたら、いじめに発展してしまうかもしれない。
ならば僕がすべきことは、すぐに傷の手当てをして保健室を立ち去ること、そしてこの記憶を抹消することだ。
僕は流れるように消毒液を膝に塗ってスクエア型の絆創膏を貼り、保健室の出入り口に向かう。
「ま、待って!」
ドアの窪みに手を掛けたところで、背後で飯野さんが声を張り上げた。
「……お昼、一緒に食べない?」
「へ?」
☆ ☆ ☆
今週、具留米中学は『お弁当週間』である。我が校は給食制なのだが、年に数回、お弁当週間というものがある。文字通り各自昼食を持参し、好きな場所で好きな人とランチタイムを過ごして、交流を広げようという取り組みだ。
ちなみに僕はコンビニでパンを買っていたので、中庭あたりでゆっくり食べようと思っていた。
それなのに今、僕はクラスの女子と保健室で昼食をともにしている。
もっとも、飯をぱくついているのは僕だけで、飯野さんはパックごはんをじいっと見つめたままだ。丸椅子に座って、膝の上で拳を作っている。
「あのね、私……」
僕はカレーパンにかぶりつきながら、飯野さんの方を向く。
「ごはんが好きなの。性的な意味で」
「ぶほっ!?」
壁に付着したカレーをティッシュで拭き取り、僕はペットボトルのお茶を一気飲みして心を落ち着かせる。
これは場を和ませようとした、彼女なりの冗談だろうか。
だがさっきの光景を目の当たりにしている以上、嘘ではなさそうだった。
何より、飯野さんの潤んだ瞳は、どこまでも真剣だったのだ。
僕は正面から飯野さんと向き合い、口を開く。
「つまり、さっきのベッドシーンは、そういう意味合いの?」
飯野さんが耳を赤くして、小さく頷く。
「誰もいない間だけって思ってたんだけど、彼のにおいがあまりに心地良かったから、ついウトウトしちゃって……」
「か、彼?」
「昔から、向き合ったごはんが人に見えるの。彼の服装はシンプルで髪型も無頓着なんだけど、自分を着飾らないところが一緒にいて安心できるっていうか……」
そう語る飯野さんは、幼馴染から恋人関係になった彼氏とのノロケを披露するかのように、うっとりしていた。
間違いない、この子は本物だ。
やがて飯野さんは、パックごはんの隅にそっと割りばしを侵入させる。
「いただかれます」
ほのかに湯気の立った純白のライスが、少女の小さな口に吸い込まれていった。
「ひうっ」
飯野さんが、悲鳴を上げる。
いや、これは喘ぎ声だ。
米粒を奥歯でゆっくり咀嚼し、こくんと飲み込む。
再び割りばしで一口。
「んっ」
今度は前歯と唇でそっと押しつぶす。ちろりと露出した舌が艶めかしい。
「んあっ」
粘度を持ったごはんが涎と合わさり、唇の上下で糸を作っていた。
マズい。
これじゃあ、まるで。
「!?」
突如、飯野さんの背後にうっすらと人影が現れる。
彼の姿かたちに特徴と呼べるものは一切なく、目を離した十秒後には忘れてしまいそうな顔立ちだった。
それなのに、どこかほっとする。まるで物心がついた頃から一緒にいる友との時間を過ごしているかのような。
飯野さんがごはんを含むたびに、彼との口づけを連想させられる。紅潮した飯野さんの首筋にはうっすらと汗がにじみ、時折下半身がぴくんと跳ねる。
これは、ヤバい。
抑えろ、鎮まれ、別のことを考えろ。これじゃあ食事どころじゃない。
昼食を終えて予鈴が鳴るまで、僕は前かがみでやり過ごすことになった。
☆ ☆ ☆
「ねぇ、良かったら明日も一緒に食べない?」
飯野さんからの提案に、僕はすぐに返事をすることができなかった。
「私ね、ずっと一人でごはんを食べてたの。秘密がバレるのが怖かったから」
教室での光景を思い浮かべる。この子は単なる人見知りではなかったのだ。
「でも今日、キミと一緒に過ごしてわかったんだ。誰かに見られながらごはんを食べるのって、すごく気持ちいいことなんだって」
飯野さんが、上目遣いに僕を見る。
この子に深く関わってはいけない。大切な何かが捻じ曲がってしまうと、本能が訴えている。
それでも抗えないのは、僕が思春期真っ盛りの中学二年生だからだろうか。
僕は静かに首を縦に振っていた。
「……これから、楽しみだね」
人差し指を自分の唇に押し当てる飯野さんが一瞬、魔性の女に見えた。
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