過去の解明
治療をするはずだったリエスティア姫の懐妊という状況によって、不本意ながらも
部屋に設けられた窓には全て
薄暗く内側から照らされる光のみで室内を探るしかない状況で、案内役を務めた家令の老人は扉近くの壁を探るように触れていた。
「御待ちください。明かりを点けさせていただきます」
家令はそう述べながら壁に触れ、設けられた点灯と消灯を行う
すると部屋の天井に設けられた照明が灯り、部屋全体を照らすように明るくさせた。
室内は簡素な白い壁に覆われ、客室や他の部屋と比べても明らかに豪華に見える装飾物が少ない。
逆に様々な書物を入れた本棚が壁などに並べられ、まるで研究者の書斎か、小さな図書館のような光景を見せる部屋がその室内には在った。
本棚以外にも最低限の家具は置いてある状況だったが、とても公爵家の令嬢が過ごすような部屋には見えない。
それを見回しながらどこか郷愁を感じているアルトリアに視線を向けていた老執事バリスは、家令に尋ねた。
「――……ここが、アルトリア様の御部屋なのですかな?」
「はい。ここが間違いなく、御嬢様の御部屋にございます」
「味わいのある部屋ですが、公爵令嬢と呼ばれる方にとっては似つかわしくない御部屋にも見えますな」
「御嬢様は『師匠』と呼ぶ魔導師の方に御会いしてから、御自分の御部屋をこうした幾多の書物を集め、御部屋を様々な学問に関する研究を行う為の御部屋にしておりました」
「ほぉ……」
「部屋の中には最低限の衣服や飲食物を持ち込み、取り寄せた書物を読み更け、何か難しい魔法や魔道具の研究を行う日々を過ごしておりました。流石にそうした生活ばかりしていると体調を崩すと考えた御父君であるクラウス様や兄君であるセルジアス様からは、幾度か外に連れ出され稽古と称して運動などを行わせていましたが……」
「ふむ。この部屋に籠っていた事が多かった為に、
「はい。部屋の掃除や身の回りの御世話をしようとしても、『自分の部屋の事は何もしなくていい』と言われていました……」
「なるほど。では魔法学園に行くまでは、習い事などは家庭教師を?」
「はい。過去に仕出かした事を考え、御父君のクラウス殿が領内でも学校などに通わせるのは危ういということで。幾人も家庭教師を付けていましたが、誰もが三ヶ月も保てないまま去ってしまう事が多々ありました」
「それはまた、どうして?」
「家庭教師が自信を喪失させてしまうのです。彼等を凌駕する知識を蓄え、更に数多の発想を述べるアルトリア様の御様子は、彼等では御しきる事が出来ませんでした。中には周囲に天才と呼ばれ自信に溢れる者もいましたが、一ヶ月も持たずに自ら教師の職を退かせて欲しいと泣かれた程です」
「それはそれは……」
「そうした事も多く、御嬢様が十歳になる頃には誰一人として教えを説く役目を務められる者は居りませんでした。ただ運動などは御父君や兄君よりも不得意なようで、そちらだけは御二人が教えを務める事も多かったですが……」
「なるほど。……しかし部屋の中は、思った以上に清潔ですな。掃除などを定期的に?」
「御嬢様が学園に赴き、そして
「……別にいいわよ。覚えてないし」
家令の話を聞き、幼い頃に実家に過ごし続けたアルトリアがどのような暮らしをしていたか語られる。
幼い頃から不可解な
そして従者を始めとした者達と接する事は無く、また教えを説く者達を弾くように退け、結果として家族以外に親しく接する者もいない孤立した幼少期の時代を過ごす。
アルトリアは家令の口から語られる過去の自分が行う生活状況を聞き、特に何か口を差し挟む事は無く部屋の中を見ながら歩き回った。
そうした中で、アルトリアは壁一面が本棚に覆われる場所で立ち止まる。
そして一番右側の棚に向かって一冊の本を無作為に手に取ると、後ろから家令が声を掛けた。
「昨日、御話したことですが。魔法学園から送られて来た御嬢様の私物が、主に
「……ここの本、全部?」
「はい。ただ兄君の話では、帝国の魔道具研究機関と魔法学園側に幾らか魔法技術として価値のある本を研究資料として寄贈して頂くことを頼まれたようで。そうした書物は、全て帝都の書庫や学園の研究室などに送られています」
「やっぱりね。……じゃあ、ここの本は?」
「ここに収められた本は、御嬢様が在学中に御書きになっていた詩集だという話です」
「詩集って、私が? しかも、これ全部?」
「はい。中には御嬢様の日記と思しきモノもあるそうで、こうした物は学園側や研究機関に寄贈しても意味は無いということで、この御部屋に保管させて頂いております」
「……」
家令の言葉を聞き、アルトリアは不可解な表情を見せながら自身が書き記したという詩集や日記が収められた本棚を見上げる。
その書数は明らかに百冊近くを超えており、これほど多くの詩集を書いた過去の自分について理解を示す事が出来なかった。
しかし手に取った本を広げて読み始めると、アルトリアは眉を顰める。
そして素早く本のページを捲り続けると、別の本も手に取り中身を確認していきながら、次々と本に目を通し始めた。
それを控えながら見ていたバリスは、不思議そうに尋ねる。
「……どうされましたか?」
「――……これ、ただの詩集じゃないわね」
「!」
「一見すれば、確かに詩集みたいな内容だけれど。文字の並びや書き方に一定の癖や法則性がある。……ここに書かれてる本の全てが、何かしらの暗号で書かれている可能性があるわ」
「暗号……」
「なるほどね。
「!」
「面白いじゃない、昔の私。いえ、流石は私と言ったところかしら」
本を読み進めてながら中身を
それが暗号で書かれた文章であると推察し、これこそが過去の自分が秘匿していた本当の研究記録なのだと察した。
そして本を読み進めていく毎に、アルトリアは高揚した笑みを浮かべる。
それは記憶を失ってから見せた事の無い笑みであり、それがアルトリアの本質に快楽にも似た興奮を与えている事がバリスにも理解できた。
そして幾冊か本を流し読みしたアルトリアは、取り出した本を全て本棚に収める。
更に違う本棚にも目を向け、口元を微笑ませながらバリスと家令に伝えた。
「――……この部屋なら、良い暇潰しが出来そうだわ」
「!」
「私、しばらくこの部屋に籠りたいんだけど。いいかしら?」
「も、勿論でございます。御嬢様」
「そう。なら今日から、私はここで寝泊まりするから。食事も豪勢じゃなくていいから、手軽な物を用意して頂戴。ただ夜には御風呂に入るから、準備はしといてね」
「は、はい」
アルトリアはそう述べながら一番左側の本棚に移動し、近くに立て掛けてある梯子を立て掛ける。
そして端部分に収められた本を幾冊か取り出し、部屋の床に置き始めた。
バリスはそれを見ると、自ら進んでアルトリアに申し出る。
「アルトリア様。私が本を運ぶ役目をしましょうか」
「いいの? 貴方が暇になるわよ」
「今の貴方を御助けするのが、私の役目ですので」
「そう。じゃあ、そういうのは任せたわ。私は本を読むのに集中するから」
「はい」
「向こうの件が落ち着くより早く、ここの本を全て読んでやるわよ。そしてあの暗号文を解いて、私が隠してた研究とやらを明かしてやるわ」
アルトリアは述べながら取り出した本を机の近くに置き、椅子に腰掛けて一冊ずつ読み始める。
しかし本を読む速度は常人の幾倍も早く、それが速読と呼ばれる常人には無い技能だという事をバリスはすぐに察した。
それからアルトリアとバリスは、日々の暇をその部屋で過ごすようになる。
食事や御茶などの用意は基本的に屋敷の者達に任せ、バリスは本を読む事に集中し続けるアルトリアを補助する形で傍に控え続けた。
時には夜が明けて朝になっても本を読む事を止めないアルトリアに、バリスは食事や睡眠を行うように勧める。
夢中になっているアルトリアはそうする度に煩わしい表情を浮かべながらも、説き伏せられる形で従い、適度に休息を行いながら自室の本を読み進めて行った。
それから四日程が経った日に、二人が居る部屋に家令の老人が訪れる。
そして粛々とした様子を見せる家令は、部屋に居る二人に準備が整えられた事を教えた。
「――……御嬢様。そしてバリス殿。リエスティア姫の治療を行える準備が、整えられました」
「……えぇ、もうなの? まだ解析してる最中なのに……」
アルトリアは伏すように床に座り、周囲には数多の本が散らばるように置かれている中に埋もれている。
その目元に僅かな疲労を感じさせる表情をしながら、家令の言葉を聞いて煩わしい様子を見せていた。
それを宥めるように傍に仕えるバリスは、再びアルトリアを説得するように穏やかに話し始める。
「アルトリア様。治療を先に終えてしまえば、解析に集中できることでしょう」
「……そうね。だったら、さっさと向こうの用件を終わらせましょうか」
先に要件を済ませる事を提案するバリスに同意し、アルトリアは立ち上がり欠伸をしながら部屋を出る。
それに続くバリスは微笑みを浮かべながら、二人は部屋を後にした。
こうしてアルトリアは、自身の部屋で熱中できるモノを見つける。
それこそが、自分の知らない
誰も解き明かした事の無い自分自身が残した記録に、アルトリアは近付こうとしていた。
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