第8章 三つ首の魔獣



 霧で立ち往生する中、姫乃達は話をしたりして時間を潰していたのだが、ざわめきがして空気が変わった。事態がほんの少し動いたようだ。


 話題の中心にはレトがいるようだ。


『人がいた? それなら、ちょっくら俺が見てきてやるよ』


 傍で住民の誰かと話していたレトは、そう言うなりさっと霧の中へ駆けだしていってしまう。

 それを見て、レトと話していた人に尋ねる。


「どうしたんですか?」

「ああ、実は……」


 話はこうだ。少し前、霧の中にうっすらと人影のようなものを見た。避難民達の間からそんな話が上がったらしい。

 こんなところに人がいるなんてありえないし、例の噂の人物とも考えられるが、だからといって放っておくのもなんだか心苦しい。

 結果、比較的足の速く、何かあってもそれなりに対処が可能なレトが確認しにくという事になったようだ。それに他の人と違って魔獣で犬型であるレトなら、霧の中でもある程度は鼻が利くので迷いにくいというのもあるのだろう。


 視線の先、駆けていったレトが、こちらからギリギリ見えるか見えないかの距離で止まっる。それから、数秒。


 誰かに問いかけを発するような声。

 だが、姫乃からは誰も見えない。


『そこで何してるんだ』


 どうやら話題の主が、木々や何かと見間違えたとかではなかったようだ。

 こちらからは霧で見えないがレトには人の姿が見えている様だ。


 霧の向こうから、男性の声が聞こえてきた。


「旅の者なのですが、怪我人がいるようなので手当をお願いします」


 中世的な声で、動揺している様子はなくいたって冷静そうだ。


「どうぞ、こちらへ。ああ、それと……」


 その人はそれからも何事かをレトに話している。

 全部聞き終えたらしいレトは、姫乃達の方を振り返った。


『何か怪我人がいるって話だから、言ってくるわ』


 そして、そう言い残して男について霧の向こうへと行ってしまう。

 姿が見えなくなると、少しばかり不安になってきた。

 行かせてよかったかな、一人で。


 不安でいると、未利が訝し気な声で述べる。


「こんな所に怪我人?」


 この状況に疑問を抱いているようだった。


 確かにこんな深い霧の中で他の人がいるのは、怪しく思えてくる。

 けれど、何か事情があるのかもしれないし。


 だが、レトの身を心配していた姫乃の意識は、周囲を警戒するそぶりを見せる啓区に引き戻された。


「あ、まずいかもー。こういう時にかぎってー、招かざる来客が来たりするんだよねー」


 彼がそう言葉を発した直後、何かが来る気配を感じた。

 霧で見えなくても分かる。

 大きな何かが、足音を立てて近づいてくるのが。


 白く染まった視界の中で目を凝らしてみると、人間よりも一回り大きい影が、霧の向こうからやって来るのが分かった。


 その姿を見た避難民の人達がざわめく。


 その感情は、信じられないというものばかりだ。


「首が三つ……」「三つ首の魔獣……」「じゃあ、さっきのは霧の旅人か!?」


 動物は四足の獣で、首が根元から別れて三つの頭が生えている。

 光沢のある黒の毛並が逆立って、紫の瞳は瞳孔が開いた状態。

 獣は興奮しているようで息荒くこちらを見つめている。すぐにでも飛びかかって来そうだ。


 未利は霧の旅人ゆうれいの罠だと考えたようだ。


「騙されたって事!? 幽霊の癖に知恵使って人様を騙すなんて。ってか本当に幽霊なワケ? マジ?」


 姫乃としてはまだその可能性は信じられない所だが。

 一転してなあの方は、平常運転だ。特に脅威を感じているわけではなさそうなのが彼女らしい。


「ぴゃう、頭が三つさんなの、なあ三回挨拶しなきゃいけないかなって思うの」


 放っておいたらそのまま近づいていってしまいそうな所をおさえるのは、こちらもいつも通りの啓区だ。


「うん、なあちゃんは下がっててねー。とにかく何とかしないとー。たぶんこのままだと食べられちゃうよー」


 とても焦っている様には見えない。


 姫乃は目の前の状況にどう対処すべきか悩んだ。


「どうしよう」


 こういう時、いつも方針を決めてくれるセルスティーさんはいない。

 自分たちで決めなければならない。


 そこに、きっかけをくれるのは未利。


「姫乃とにかく、武器。あと、陣形《ポジション⦆!」

「うん!」


 なあに武器を出してもらい、啓区、そして未利を前に、姫乃なあが後ろに位置取りする。


 ちょっとだけ気が楽になった。


「なあ挨拶したいけど我慢するの。姫ちゃま、戦っちゃうの?」


 横に並んだなあが不安そうな声でそう聞いてくる。

 彼女がそんな事を言うのは本当に珍しい。


「うん……」


 できれば危ない事はしたくない。

 戦わずに済むのが一番いい。

 でも、相手はこちらから視線をそらそうとしない。

 ずっと目が合っているので、戦闘開始は不可避だろう。


 あとは……。


「あ……、皆さんは離れててください」


 危ない。忘れるところだった。

 クリウロネの町の人達に呼び掛ける。

 今は、自分達の他にも人がいる。

 彼らの身に危害が加わらないようにしないといけなかった。


「お嬢ちゃん達。だ、大丈夫なのかい? 本当に」

「大丈夫、です」


 心配そうな顔をしつつも、避難民たちは呼びかけに応じてくれたようだ。

 それは良いが、人が一斉に動いた事が刺激になったのだろうか。

 三つ首の魔獣が地を蹴ってこちらへと駆ける。


「来るよ、姫乃!」

「うん、アクアリウム!」

「いっちゃえー、ビリビリサンダー」


 うねりのある水球に閉じ込め、啓区の雷の魔法が命中する。

 三つ首の魔獣は苦しそうにもがく。攻撃は効いてるようだ

 だが、足止めも長く続かない。


 水球からもがき出た魔獣へと、未利が風で作った矢、風矢(かぜや)を乱れ撃つ。


「っ、そう来るか! ウィンドー・レイン」


 魔獣はそれ等を巧みに避けて接近。

 距離が大分近くなってきた。

 啓区が出ていく、短剣とナイフをそれぞれ手にして。


「まずいねー。行ってきまーす」


 避難民の人達から譲り受け新調したものだ。といってもナイフなんて、一般家庭から拝借した本当に普通のものだが。


「よっ」


 自分の身長より倍以上もある魔獣を前にしても余裕を失わず、啓区は身をひねる。突進をかわし、後ろ脚に足払い。

 体勢を崩した魔獣の足をナイフできりつけ、短剣を突き刺す。

 さらに啓区はその武器を足場にして、魔獣の背に駆け上った。


 曲芸じみた動きに、未利の声が漏れる。


「うっわ、人間?」


 人間だとは思うが、その気持ちは姫乃にも少しわかる。

 啓区は、そのまま背中を移動して、首にナイフを閃かせようとした。


「体が大きくても、急所は同じだよねー。……あ」


 その時。

 魔獣が咆哮を上げた。


 大きく開かれた咢が、赤く煌めく。


 危険な気配しかしない。

 

「真っ赤なの!」


 なあの言葉通り、赤い、火の玉が、魔獣の口腔内に生まれた。

 あれは、魔法を使おうとしているのだ。


 同じ事を思った未利が焦った声をもらす。


「魔法!? やばくない!」


 魔獣が魔法を使えるという事を忘れていた。

 姫乃の視線の先で魔獣は、背を思いっきりのけぞらせている。


「火が」


 炎の魔法で、こちらが焼き払う気だ。

 火の玉が大きくなる。魔獣の前足が地から浮かび上がる。

 赤い色が脳裏にちらつく。


 その色に視線がすいよせられて、見ていたくないのに目がそらせなくなる。

 知らず、見動きをとめていた。


「姫乃。避けないと!」

「姫ちゃま、大変なの!」


 その場を動こうとしないこちらに焦る二人の声が飛んでくる。

 でも、駄目なのだ。逃げようとしたけど、動けない。体が動かせない。


 あれは、あの火は。

 あの時の火事と同じ赤い色で。

 記憶の中の景色が呼び起こされる。


 頭の中に再生さえるのは燃え盛る炎。当たりに充満する煙。息苦しい感覚。肌を焼くような熱気……。


「っ……!」


 恐怖に足がすくんでしまう。

 とうとう、魔獣の足がつき、たわんでいた背が戻り、咆哮が発せられる。


「ぃ……」


 嫌だ。

 止めて。

 恐い。

 その瞬間、考えたのは三つの事だけだ。


「―――何でここでっ……!」


 誰かの声が聞こえたような気がした。

 それは聞きなれた仲間の誰かの声。


 だけど、姫乃が聞きとったのは他の誰か、彼の声だった。


 姫乃に声をかけて来たのは、魔大陸で出会った少年。


「大丈夫か」

「え……ツバキさん?」


 目の前で、炎の攻撃を防いだのはツバキだった。







 姫乃を助けに割って入ったツバキは、そのまま魔獣へ走りゆく。

 そして、


「―――グラビティ」


 有無をいわず、さっそく重力の魔法を放とうとした。


「ツバキちゃまがなの!」

「あっ」

「ちょおっ!」


 その状況のまずさに、思わず姫乃達は声をもらす。それはまずい。

 この前といい、今といいツバキさん何やってるの!?


「まずいかもー」


 攻撃範囲内魔獣の背中には未だ啓区がいるのに。

 でも、さすがといったところか。

 仲間(?)の攻撃に巻き込まれてはまずいと思ったらしく、彼は慌ててそこから飛びのいた。


 間一髪だった。

 魔法が着弾して、魔獣が衝撃に身をよじる。

 あのまま取りついていたらと思うと、肝が冷える思いだが。


 未利が文句を言いかけるもツバキは聞いていないようで、魔獣に接近し、重力魔法で連続攻撃。


「ちょっとアンタ―――」

「ふぁ。痛そうって、なあ思うの」


 なあちゃんが魔獣を見つめながら悲しそうに呟く。

 反撃する暇もなく浴びせられる魔法に、魔獣は成す術がない。


「うっわ、何か」

「ちょっと可哀相になってきたかも」


 未利と顔を見合わせて思わずそんな事を呟いてしまうくらいには、苛烈な攻撃だった。

 さっきまであの魔獣のせいで命の危険に曝されていたわけだけど、それにしてももう少しやり様があるんじゃないだろうか。

 容赦のない攻撃に青ざめつつも、一応は何かあったら助けに入ろうと身構えてた姫乃だったが、その機会は訪れることはなく戦闘は終了した。


 倒れて動かなくなった魔獣へと近づいていく。

 魔大陸でも見てたけど、ツバキは本当に強い。

 自分たちが苦戦するような相手に、こんな風に余裕をもって勝利する様を見てると、本当にそう思う。


 だが、未利は不満げだ。


「余裕ぶっちゃって」


 借りを作りたくない相手に作ってしまったとでも言わんばかりだが、実際その通りなんだろう。

 ちょっと前までは敵だったうえに、仲間が危険区域に拉致された事もあるわけだし。

 一番の被害者である姫乃も、思う所がないわけではないのだが……。


「とりあえずお礼言わないと」


 あのまま魔獣と戦ってたら、たぶん自分たちは負けていた。

 湧水の塔に続いて、二度も助けられたわけなのだ。

 ちゃんと言うべきことは言わなければならない。


「あの、助けてくれてありがとう」


 魔獣の様子をうかがっていたツバキに近づき礼を言う。


 彼の反応はと言うと……。


「当然だ」


 こんな一言だった。

 できればどこがどう当然なのか、詳しく教えて欲しい所だ。

 言葉少なな所は変わらずのようだ。


 未利がそんな彼に突っかかっていく。


「ていうか、アンタどこ行ってたワケ。瞬間移動っぽい事したらしいじゃん」


 意識がなかった自分達は見てないが、レトの話では、姫乃達を連れてきてすぐ その場で消えたらしいけど。

 姫乃が推測を口にすれば頷きが返ってくる。


「ひょっとして転移した、とか?」

「湧水の塔へ戻った」


 事実だったようだ。

 まあ、そうだったらいいなという願望もあったが。

 未利は驚きを隠せないようだ。


「否定しないってことはマジか」


 当然だろう、彼が軽く行ったその魔法をするための大掛かりな装置を、姫乃達はこの目で見てきたのだから。


 そこに魔獣の近くから戻って来た啓区が尋ねる。


「でも、自分だけでしかできないっぽいー?」


 ツバキは頷き一つだ。

 そうだったらしい。

 もし、他の人も移動できたなら、姫乃達も一緒に転移出来たら湧水の塔の装置は使わずにすんだだろうし、セルスティーさんだって……。


 ぶつけようのない悲しみと怒りが心の中でもやもやする。

 そんな感情に惑わされているのは自分だけなのか、なあは首をかしげるのみで、未利はさばさばした態度だった。


「そこまで便利じゃないか。いや十分便利すぎるような気がするケド」


 それより聞いておかねばならない事がある。


「セルスティーさんは今どうしてるの……?」


 自分達の保護者兼、頼れる仲間でもある調合士の安否だ。

 ずっと気になっていたのだ。


 心して返事を待つのだが、ツバキからもたらされた言葉は一言だけだった。


「いなかった」


 それは予想外だ。


「いないってどういう事?」

「俺が戻ったときには、内部の人間は全て何者かに倒された後だった」


 それが全ての情報らしい。

 その不可解さに姫乃達は首をひねるしかない。


「セルスティーさんが自力で何とかしたのかな?」


 そうだったらいいなとは思うけど。


「いやー、それはちょっと無理があるよー。だって苦戦してたの僕達見てたしー」


 そうだよね。


「うーんと、うーんと。なあ思うの、セルスティーさんは大丈夫じゃないって事なの?」


 なあに言われて、そうは考えたくないなと反射的に思う。

 予想したどんな結果とも違って、腑に落ちない事だらけだけど、希望がないわけじゃない事は確かだし。姫乃はそう信じたい。

 分からないけれど。分からないなら、きっとそれは希望が残されてるってことだろうし。


「無事でいてくれればいいけど」

「だいじょーぶだよー。なんて言ったってー、セルスティーさん金冠きんかんの調合士なんだからー」

「まあ、そんじょそこらの人間に後れを取る人間じゃないってことは、ウチ等自身がよく分かってるしね」


 姫乃が不安そうにしてるのを見てか、啓区と未利にそんな風に励まされる。


「てか、アンタがあんたが探してこればいいじゃん」


 戻ってきたのは助かったけどさ、とか未利が聞こえないように呟く。

 そうだ、ツバキにまた探しに行ってもらえばいい。そう思うのだが。


「俺は姫乃を守る」


 当人は、そんな事を言っている。


「えっと、それは助かるけど、でもセルスティーさんの事が心配だから」


 私の方よりもそっちを探しに言って欲しいのに。


「こちらの方が優先度が高い」


 彼は、遠くの地にいる調合士の事など頭にないようだ。


 優先度?

 さも当然のことを言ったまで、という態度でそんな言葉を放ったのが気にかかる。


「どういう事?」


 助けてくれるのは嬉しいけど、訳も分からずにそんな事をされるのは納得がいかないし、色々と安心できない。

 詳しく話を聞かなきゃいけないと思ったのだが、口を開いた矢先の、なあの声が上がった。


 今まで会話にあまり参加してこなかった彼女は別の事に気を取られていたらしい。


「ぴゃ、大変なの。小さくなっちゃったの!」


 見れば、なあちゃんは倒れた魔獣に近づいてなでなでしていたようで、黒い毛並みに手を当てていた。

 なあちゃんはその魔獣を見て驚いている。


「いつのまに、ちょっと目を離すとすぐこれだ」


 未利が呆れた様に言うが、それどころではなかった。


「小さくなってる……」


 そうなのだ。

 成人を超すサイズだった魔獣が、今は子犬サイズになっているのだ。


「って、ナニこれ。縮んでるじゃん」

「驚きのビフォーとアフターだねー」


 未利と啓区の声を聴きながら、なあちゃんになでなでされている子犬を見て、先ほど思っと同じ事を思う。


 本当に、どういう事なのだろうか?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る