第4章 海の男 07


 

 姫乃は今までささやかに通してきた我がままを止めた。

 嘘を言うつもりはなかった。

 これまでだって真剣に、魔法が発動してほしいと願って練習してきたけどうまく行かなかった。

 それはどうしてか。

 痛みに向き合う気持ちが足りなかったからだろう。

 クロフトの破壊された町を見て、クリウロネの寂しい町と別れて、自分に守れるものがあるなら、痛みと引き換えにしてでも守りたいと思うようになったからだ。姫乃はそう思う。


 ……お願い。

 記憶の中の光景を思いだして、イメージする。

 強く燃え盛る、赤い炎。

 全てを炭に変えてしまう、悪夢の光景。


「……っ!」


 雨が降りしきる中だというのに、額に汗が浮かぶ。

 イメージを強く強く思い描く。

 痛みを伴う記憶を何度も脳裏に再生しながら。


 そして―――、


 魔力が弾けた。


 体の中から、枷を失くしたように魔力が一気に流れ出していく。


「――――っ!」


 轟、という音がする。

 目を開けて、その景色を見つめる。

 気付けば甲板は火の海だった。

 すさまじい熱気が風となって肌をなぶる。


「え……、そんな」


 予想外の結果に、血の気が引いていく。

 最悪の事態を想像したが。


「あ……」


 炎の中で動く皆の姿を見て安堵の息を漏らす。


「良かった……」





 撒き散らされた原因不明の炎を見て、イフィールは驚いていた。


「熱くない…これは一体、誰が……?」


 味方には一切被害がない。

 だが、目の前の怪物には聞いている炎の魔法。


 未知の魔法。見た事も聞いたこともない力だ。

 最近も似たようなことを考えたな、と思う。

 するとあの子達か。

 つくづく彼女らは、常識にない事をやってくれる。

 魔法を極めた大魔導士でも、このようなマネはできないだろうに……。


 彼女がやったのか。

 扉の向こうでこちらを窺っている姫乃へと視線をやる。

 保護対象に助けられるとは、まだまだ精進が足りないようだ。


「おい、女」


 魔獣へと攻撃を放ち、畳み掛けるよう仲間達に指示を出していると。

 つれていかれたはずのウーガナに声をかけられた。

 連れてきた調査隊の仲間へ視線を向け、説明を求めようとすると遮られる。


「……聞こえてんのか、てめぇ」


 仕方なしに、イフィールは口をきく。


「女なんて名前の人物はこの場にはいない」

「けっ、女呼ばわりで通してぇところだけどなイフィール」

「何だ、汚い口で私の名前を呼ぶな」

「お前、言ってること違ぇじゃねぇかよ!」

「さっさと話を進めろ、暇じゃないんだ」

「この……」


 心底面倒くさそうに応対するイフィール。

 視線は魔獣から離さずに。

 額にこれ以上ないほど分かりやすく血管を浮き上がらせるウーガナだったが、我慢したのか次へと話を進める。


「縄を解け、俺様が船を操縦してやる」

「犯罪者の手など借りない」

「てめぇら船動かしたことあんのかよ。化物ばけもんと心中なんてこっちだっって願い下げなんだよ。俺の腕なら逃げきれる。伊達に船乗ってきたわけじゃねぇんだよ」

「仕方ないな」

「だから……て、あぁ?」


 てっきりまた反論されるだろうと思っていたらしいウーガナは口を開けたまま停止する。


 そんな海賊には構うことなく、イフィールは横にいる仲間へと新たな命令を下す。


「ルクト、こいつを操舵室へ連れていけ。妙なマネをしでかしたら斬っても構わんぞ」

「は、はい!」

「おい、どういう心がわ……いてっ、引っ張んじゃねぇ」


 硬直がとけ、何ごとかを喚き続けるウーガナが連れていかれるが、イフィールの意識はすでに魔獣へと向いていた。


「あの、よろしかったのですか?」


 近くにいたエアロに尋ねられる。イフィールは頭上を見上げて返す。

 雲からは先ほどよりも激しく雨が降り、甲板を叩いている。

 足元に意識を割けば、波が高くなった影響で船が先ほどより激しく揺れているのが感じられた。


「人間は最低だが、腕だけは確かなようだからな」


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