亀裂の始まり


 アルトリアの間に生じている亀裂について、ユグナリスは改めて考えさせられながら一夜を過ごす。

 その後に迎えた早朝に、魔符術の研究を行うアルトリアがいる建物へユグナリスは訪れた。


 ユグナリスは扉の前に立ち、一息を漏らしながら背筋を伸ばす。

 そして右手を軽く上げ、扉を三度だけ叩いて中の反応を窺った。


「……」


 敢えて声を発して中に居るだろうアルトリアを呼ばないユグナリスは、そのまま何度か扉を叩き続ける。

 すると扉越しに中から物音が聞こえ、ユグナリスは心の緩みを引き締めながら息を飲んだ。


「――……はぁい。どなたぁ?」


 しかし扉越しからは、アルトリアとは異なる声が聞こえてくる。

 その声にユグナリスは予想を外したように驚いたが、それでも息を整えながら扉の向こうに居る人物に話し掛けた。、


「あ、あの……ユグナリスと申します。アルトリアは今、中にいらっしゃいますか?」


「いるわよぉ。でもぉ、今は話し掛けるなって言われてるのよねぇ。後でいいかしらぁ?」


「その、朝食前に話をしておきたかったのですが……。分かりました、外で少し待たせてもらっても?」


「あらぁ、中でもいいんじゃなぁい?」


「え――……ッ!?」


 中から聞こえる女性の声はそう伝え、扉を開けながら姿を見せる。

 それを見た瞬間、ユグナリスは反射的に顔を背けながら慌てた様子で扉の先に居る人物を制止させた。


「あ、あの……! なんで、そんな恰好で……!!」


「あらぁ、そういえばそうだったわぁ。忘れてたわぁ」


「や、やっぱり外で待ちます! すぐそこの渡り廊下にいるので、ではっ!!」


「あらぁ、ちょっとぉ?」


 ユグナリスは扉から完全に背を向け、その場から急いで離れていく。

 それを呑気な様子で見送るのは、墨で汚れた服を脱ぎかけた状態で胸の谷間を見せる妖狐族クビアだった。


 思わぬ形で出鼻を挫かれたユグナリスは、精神の乱れを整えながら壁に手を付く。

 そして見てしまった光景すがたに落ち着けず、それを忘れる為にアルトリア達が居る建物に続いている渡り廊下の近くで基礎運動トレーニングを始めた。


 一方で、扉を閉めたクビアは再び建物の中に戻る。

 そして休憩する為に用意していた紅茶を飲んだ後、別の部屋に訪れながら中に居る人物の様子を窺った。


「……相変わらずぅ、凄い集中力ねぇ」


 室内で作業を続ける人物を見ながら、クビアはそうした感心を漏らす。


 室内に居たのは、長い金髪を後ろに束ねながら手や服に墨の汚れを染み付かせたアルトリア。

 そしてアルトリアの視線と動かす手の先に置かれていたのは、適度な大きさに切り分けられた紙札が置かれていた。


 その周囲には数え切れない程の紙札が様々な状態で投げ出されており、その中には掴み潰された状態の紙や、描かれている紋様が塗り潰されて滅茶苦茶な状態になっている紙札も多い。

 それでもアルトリアは鋭く研がれた一針を小さな針穴に差し込むような緊張の表情を見せながら、墨を付けた筆を紙札に走らせ続けていた。


 そうして筆を止めて描いていた途中の紙を潰して捨てるという行動が行われ、それから一時間程の時間が経つ。

 そこで一息を漏らしたアルトリアは、紋様を描き終えた紙札を両手の指で摘まみながら背を逸らせた後に呟いた。


「――……出来た。これで多分、完成……」


「……あらぁ、出来たのぉ?」


 アルトリアが呟きながら手に持つ紙札を見たクビアは、傍に置いてあった毛布を枕代わりにした姿勢を傾け起こす。

 その声に気付いたアルトリアは、振り向きながらクビアに出来た紙札を見せた。


「どう、これ?」


「……んー。私ぃ、そういう人間の魔法陣はよく分からないのよねぇ」


「前にも言ったでしょ。これはアンタの魔符術で書く紋様と、魔法陣を組み込んだ独自魔法陣オリジナルよ」


「そうなのぉ? ……まったく別物に見えちゃうけどぉ」


「まぁ、私が知ってる魔法陣まほう基本ベースにしてるからね。……さて、次はこの紙札で実験だわ」


「そうねぇ」


 紙札を持ったアルトリアは立ち上がり、凝った肩と首を回しながら身体を動かす。

 それを見ていたクビアは大きな欠伸を見せた後、思い出したようにアルトリアに話し掛けた。


「……あっ、そうだぁ」


「ん?」


「さっきねぇ、皇子様が来たわよぉ」


「……えっ」


「ユグナリスってぇ、帝国皇子よねぇ? 髪も赤かったしぃ」


「……それで?」


「ちょっと待ってって言ったらぁ、外で待ってるって言ってたわぁ。何か話があるんじゃないかしらぁ?」


「……ッ」


 クビアはユグナリスが訪問した事を伝え、それを聞いたアルトリアは表情を険しくさせながら小さな舌打ちを鳴らす。

 そして出来上がった紙札を机の上に置いた後、アルトリアは厳かな表情を浮かべながら出入り口の扉側へ向かった。


 それを見送るクビアに、アルトリアは声を低くさせながら命じる。


「アンタは、この部屋で待ってなさい。帰ったら実験の続きよ」


「分かったわぁ。ならぁ、もう少し寝るわねぇ……」


 アルトリアの命令にクビアは応じ、そのまま室内の毛布に包まりながら惰眠を貪る。

 それを背中越しに聞いたアルトリアは、扉を乱暴に開けながら外の様子を窺った。


 すると屋敷の建物と離れに通じる渡り廊下で、何故か深々とした腕立て伏せを行うユグナリスの姿を目にする。

 それを険しくも微妙な面持ちで見るアルトリアは、深い溜息を吐き出しながら扉を出て渡り廊下を歩きながら低い声を向けた。


「――……何の用よ?」


「!」


 アルトリアの声に気付いたユグナリスは、上着を脱ぎ汗を僅かに浮かべた状態で腕を立たせながら膝を曲げて身体を起こす。

 そして真っ直ぐに立たせながらアルトリアを見て、ユグナリスは額に浮かべた汗を右手で拭いながら話し掛けた。


「アルトリア。その……」


「まぁ、アンタが来た理由ぐらい分かるわ」


「え?」


「どうせ『リエスティアの為に祝宴パーティーに出てくれ』とか言いに来たんでしょ?」


「い、いや。そういうわけじゃ……」


「言っておくけど、何でもかんでも『リエスティアの為に』で応えてあげるほど、私は甘くないわ。――……私は今回の祝宴に、絶対に出ない。例えそれが、リエスティアの為になるとしてもね」


 腕を組みながら睨んで話すアルトリアの強い言葉に、ユグナリスは表情と身体を引かせながら思わず気圧される。

 しかし引かせた足を踏み留めた後、ユグナリスは小さく深呼吸をしながら覚悟を秘めた表情で問い掛けた。


「……ア、アルトリア。聞いて欲しい事がある」


「だから、行かないって言ってるでしょ!」


「違う! ……その事じゃないんだ」


「は? だったら何よ。……リエスティアか子供に、何かあった?」


「い、いや。そうでもないんだけど……」


「じゃあ、いったい何よ?」


「……えっと、その……」


 改めてアルトリアに向き合う形となったユグナリスは、緩んでいた覚悟と急かされる言葉に思わず言葉を詰まらせる。

 そんな様子に苛立ちを宿し始めるアルトリアは、腕を組ませている右手の人差し指を腕に叩かせながら苛立ちの声を向けた。


「はっきり言いなさいよ。相変わらず鈍臭どんくさいわね」


「……お前って、昔からそうだよな」


「は?」


「覚えてるか? 俺達が初めて会った時のこと」


「何よ、いきなり」


「俺が七歳で、お前が五歳だったよな。俺達は、御互いの父親に帝城しろで引き合わされたんだ。……そして、父上と叔父上が俺達の婚約を結んだ」


「……」


「俺は初めてお前を見た時には、今まで会ったことのある他の貴族令嬢とは全然違う、凄く綺麗な子だって思ったんだ」


「……なに、いきなり。気持ち悪いわね」


 ユグナリスが述べる唐突な過去の話と当時の心情に、アルトリアは怪訝な表情を見せながら本音を漏らす。

 それを聞いて胸に抱いていた心情にダメージを受けたユグナリスだったが、それでも負けずに言葉を続けた。


「……俺はその時、婚約がどういうものなのか知らなかった。……でも、少なからずお前には今まで会った令嬢達とは違う気持ちを抱いてたのは、確かだ」


「は?」


「……多分、だけど。俺は会ったばかりのお前に、初めて恋したんだと思う……」


「……は?」


 凄まじく苦々しい表情と声でそうした事を述べるユグナリスの態度と言葉に、アルトリアは口調を強めた短い声を向ける。

 そうした声と自身が述べる言葉に重く苦々しい感情を乗せながらも、ユグナリスは最後まで自分が言うべきだと考えていた内容を伝えた。


「その後に俺達は、何度か会って一緒に過ごしたんだ。……そんな時に、二人だけになった瞬間。俺は、俺にこう言った事を覚えてるか……?」


「……」


「『甘やかされてるアンタが嫌いだ』って、そう言ったんだ。……その時の俺は、お前の言葉に凄く傷付いたんだ……」


「……はぁ。……そういえば、そんな事も言ったかしらね」


 腕を組んだままのアルトリアは大きな溜息を零し、呆れた口調でユグナリスへ向けた過去の言葉を認める。

 それを聞いたユグナリスもまた大きく息を吸い込み、改めてアルトリアと向かい合いながら話し掛けた。


「……俺はそれから、お前に嫌われないように色々した。それも覚えてるか?」 


「……」


「お前が気に入りそうな装飾品や服を贈ったり、真面目に剣の稽古を頑張ってる姿を見せたり、帝城しろの蔵書館に行って習った事をお前に教えようしたり……」


「……ふんっ」


「そう。お前はいつもそうやって、俺が何かする度にそういう顔をしてた」


「!」


「俺を馬鹿にしたような、それでいて呆れているような、そういう表情かお。……俺はお前がそういう表情をする度に、ずっと自分の気持ちを蔑ろにされているようで、傷付いてた」


「……ッ」


 ユグナリスは先程まで動揺した面持ちが無くなり、過去の事を思い出しながらアルトリアを見据える。

 しかしユグナリスの表情には怒りの感情は無く、ただ過去に体験した自分自身の悲しさを宿した真面目な表情を見せていた。


 それを見たアルトリアは、視線を逸らしながら顔を僅かに逸らす。

 そんなアルトリアに対して、ユグナリスは改めて問い掛けた。


「確かにあの時の俺は、今よりもずっと子供だった。だから初めて恋した女の子に嫌いだと言われて、だから女の子に好かれる方法を聞いて贈り物をしたり、俺が頑張ってる姿を見せた。……確かにそれは、お前に対して空回りな事をしていたかもしれない」


「……」


「それでも、お前のそういう態度が、子供だった俺を傷付け続けた。……どうしてなんだ?」


「……何がよ」


「どうしてお前は、俺をそんなに嫌うんだ? ……出会ったばかりの頃に、俺に言った『甘やかされてるから嫌いだ』という意味は、どういうことだ?」


「……」


「俺は最初から、お前に嫌われていた理由が分からない。……俺がやった事で、後々から嫌われてしまったのなら仕方ないし、お前が俺を嫌う理由も理解できる。でもお前は、そうする前から俺の事を嫌いだって言ったんだぞ」


「……ッ」


「教えてくれ、アルトリア。……俺はなんで、初めて会ったばかりのお前に嫌われたんだ?」


 ユグナリスは真剣な表情を向け、出会ったばかりの自分がアルトリアに嫌われた理由を確認する。

 それを聞かれたアルトリアは、何故か表情を強張らせながら僅かに顎に力を込めて歯を食い縛る様子を見せていた。


 改めて向かい合うガルミッシュ皇族の幼馴染同士は、こうして過去の出来事を話し合う。

 そして二人にとって険悪な関係の発端となった出来事きっかけを、ユグナリスは十年以上の時を経て尋ねる事が出来たのだった。

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