第30章 「   」



 エルケ 東門付近


 調合に使う材料を採取し、告白も無事(?)に済んだ後、姫乃達はエルケに帰った。

 けれど、町の中の様子は数時間前に出て行った時とは、まるで雰囲気が違っていた。


 東門の辺りにいる町を出入りする商人や旅人、生活に必要な物や娯楽品などを売ったりしている商店通りの店の人、それぞれの目的があって町を行き交う住民達……それらの人達の姿がいつもより少なくて、見かけたとしても不安気だったり悲しげだったり、憤りをあらわにしていたり、逆に呆然としていたりする。


 何というか、町全体に良くない空気が満ちているというか、良くないものを全部入れてかき混ぜたのが今見ているこの町……という感じだった。


「何があったのかしら……」


 何かあったのかとは、姫乃も言わない。

 何かがあったとしか思えないからだ。

 姫乃の知ってるエルケの町は、こんな姿では無かった。


「知り合いの門番の一と二だったら何か知ってたかも知れないけど……」


 一と二が誰の事を指しているのか分からなかったが、門番と言うからには通ってきた門を見張る人達の事だろう。


「穴から入ってきちゃったからね……」


 手続きとかが面倒だという理由でそこを通ることはなく、エルケを囲う壁にあいた抜け道を使ったのでしょうがない事だった。(この世界でも住民票みたいなものがあって、町を出入りするためには住民である事の証明書が必要になるらしい。だが、姫乃達は例によって転移してしまったので、持っていないのだ)


「とうとう終止刻エンドラインが、始まってしまった。この世界はこれからどうなるんだ」

「クリウロネにいる知り合い大丈夫かしら……」

「この町は大丈夫なんだろうなっ! ついこの前もエルバーンに襲われたばかりじゃないか」


 町にいる数少ない人々が話しているのは、大体そんな感じの話ばかりだった。

 終止刻エンドラインというものが始まって、町がこんな雰囲気になってしまうくらいそれは大変な事で、これから良くない事が起こるらしい。


 そういえば前にルミナも終止刻エンドラインが、どうとかって言っていた気がする。

 私がこの町にやって来たタイミングと関係があるかも、と。

 その事を尋ねようとするが、視界に家の前でしゃがみこんでいる女の人を見つけてしまった。


 姫乃もルミナリアも知っている人だ。


「アミーナさん?」

「アミーナおばさん、どうしたんですか」


 女の人は手で顔を覆って俯いている。

 ルミナリアは駆け寄って声をかけ、アミーナさんが顔をあげるのを待った。


「ああ、ルミナリアちゃん……」


 顔は蒼白で、今にも泣き出しそうに歪んでいる。

 何か考え事があって、今もそのことが頭をしめている。心ここにあらずといった様子だった。


「分かってたの、分かってたけれど……。本当に起こるなんて……。これからあんな恐ろしい事が……、おじいさんの日記に書いてあった事が起こるなんて……。私はどうやって家族を、子供達を守ればいいの」

「おばさん、しっかりして。お母さんがそんなんじゃ、家族が心配しちゃうわ」


 悲壮な様子でうわ言を繰り返すように言葉を続けるアミーナさんの手をとりながら、ルミナリアが励ますように言った。


「しっかりしなくちゃ、アミーナさんはお母さんなんだから」

「そう……、そうよね」

「その意気ですよ。不安なんかに負けちゃ駄目。じっとしてるから悪い事考えちゃうんです」


 彼女のおかげかアミーナさんは、少しだけ顔を上げる。言葉にも抑揚が戻ってきている。


 ルミナリアと一緒ににエルケの町を歩いている時にたまにプニムサンドをくれる人がいるのだが、その人がこのアミーナおばさんだ。計測器の設置作業をしているときなんかも、サンドイッチをくれたり、休憩中の小話として話し相手をしてくれたりしてよくお世話になっていた。


 その自分のよく知った人が、いつまでも暗い表情でいるのは嫌だな、と思う。

 私もルミナみたいに、そうやって人を励ませたらいいんだけど。


 こういうときにうまく人にかける言葉が分からないのはもどかしい。


「……浄化能力者が見つかってないって話聞いたか? おいおい冗談だろ。じゃあ、このまま終止刻エンドラインは終わらねぇのかよ」

「まさか! そんな事あってたまるかよ。そうだったら俺達どうすればいいんだ…。いっそ逃げるとか」

「逃げるってどこにだよ、安全な場所なんかあるもんか」


 アミーナさんみたいな人は、町の至る所にいる。


 今も、若い男性二人が仕事用の道具が入っているであろう木箱を片手に、作業服の姿のまま不穏な雰囲気を纏わりつかせて住宅街の方へと通りすぎて行った。

 その姿を目で追いかけていると、視界の中に見慣れた顔が映る。


 ……あれは!


 黒で統一された服装をした黒髪の男の子。

 その姿は、同じクラスの生徒である勇気啓区(ゆうきけいく)の姿だった。


 姫乃は急いで、その人物の元へと向かう。

 間違いない。

 近づいていくと、見間違いなどではなく正真正銘の勇気啓区なのだとはっきりと確信できた。


「勇気君!」


 呼びかけるが、相手は気づいてないようだ。

 こんなに人が少なくて、通りは静まり返っているのに。

 考え事でもしているのだろうか。

 そうこうしているうちに、勇気啓区は角を曲がって、姿が見えなくなってしまった。


「待って!!」


 一瞬後ろを振り返る、ルミナリアはまだアミーナおばさんと話をしている。

 声が聞こえたから、彼女はどうしたの? という顔で姫乃の方を見る。


「ごめんルミナ、すぐ戻るから」


 アミーナさんを一人にしておくわけにはいかないだろう。

 姫乃はそう思い、ルミナリアを置いて一人で後を追いかける事にした。


 けれど……。

 

 どうして追いつけないの?


 向こうは走っているわけじゃないからすぐに追いつけると思ったのに、二人の距離は全然縮まらなかった。


 角を曲がるたびに姿を見失うのだ。

 追いかけて姫乃もその角の向こうへ飛び込むように走るのだが、魔法にでもかかったかのように姿が目に入らないのだ。

 目隠しをされてどこか知らない場所を歩かされているような、そんな強烈な不安が心の中に沸きあがってくる。


 そうやって追いかけ続けると、何度目かの角を曲がり終えた時、多くの人の背中が目に入った。

 ずっと勇気啓区の後ろ姿だけ見つめていたせいだろう、目の前にいきなり人の波が現れたような気がして姫乃は驚く。


 やってきたのは広場だ。

 そこにはたくさんの人々が集まっている。


 町の中の人の少なさは、ここに集まっていたからもあるのか。町のほとんどの人間がいるのではないかと思えるほどの密集度だ。


 そういえば追いかけて走っている最中も、だんだん視界の中でどこかへと向かっている存在する人間の数が多くなってきていたような……と思い出す。気に止めてなかった。

 集まった彼らは皆一様に、広場の先に見える王女様のいるお城を見つめて何かを待っている様だった。


 もうしばらくすればここで何かあるのだろとは思うのだが 、しかしそんな事は後で気をまわすとして、人を探していたことを思い出す。


 人ごみの中を縫うようにして歩いて視線を動かせば、その中に黒い背中を見つけた。

 ここから近い。


「あのっ……」


 反射的に、一歩、二歩……と歩いてその人の服の袖を掴んだ。

 しかし、


「あれ……?」


 その人は、紫のワンピースを着た長い黒髪の女の子だった。

 この人は、違う。


 でも確かに見つけたって思ったのに……。


「ごめんなさいっ、人違いしたみたいで……」

「いいえ、合ってますよ」

「え?」


 女の子が、優しげに笑って言った言葉に、姫乃は意味が分からず疑問の声をもらした。


「あなたの探している人は向こうへ行きました。今行けば、まだ間に合います」

「どうして、知ってるの」


 姫乃が探しているであろう人物の事を。


勇気啓区ゆうきけいくを探しているのですよね」


 そうだ、その通りだった。

 けどそれを目の前の少女が知っているはずがないのに。


 どうして?


 けれど、居場所を教えてくれているという事は、知り合いなのかも。

 彼が、私の事を話していたとかだろうか。


 同じクラスの生徒で、数えるほどしか話した事が無いし特別親しいわけでもない。

 見た限り勇気啓区は切羽詰った感じでもなく、困った様子もなくちゃんと日々を生活できているみたいだった。

 姫乃が見つめる必要なんてないのかもしれない。


 だけど、だからといって放って置く選択肢は無かった。

 だって、この世界につれてこられてしまった、数少ない人達の一人で……仲間なんだから。


「うん、探してるよ。でもどうしてあなたが……?」


 そう尋ねて、人口密度の高さの弊害を受けて、誰かの肘が当たった。

 意識がそちらに一瞬それた。

 それで再び、女の子のいた空間に視線を戻すが、そこには別の人の背中が見えるだけだった。


「あれ?」


 まるで手品でも使ったように、その一瞬で女の子は居なくなってしまっていた。

 走ってどこかにいったとか、そんな気配はまるでしなかった。

 周囲の人の中にも、そんな速度で動いているような人はいない。

 いつまでもここでボーっと立っているわけにも行かない。

 姫乃は釈然としないものを無理やり脇にどけて、さっき女の子が示した方へと走る事にした。





 エルケ町内 公園 『啓区』


 町内部の南西に位置する場所だった。

 他の土地より少しだけ盛り上がった土地に、木製の遊具が二つほど申し訳程度に置かれている場所だった。


 元は利用するために人が置かれたそれらは、忘れ去られた時の長さを語るようにボロボロの姿でそこに地面に崩れてしまっていないのが不思議な程だった。

 大した広さの場所でもないし、眺めが綺麗なわけでもない。おまけにすぐ近くに建っている大きな建物が日差しを遮っているため薄暗い。こんな悪条件だらけの場所、訪れる物好きなんていないのだろう。そこにいた勇気啓区(ゆうきけいく)一人以外は。


 ボロボロの遊具、滑り台らしき物の上に座りこんで。


「まー、広場で何かやってたみたいだから、ってのもあったりするのかもだけどねー」


 と、歩いてきた途中で通った広場の様子を思い浮かべたついでに、自分の後を追いかけてきた少女の事を思い出す。


「何か悪い事しちゃった気分ー」


 彼女は今頃どうしているのだろうか。

 呼びかけに答えずにここまで来てしまった。


 そうした方がいいと思ったから。

 それが自然の成り行きで、それ以外はないと思ったから。

 いつもの自分も同じ行動を取るだろうけど、さっきのはちょっと考えてしまった。

 彼女にとっても、こうした方がいいんだろうなと。


 中央心木学園に転校してきて、知らない場所でよく頑張ってて、毎日一生懸命な彼女が、どうやらこの大変な物語の主人公らしいのだ。


 主人公というからにはあれだろう、剣とか杖とか握って「敵しかいないよ!」みたいな大変な状況に追い込まれたり、犠牲が出るけど「どっちか選ばなきゃだよ!」なんていう辛い場面もたくさん経験しなきゃいけないのだろう。物語とはそういうものだ。そう思っている。


 だから、そんな彼女の負担を減らすためにも、勇気啓区とはエンカウントしない方が良いに決まってる。

 出会わない方がいいはずだ。


「だけど、そんな心配もどっこい杞憂。まちがっても僕は、会えるわけ無いんだけどー。なんかもしかしたらもしかするとー、どうしようって思っちゃうんだよね」


 だからつい、ちょっとだけ本気だして早足くらいになっちゃったけど。

 色々考えたって、結論は同じなのだ。


 勇気啓区は結締姫乃に出会わない。

 登場人物には関わらない。


 そう決まっている。

 ……だから、結構驚いたのだ。


「……っ、勇気君!」


 後ろから彼女に声をかけられた時は。ここ最近の驚きランキングのキングベスト賞をぶっちぎりで取った。

 荒い息を整えるように、数秒の沈黙。

 そして、


「……久しぶり。何度も呼んだのに、全然気づいてくれないんだから」


 滑り台を、階段の方から上ってくる。

 座ったままもアレなので、啓区は立ち上がり、彼女がいる方とは別の方向に飛ばすように、服のホコリを払う。


 ちょっと、こちらを非難するような声で言ったが、表情を見る限り本気で怒ってるわけじゃなさそうだ。

 啓区が記憶している限り、この少女は一言二言しか話していない仲の相手にこんな言葉遣いはしないはずだったが、色々走り回った苦労と見つかった達成感も相まって、一線超えてるみたいだった。


 あ、何かこの言い方大人っぽいかもー。


「ごめんねー。考えごとしてたんだー。でも大丈夫ー? すごい汗だよー。飴なめるー?」


 と啓区は、宇治金時入り闇なべ味を手渡そうとする。


「あ、間違えたー。これこれ、汗かいたときはこれだよねー」


 出したそれをしまい、塩分チャージ柑橘風塩飴を渡す。


「あ、ありがとう。……、あの」

「慌てない、慌てない。とりあえず、もう一息ひといきつこっかー」


 何か話したげな姫乃を制して、休憩を促す。

 啓区が飴を取り出してなめ始めたのを見て、姫乃ももらった塩飴を口に入れる。

 ちなみに啓区の飴の種類は、ナポリタンコーラ味だ。


 コロコロ。


 口の中で、飴玉を転がす事数分。


「勇気君、あれ? それいつの間に」


 二人ともなめ終わったのを見計らって、こちらに声をかけた姫乃は、啓区の手の中にある大量の飴の包み紙に気づいて、首を傾げる。


「あ、うん。今食べたやつー。食べ合わせならぬ、なめ合わせにちょっと苦労したよー。だいじょーぶだよー、ポイ捨てはしないからー」

「それ全部? すごいね。ひょっとして食べるのとか速い?」

「そんなに早くはないかなー。せいぜいポテチ一袋(ひとふくろ)食べるのに三秒はかかってるかなー」


 確か、最速記録は1,2秒だったかなと思い出す。

 筒状タイプのに入ってるやつだったら、0,8秒くらいかな。


「それ、ほとんど飲み込んでるんじゃ……」


 そうかもー、と答えて笑う。


 すると姫ちゃんも、笑った表情を返してくれる。苦笑だったけど。

 やっぱり一人じゃないっていいよねー。笑ったら、笑ってくれるかもだしー。


「あ、そーだ。これこれ、ぴったりのお菓子があるんだよねー。これかなー、これとかー? うーん、どこかなー? あった。食べちゃわなくて良かったー。はいどうぞー」


 笑っているうちに思い出して、ポケットの中にある菓子箱の一つを出そうとする。 次々と出す菓子箱が、遊具の上に積みあがって、崩れたものが滑り台をつるつるーっ、と滑っていった。


 あ、あれ、おいしいやつだー。後で拾っとかなきゃー。


「姫ちゃんみかん味のー、砂糖菓子ー」


 お菓子のパッケージの、可愛いドレス姿でお洒落した、二頭身のミカンのお姫様の女の子が描かれている面を向けた。


「おひとつどうぞー。僕的には、紳士レモン味の方が美味しくていいんだけどねー」

「変わった……見ない柄のお菓子だね。駄菓子屋で、最近出てたのかな」

「うん、新商品だったみたいだよー。何かお茶欲しくなってきたねー」


 何て会話をしながら、二人は滑り台の上でまったりする。


 まったりして……。


 姫ちゃんはそんな事してる場合じゃないと、まったり世界から戻ってきたようだ。


「あ、早くルミナのとこに戻らなきゃ。心配させちゃう」


 

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