第25章 闇の外へ
アレイス邸 本邸 『未利』
どこかで断続的に音が発生している。
目が覚めて、未利が最初に思った事はそれだった。
気が付くと、椅子に座っていた。
部屋の中は暗くて、嵌め殺しの窓にはカーテンがかかっている。
「へぇ?」
思わず間抜けな声を出してしまったが、一体どういう事なんだろうと思う。
自分はこんな所に座った記憶はないはずなのだが。
……まさかまたベッドの上から抜け出して、知らない内に歩いて来たとか。何それこわっ。
気のせいか、部屋の空気が埃っぽいと言うか若干淀んでいるような気がした。ちょっと物置っぽい空間の内部みたいな感じがする。そんなはずはないのに。
何かが断ち切られる音がして体が動くようになる。
足元に何か重そうな物が落ちたがそれを気にするよりも前に、声を掛けられた。
「気が付いたかい?」
「うわっ」
フォルトの声が至近距離でして驚く。
こちらの心臓を縮ませる狙いでもあったのか。
フォルトはなぜか弓を持っていて、その背中には筒に入った矢。
……いるならいるとさっさと言え、ぼけばか。
周囲の床に視線を向けると、そこには白装束達が倒れていて度肝を抜く。
矢が刺さっていた。当然刺さっているという事は、出血もあるというわけで人間なのだから血だまりでグロッキーだ。
「え、ちょ、なにこれ」
「危ない所だった、もう少し遅かったら、隠されてしまう所だった」
いったい何事か。
立ち上がろうとしながらそれがどういう事か尋ねようとするのだが相手は答えない。足元がふらつく。
「うわ、とと……」
「無理に動かない方が良い。君は砂粒によって動きを封じられていたのだから」
「え、アイツいたの、いつまで? ……って、っ、うわぁっ!」
荷物でも運ばれるように肩に担がれて視線が一気に高くなって、背中が視界に入る。悲鳴をもらしかけてのみ込む。後ろ向きに担がれたようだ。
悲鳴とか上げたらキャラがおかしくなる所だった。危ない。……とかそんな馬鹿な事考えてる場合じゃないだろう。フォルトに行動の意図について聞きたい。
「ねえ、ちょっと。どこに連れて行くのさ」
部屋を出る。廊下の窓からは色の薄い朝の空が見えた。
日も昇ったばかりの頃、建物の外から戦闘音が聞こえてくる。何か起きているはずだった。
そのまま未利は担がれたまま移動させられていく。
自分で歩ける。アタシは荷物じゃない。降ろせ。そう抗議するのだが相手はまるで聞く耳を持たない。
「断る。それとも前が良かったのならご要望に応えることもやぶさかではないが、それはいつか現れる君の王子様の為に取っておきなさい。もちろん許さないが」
「なっ、ばっ、んなっ……」
「もう少し女の子らしくしたらどうだい? それでは貰い手がつかない」
「よ、余計なお世話だぁっ!」
何言ってんのこいつ。余計な事ばっか言って。ホント何言ってんの。ねぇ、何言ってんの。死にたいの。
こいつ前々から思ってたけど、かっこつけだ。
ばしばし。
突っ込みとか、抗議とか怒りとかを込めて背中を叩くのだが、応えた様子はない。
やせっぽちのくせに意外と頑丈だ。
「それより朗報だ。君の仲間が迎えに来たようだ。少し時間はかかると思うが、手は打ってある。こちらまで来てくれるだろう。だから君を解放する」
「え、姫ちゃん達が? 近くに来てるの? ……来てくれたんだ」
いや、信じてたけど。来ないなんて思ってなかったし。不安になんて思ってなかったし。
大体こっちが心配になるくらいのお人よしの姫乃が来ないわけないし。
ねぇ?
って、だからさっきから誰に言い訳したり話したりしてんの、アタシは。
「解放って、アンタやっぱり良い奴だったの?」
「まさか」
「そこで否定すんな」
わけ分かんなくなるだろうが。
だったらなんでこっちを助けようとするんだ、と思う。
肩に担がれたままの未利は、一週間過ごした部屋の扉が遠ざかっていくのを見つめる。
もう戻ってくる事はないと思いたい。
戻りたいとは思わないし、思えないのだが。
だが、それとは別にその部屋の存在のことは覚えておかねばならないと思った。
たぶん終わった後でも散々と色々と考えるだろうから。
フォルトの事も、自分の事も。
その時、複数の人の気配が近づいてくるのが分かった。白装束かと思うのだが、フォルトに静かにしているように言われる。
どうするのかと思えば、なんて事ない。
担がれて背中を向けているので見えはしなかったが、進行方向からやって来たそいつらは「侵入者が別邸に」とか「その娘は」とか言ったのを最後にその場に倒れ伏したようだった。
「魔法だよ。できれば君には秘密にしておきたかったが、そう甘くないか」
「そんな魔法も使えたんだ」
どういう系統の物か分からないけど、こういう状況ではすごく便利そうだ。
相手の反撃を許さず無力化してしまうのだから、脱出にはかなり有利になる。
だが、何故秘密にしておきたかったのか。
首を傾げていると、誤魔化す為かそうでないのか先程の話の続きが返って来た。
「私は良い人間ではないよ。見せかけに騙されてはいけない。私は、孤独を紛らわすために一人の人間から自由を奪った紛れもない犯罪者だ。見せかけの正しさに惑わされてはいけない。良い行いをしたからと言って良い人間とは限らない」
「でもさ、……アンタは迷ってたんじゃないの?」
この人間の……フォルトの本心がどこにあるかなど分からない。
何考えているのか分からないままだが、その瞬間は、もしかしたらそうだったのではないかと思った。
それならば行動がちぐはぐだったのも納得できるからだ。
悪い奴じゃないのだとしたら……そう考えたらそれくらいの可能性にしかたどり着けなかった。
「だから、色々お節介焼いてくれたんじゃないの? ま、まあ……うっとおしかったけど。アンタがいなかったらアタシはきっと大変だっただろうと思うし……」
けれど、こちらのその言葉にはフォルトは応えない。
続けるのは先程の内容で、声は固くなっていた。
「いいかい? 聞くんだ。悪者を理解しようとしてはいけない。罪を犯した者は紛れもなく犯罪者だ。その事実を忘れてはいけないよ」
「そんなの好きじゃない、誰だって好き好んで悪い事やるわけじゃないでしょ」
それぞれ、事情があってそういう行いに手を染めているのだと、そう思っているから賛同などできなかった。
事情があって、環境があって、そうせざるをえなくなる。
それが悪い事に繋がっていくのだと。
未利としてはそう思っているからだ。
だが、フォルトはそんな答えが気に入らなかったらしい。
深々とため息交じりに言葉を続ける。
「ああ、駄目だ。それでは駄目なんだよ。君は君の身を守る為にも、悪を憎まなければならない」
「悪を憎む心ぐらいあるし」
「いや、ない」
「否定すんな」
出会って一週間ばかりの相手の事なんで分かるわけないと言うのに。何故断言できるのだろう。
「分からなくてもいい、だが聞き分けてくれ。全てを受け入れるのは、許すのは無理だ。どこかで線引きしないといけない。そうすれば矛盾があっても君は助かる」
何の話をしているのかさっぱり分からない。
でもその表情は本気だ。
本気でこちらを心配しているように見える。
それは子供の間違えを窘める親の様にも見えた。
「君は悪があっても、憎んでいるフリをしているだけだ」
「そんな事……っ」
「なら、私はどうだい。許してはいけない人間がここにいるが」
「だからそれは……っ」
アンタは別に救いようのないような悪い人間じゃない。だから憎むなんてできるわけがない。
反射的に反論する言葉は途中で掻き消えた。
何故なら、白装束達が目の前に現れたからだ。前からと後ろから。
前から来た人間達は、フォルトが魔法を使ったから無力化して倒す事が出来たが、後ろからの人間達にはできなかったようだ。
「魔力が尽きかけているようだ」
「どうすんの……?」
もし何も打つ手がないのだというのなら、風の魔法を使って未利が自分で戦わなければならない事になるが。
「貴様、我々を裏切るのか」
「その娘も必要だと聞いただろう」
何やらものすごく気にしなければならない事が聞こえて、どういう事か聞き返したかったのだが、それよりも前にフォルトが行動に出た。
未利を降ろし、片手に持っていた弓を構え矢をつがえる。
「先に行きたまえ」
「この状況でアンタ一人残してアタシに逃げろって言うわけ」
「足手まといだと言っている」
「……っ」
「腕なら私の方が上だからね」
弓を引いて瞬く間に敵を倒すその姿を見る。それは本当に見事で、急所に吸い込まれるように放たれた一撃だった。
未利では確かにこうはいかない。
だが、それで良いのだろうか。
「ここに留まっていても、囲まれるだけだ。もう歩けるだろう? もう一人の子も心配はいらない、そのまま真っ直ぐ行けばいい」
「コヨミが……?」
フォルトの腕は、よく知っている。
弓を習っている時に、何度も見せつけられたからだ。
判断しなければならない。
残していっても大丈夫か、どうか。
「アンタにはまだ聞きたい事が山ほどあるんだから」
決断したのはその場を離れる方だった。
助けを呼ぶために仲間と合流した方が良いだろう。
フォルトが動いているのなら、コヨミの方はルーンが何とかしているのかもしれない。
後ろ髪を引かれつつも、その場を後にする事にした。
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