対価の喪失


 初代『赤』の七大聖人セブンスワンルクソードの『生命の火スキル』を覚醒させた帝国皇子ユグナリスは、悪魔化したベイガイルを完全に消滅させる。

 しかしその代償は高く、息子ユグナリスを庇った皇帝ゴルディオスは治癒不可能な状況で死に至った。


 父親ゴルディオスの死を否定しアルトリアに治癒させようと試みるユグナリスだったが、その行く手を悪魔騎士デーモンナイトザルツヘルムが阻む。

 圧倒的な能力を得ながらも消耗が激しく守るべき者達も多いユグナリスと、万を超える魂と下級悪魔レッサーデーモン達を従えるザルツヘルムでは、圧倒的な形成の差は覆る事は無かった。


 しかしその状況に置いて、リエスティアは自身の身体と命を代価にザルツヘルムに交渉を迫る。

 それは帝都に及ぼしている数多の犠牲を止める代価として、自分リエスティアの身を大人しく引き渡すという内容だった。


「――……ティアッ!!」


「!」


 その案に最も反対を示したのは、赤い閃光となってまで壇上に駆け付けるユグナリス。

 黒い瞳でそれを見るリエスティアは儀礼用の短剣を喉元から離さず、近付くユグナリスは説得の言葉を向けた。


「ティア。その短剣けんを、俺に渡して……!」


「駄目です」


「大丈夫、俺を信じて。絶対に、あんな奴には負けないから……!」


 ユグナリスは焦る表情と声色でリエスティアを説得しながら、更に歩き近付く。

 しかし相反するようにリエスティアは更に短剣の刃先を深く食い込ませ、更に喉から流す血を増やした。


 それを見たユグナリスは驚愕しながら立ち止まり、焦燥感と悲哀の感情を浮かべた顔で言葉を向ける。


めてくれ……っ!! 君まで失ったら……俺は……っ!!」


「……私もこれ以上、誰も失いたくありません……!」


「!」


「私には、分かるんです……。……このままユグナリス様が戦い続ければ……この場に居る人達も、そして帝都にいる人達も、みんな死んでしまう事が……」


「っ!?」


「もうこれ以上、私の為に……私のせいで、誰かを死なせたくありません……。……なら私は、大人しくお兄様に捕まります……」


「ティア……ッ!!」


 リエスティアは今まで瞼で閉じていた黒い瞳を通して、何を視たかを明かす。

 その言葉に困惑しながらも必死に思い留まらせようとするユグナリスは、その決意を変えようと必死に説得を試み続けた。


 そうしたやり取りが壇上側で行われている最中、影の中に立つ瘴気を纏った騎士の一つが、甲冑ヘルムを取り払いザルツヘルムの顔を見せる。

 そして左手の指を額左部分に触れさせると、その場に居ない誰かと会話を交え始めた。


「――……ウォーリス様。リエスティア様ですが、御自身の身体と引き換えに襲撃を止めるよう交渉を提案されています。……いいえ、可能です。しかし、この短期間で不穏因子ユグナリスが驚異的な成長を見せています。更にフォウル国から来たと思われる魔人を確認しています。更なる敵増援を考慮しながら皇子を排除するには、更に時間を要するかと。……はい。……分かりました」


 ザルツヘルムはそうした言葉を呟きながら、『念話テレパシー』でウォーリスと会話を行う。

 そして影の中からそのザルツヘルムが歩み出ると、壇上に居るリエスティアに向けて交渉の返答を行った。


「リエスティア様。貴方の提案を、ウォーリス様が承諾すると御返答を頂きました」


「!?」


「なっ!?」


「その身を大人しく引き渡して頂ければ、帝都ここを襲撃している合成魔獣カイブツと共に、我々も帝都ここから引き上げる事を御約束させて頂きます」


「ッ!!」


 ザルツヘルムはウォーリスが交渉を承諾した事を伝え、その提案を受け入れる意思を見せる。

 それを聞くその場の者達はそれぞれに思う表情を浮かべたが、その中で激昂するような表情でユグナリスは否定の言葉を口にしようとした。


「そんな事、俺がさせるわけ――……」


「ユグナリス様」


「!!」


 再び剣を構えながら拒否しようとするユグナリスに対して、リエスティアは落ち着いた口調で名前を呼ぶ。

 そして喉元に刺していた短剣の刃を引かせて小さな鞘に収めた後、膝で泣く我が子シエスティナを抱えながらユグナリスに頼みを伝えた。


「この子を、どうか御願いします」


「な、何を……。……御願いだ、ティア。どうか諦めずに、俺を信じてくれ……!」


「いいえ。私は、諦めているわけではありません」


「!」


「私は、ユグナリス様を信じております。……だから私は、お兄様のところに行くのです」


「そ、それは……」


「ユグナリス様。どうかこの子を……そして帝都ここに居る人達を、御救い下さい」


 リエスティアはそう伝え、両腕で自分の娘シエスティナを抱えながら優しく揺らす。

 それに反応するように泣いていたシエスティナは泣き声を止め、黒い瞳で見つめる母親リエスティアの顔に小さな手を伸ばしながら顎先に触れた。


 そうして涙を引かせたリエスティアは、再びユグナリスに子供を預けるよう両腕を前へ差し出す。

 ユグナリスは渋い表情を強張らせながら身体を震わせ、短く荒々しい息を吐き出しながら顔を上げた。


「ク……ッ!! ……分かったよ。ティア」


「……ありがとうございます」


 ユグナリスは壇上の床に剣を刺し、『生命の火ちから』を止めて抱えられているシエスティナを自身の腕の中に移す。

 そしてリエスティアの顔を再び見ると、強く覚悟した表情と信念の宿った言葉を伝えた。


「必ず、君を助けに行く。……それまで、諦めずに待っていてくれ」


「はい」


 ユグナリスの言葉にリエスティアは微笑みを浮かべ、応じるように頷く。

 そして顔を傾けながら背後に居る皇后クレアに視線と意識を向け、謝罪するように頭を下げた後、自ら車椅子を両腕で動かした。


 そして段差の無い滑らかな傾斜の床から壇上を緩やかにくだり、赤い絨毯の道を車椅子で進み続ける。

 残る帝国貴族達や近衛達もリエスティアが一人で向かう姿を止める事は出来ず、壇上に立つセルジアスやクレアも苦々しい面持ちで彼女の姿を見送るしかなかった。


 しかし狼獣族エアハルトは、僅かに外れた場所で自ら出て来るリエスティアの姿に眉を顰めながら睨む。

 更にフォウル国出身の妖狐族タマモとクビアの双子は、改めてリエスティアの姿と黒い瞳を見ながら驚愕の表情をあらわにしていた。


「まさかぁ、あの子ってぇ……」


「……あの姿、それにあの黒い……。……まさか……ッ!!」


 リエスティアの姿を改めて見る二人は、双子ながらもその驚愕に差を生じさせる。


 妹クビアは驚きこそしたものの、まだ奴隷の契約書を解除出来ていない為か、何かする素振りは無い。

 しかし姉タマモは、右手に持つ扇子を広げて左手で紙札を袖口から取り出し、突如として風と炎を交えた複合魔術をリエスティアへ放った。


「!?」


「リエスティアッ!!」


 突如としてリエスティアを襲うタマモの凶行に、全員が驚きを浮かべる。

 そして真っ先に駆け付けようとしたユグナリスの両腕にはシエスティナが抱えられており、リエスティアを助ける為の行動が遅れた。


 そうした間にも、タマモが放った凄まじい劫火がリエスティアへ襲い掛かる。

 しかしリエスティアから五メートル程の距離に炎が到達した時、何の前触れもなくその炎が掻き消されるように消失した。


「!!」


「……やっぱりや。あの女、『黒』やないかッ!!」


 突如として消えた炎に、帝国側の全員が驚愕を浮かべる。

 しかし驚愕以上の憤怒を表情と態度に見せたのは、炎を放ったタマモ自身だった。


 創造神オリジンの肉体である『黒』を殺し続ける意向を巫女姫レイから聞いていたタマモは、干支衆としてその望みを叶える為に動き出す。

 炎を掻き消したリエスティアが『黒』だと瞬時に判断した後の行動は素早く、魔力を使った魔術での攻撃が無効化される事を考慮し、右手に持つ扇子を広げたまま身体強化を行って駆け出した。


 すると瞬く間にリエスティアの五メートル圏内に入り、武器として持つ扇子でリエスティアを殺害しようとする。

 しかし周囲の動揺とは裏腹に、襲い掛かるタマモの姿を黒い瞳で見据えるリエスティアは、まるで動揺する様子も無かった。


「『黒』は殺すっ!! それが決まりや――……ッ!?」


「――……それは、させません」


 あと僅かで扇子の刃がリエスティアを斬り裂こうとした瞬間、タマモの右腕を何かが掴み止める。

 それは壇上から姿を消している黒い執事服を纏った悪魔ヴェルフェゴールであり、契約に従いリエスティアを害そうとする相手タマモに対する迎撃行動だった。


「グッ!!」


 ヴェルフェゴールは掴んだタマモの右腕を瞬時に砕き折り、そのまま掴んだ腕を振り回して柱側へ投げ放つ。

 その痛みに堪えながら態勢を戻し着地しようとするタマモに対して、ヴェルフェゴールは既に追撃を放っていた。


「グゥ、ァアッ!!」


「お姉ちゃんっ!?」


 投げられたタマモに十数本以上の食器用ナイフが襲い掛かり、頭部以外では急所とも言える部分に突き刺さる。

 足の関節部分や腕と手の甲、そして胸や腹部などに幾つもの食器ナイフが刺さったタマモは、そのまま投げられた勢いで会場内の柱に激突した。


 大きく息を吐きながら倒れたタマモはそれから動けず、全身から血を流しながら床に伏したままとなる。

 その光景を見た妹クビアは、一瞬の迎撃で倒された姉タマモを見て焦りの声で浮かべた。


「……お姉ちゃんが、あんな簡単に……。……あの悪魔、いったい何者……!?」


 例え接近戦が本領で無いにしても、巫女姫から厳しい修練を施された干支衆の一人が、たった一体の悪魔に反撃も出来ないまま倒される

 リエスティアを守った悪魔ヴェルフェゴールの実力が姉や自分を遥かに上回っている事を、クビアは否応なく感じさせられていた。


 そのヴェルフェゴールは平然とした様子で、倒したタマモに一瞥も送らずにリエスティアへ身体の正面を向ける。

 そして丁寧な礼を見せると、リエスティアは黒い瞳で倒れているタマモを見ながらヴェルフェゴールに問い掛けた。


「……殺しては、いませんよね?」


「はい。体内に流れる経絡けいらくを突き、一時的に動きを麻痺させています」


「……そうですか。……貴方も、付いて来るのですね?」


「はい」


「分かりました」


 そうした事を確認したリエスティアは、再び車椅子の車輪を両手で動かしながら進む。

 ヴェルフェゴールはその後ろに続くように歩き、二人は赤い絨毯の上を進みながら影を広げるザルツヘルムの前に赴いた。


 車輪を止めたリエスティアは、改めて鞘に収めた儀礼用の短剣を抜いて自分の喉元に刃を向ける。

 そして歩み出て来るザルツヘルムに向かって、強く交渉の意思を強めた。


「ザルツヘルム殿。私の提案を、お兄様は必ず守ると誓えますか?」


「貴方の祖母ナルヴァニア様に対する忠義に誓い、必ず貴方の提案を御守りさせて頂きます」


「……祖母?」


「ナルヴァニア様は、貴方の御婆様で有らせられます。そしてウォーリス様は、貴方の御父君です」


「!」


「貴方にとって、ウォーリス様は親子という関係になります。……御連れする前に、その点を御留意頂きますよう御願いします」


「……分かりました。では改めて、父のもとに連れて行ってください。ザルツヘルム殿」


うけたまわりました。リエスティア御嬢様」


 リエスティアがウォーリスの娘だと改めて伝えたザルツヘルムは、跪きながら礼を向ける。

 すると正面出入り口側を全て覆っていた影がリエスティアの周囲に集まり、影の中に居る三人を囲みながらまるで花の蕾のように上へ向けて閉じる様子を見せた。


 そうして影に覆われながら姿が見えなくなるリエスティアに対して、ユグナリスが最後に叫ぶ。


「リエスティアッ!! 必ず君を見つけて、助け出すから――……っ!!」


「――……はい。ユグナリス様」


 影に包まりながらユグナリスの声を聞くリエスティアは、一筋の涙を零しながら頷いて応える。

 そして三人を包み込みながら蕾のように閉じた巨大な影は、開けられた正面出入り口に引き込まれるように消え、その場には巨大な影も、そしてリエスティア達の姿は無くなっていた。


 こうして新年の祝宴場パーティーで起きた異変は、帝国側にとって不本意な形で幕をろす。

 そして尊敬する師ログウェル父親ゴルディオスを失い、最愛の女性リエスティアを差し出す事でしか異変を止められなかったユグナリスの心情は、両腕に感じる温もりとは裏腹に、冷えながらも沸騰するような感情いかりにじませていた。

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